おくりびとになれる!?養成学校の存在と終活に向けてやっておくこと

      2017/03/03

Pocket

2008年の作品ですが、映画「おくりびと」を数年前にカナダ人の妻と一緒に見ました。とても良い
映画で僕も気に入りましたし、妻は今まで見た日本の映画の中で一番好きな作品といっています。

そんな映画「おくりびと」で主演の本木雅弘氏に納棺技術指導を行った木村眞二氏のご子息、
光希氏が2013年に納棺師養成学校を設立し、納棺師を世に出す活動をされている記事をみて、
40半ばの僕も終活を意識して生きて行くべきではないだろうかと思ったのでした。





スポンサードリンク

納棺師育成のカリキュラムから感じた人の死と向き合う大変さ

記事では光希氏が父親と同じ職業に就く事になった経緯が前半、その後になぜ独立して養成学校を
設立したのかの思いが続きます。

後半は長期の介護の末、母親を看取った女性が母親がなくなってから体験した苦悩とその解決法と
して納棺師となって今後同じような立場になるであろう人達の手助けをしていきたい、と養成学校に
通っている話になっています。

最後に今の葬儀産業に必要な変革を納棺師として光希氏が訴えて記事は終わりますが、色々と
考えさせられる内容でした。

前半の部分では映画のように死体を着替えさせ、その後化粧をして棺に収める死体ばかりでは
無いというところが印象的でした。

当たり前ですが、病死で五体満足な状態の死体ばかりではありません。
事故死の場合、死に方によって死体が相当毀損されている事があります。そんな見るも無残な
死体を家族が見て最後の別れができるようにする
のが納棺師の仕事である、という部分は
心打たれました。

ましてや、夢の中で無残に毀損された死体に追いかけられ、助けを求められる事がある、という
話も作り話ではないと思います。
そんな夢の中で、追いかけてくる死体と向き合い、自分が元通りにしてやるから、と向き合って
いる自分がいる、というのですから、天職としてむきあっているのだな、と感じました。

次に、はっとさせられたのは「人間の死を取り巻く環境が大きく変化しているにもかかわらず、
エンディングをビジネスの機会としか捉えようとしない業界の変わろうとしない姿勢」という
一文でした。

昔に比べで葬儀を経験する回数が減っている今の人達は、いざ、親を看取った後、どうやって
葬儀をすればよいのか、ほとんど知識がないと思います。全てを手配してくれる葬儀屋に
任せればいいのですが、死者の葬儀が終われば葬儀屋の仕事は終わりになります。

しかし実際は葬儀とは残った人達のためにあるのであって、それらの人達が故人が安らかに
旅立ったと思って安心できることが一番重要なのです。

光希氏の養成学校は故人への対応をきちんと行うことはもちろん、残った家族の心の支えに
なれるサポートの仕方もカリキュラムに含まれています。

その他、遺言や遺産の相談にも乗れるようなサポートも含まれていて、まさに人生の最後の
全てに備えられる納棺師の養成を目指しています。

親族をなくした家族のことを一番に考えないといけない

確かにその通りだと思ったのが、葬儀とは残った家族のため、ということでした。

かけがえのない家族をなくし、その喪失感で打ちのめされている中、葬儀を準備しなくては
いけません。
ある人はその忙しさから悲しみをあまり感じずに時間がすぎることもあるでしょうが、全てが
終われば、その忙しさも亡くなり、今までいた家族がいないいつもの生活が戻ってきます。

そこで改めて喪失感がどっと押し寄せる、そんなことになることは想像に難しくありません。

葬儀屋として亡くなった遺体を処理して終わり、というのでは片手落ち。残った家族がおちいる
哀しみをどうやって癒やしていくのか、そのこともケアして初めてプロの葬儀屋であるという
のは非常に納得がいきます。

葬儀というとどうしてもなくなった故人が主であるような感覚がありました。
こうやって言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、亡くなった人はもう何も思うことも
できなくなっています。葬儀が行われていようとも、亡骸を道端に捨てられていたとしても、
故人にはとっては違いは感じられないでしょう。

実際に違いを感じるのは残された家族であり、それを理由に、十分やった、と満足したり、
もっとできたことがあったのではないか、と後悔してしまったりするのです。

ですから、残された家族のケアも立派な葬儀屋としての重要な仕事の一つになるのでしょう。

終活は残された家族のためにすべきであるならば

終活という言葉をよく聞くようになったと思います。
ベイビーブーマーが高齢化してきて亡くなる方の数が今後増えてくることが予見されるように
なったせいでしょう。

僕は40代中ばで、まだまだ終活を始めるという年齢ではないと思っていました。
しかし人間だれでも最後は死んでしまうことを考えれば、終活をどこか心も隅において、日頃の
生活をしていくことは必要なのではないか
、と思うようになりました。

特に、自分の最後の瞬間は残された家族のためにあるのであれば、なおさらです。

何も難しく考えることはないと思います。
自分がいなくなったら家族が困ることの解決方法を準備しておくだけでいいのですから。

一番簡単な終活は身の回りのものの片付けでしょう。普段からいらないものを捨てることで
自分が死んでしまった後、家族が整理する遺品の数を減らしておくことは立派な終活ですし、
とても助かることだと思います。

他に考えつくのは、預金やカード、資産や借金の情報をまとめておくことです。
契約事項についても、規約の中に遺産として相続されると記されているものもありますので、
そういったものを知らないで、相続した人が支払いの義務を負うことになるのも迷惑ですし、
そういった場合、解約の方法もわからない場合が多いと思います。

あと、僕が個人的にしておいたほうがいいと思うことは、延命治療をするかどうか、の意思表示
です。
事故で意識不明となることもありえますので、延命治療を望まないのであれば、それを文章で
残しておくことは、看護することになる家族にとっても非常に助かると思います。

僕の祖父が言葉も話すことができないまま10年以上寝たきりで、最後を迎えました。
祖父の最後の10年は何だったのかと考えると、とても虚しくなります。
僕故人は、あのような形で命を永らえたとしても全く意味は無いと思っていますので、延命治療は
希望していません。

最後の延命治療については終活らしいものですが、それ以外は別に終活という特別なものでは
なく、普段からやっておくとよい、生活の整理整頓なんですけどね。





スポンサードリンク

 - 未分類