2019年はディズニー映画のアニメを原作とした実写版がすでに1本公開され、さらに3本公開される予定になっています。
「ダンボ」がすでに公開され、「アラジン」「ライオンキング」「ムーラン」が、公開予定のその3本ですが、これまでに7本のアニメを原作とした実写版を出しており、今後もこの流れは続くと思われます。
ところで、このアニメを原作とした実写化は成功していると言えるのでしょうか?
これまでの6作をまとめて成績を比べてみたいと思います。
過去7作の作品とその成績結果のまとめ
それでは過去の7作品の公開年、オリジナルの公開年、かかった費用と世界規模での興行収入、評価としてロトントマトとIMDbの投票結果を表にまとめたものをお見せします。
作品名 | 公開年 | オリジナル公開年 | 撮影費用 | 興行収入 | ロトントマト評価 | IMDb評価(10点満点) |
---|---|---|---|---|---|---|
101 | 1996年 (日本公開は1997年) | 1961年 | 8250万円 | 3億5280万円 | 39% | 5.7 |
アリス・イン・ワンダーランド | 2010年 | 1951年 | 2億2千万円 | 11億2750万円 | 52% | 6.5 |
マレフィセント | 2014年 | 1959年 | 2億8930万円 | 8億3430万円 | 54% | 7.0 |
シンデレラ | 2015年 | 1950年 | 1億1千万円 | 5億9780万円 | 84% | 6.9 |
ジャングル・ブック | 2016年 | 1967年 | 1億9470万円 | 10億6260万円 | 95% | 7.4 |
ピートと秘密の友達 | 2016年 | 1977年 | 7150万円 | 1億5810万円 | 88% | 6.7 |
美女と野獣 | 2017年 | 1991年 | 2億8千万円 | 13億9千万円 | 71% | 7.2 |
これを見ると、最初の頃の作品は評価が低かったものの、全体的に興行収入が費用を下回った作品は一つもありません。
中にはその年の興行収入で上位に入ったものもあり、興行的には失敗なし、という印象です。
だからこそ、世間に受け入れられているうちに、多くの作品を実写化してお金を稼ごうとしているようにも思えなくもありませんし、そういう意見がネット上でも多いのも、ディズニーがお金儲けを第一に考えていると感じている人が多いからでしょう。
また、評価にしてみても古いものほど、あまり良くなく、2015年以降は少なくとも7割前後の評価を得ていて、作品によっては90%前後の高評価を得ているものもあります。
それではここの作品について、ボクが思っている感想を紹介していこうと思います。
個々の作品を見て成功か失敗かを考える
「個々の作品を見て」と言いましたが、恥ずかしながら「ピートと秘密の友達」、「ジャングル・ブック」は視聴していませんので、今回省かせていただきます。
それでは古い順にいきましょう。
101
オリジナルを見ていませんが、実写版は視聴したことがあります。
かなり昔になりますが…。
映画として低評価を受けている作品ですが、ボクも視聴したときに、世間的によくイワれている指摘と同じような感想を持ちました。
「わざわざ実写版にする必要があるのか?」です。
本作品のディズニーヴィランズであるクルエラ・デ・ビルを演じたグレン・クローズのメイクアップや演技は一見に値しますが、本物の犬をつかっての映像は、すべてのシーンでアニメ版の犬のように可愛げが出せるとは、感じませんでした。
やはりアニメで登場する子犬だからこそ、かわいいと感じることも、冒険に対してハラハラしながらも安心して見ていられる部分があると思うのです。
本物の子犬が見せる頼りなさ、介添をしたくなる弱々しさを、映画のような冒険要素が必要なシーンで見せられても、なんとなく可哀想と思ってしまったり。
また、ディズニーヴィランズのクルエラ・デ・ビルの扱いが、アニメと同様では、実写版では、スカッとするよりも、ちょっとやりすぎじゃないか、という思いが先に出てしまいます。
女優のグレン・クローズもかなり体当たりな演技をするものだ、と感心したことを思い出しました。
あのシーンは、もしかするとスタントかもしれませんが。
というわけで、はじめての試みということもあり、致し方ないところもありますが、わざわざ実写版にする必要があるのか、というレベルを超えることができなかった作品だと思います。
アリス・イン・ワンダーランド
ふしぎの国のアリスを実写化して世界的に大ヒットした作品ですね。
第83回アカデミー賞のベスト美術賞やベスト衣装デザイン賞を受賞し、視覚効果賞候補にもなりました。
ティム・バートンが初めてディズニー作品で監督をしたものでもあります。
が、あまりにもストーリーが変わりすぎでしょう。
特に後半。
一応、「ふしぎの国のアリス」と「鏡の国のアリス」を原作にした、ということになっており、「鏡の国のアリス」がチェスの動きを取り入れた話になっているので、不思議の国で起こった赤と白の戦争に参加するストーリーも、わからなくはないですが。
でもこれでは「ロード・オブ・ザ・リング」や「ホビット」シリーズのようなファンタジーヒロイックであって、ファンタジーではないです。
だいたい、結婚適齢期とはいえ、20歳前後の、戦闘経験も訓練も受けたことのない少女にプレートアーマーを着させ、鉄の長剣を振り回させるのは、無理がありすぎです。
鎧は少なくても30キロはあり、そんなものをきて階段を上がっていったらどうなるやら。
長剣だって、効果的に振り回すにはかなりの訓練が必要です。
それができるようになるのが「不思議の国」だ、というのであれば、多少の説得力が無きにしもあらずですが、もっと大きな問題は原作と話が違ってくる、という点でしょう。
よく邦画でも漫画を映画化してコケた、という話があります。
その理由の最大のものは、原作漫画の世界観をうまく表現できなかったから、というものでしょう。
主人公がイメージと違う、という意見はその最たるものです。
「アリス・イン・ワンダーランド」では、ストーリー自体が異なってしまっており、いっその事、「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」からインスピレーションを受けた別の作品として世に出し、「アリス・イン・ワンダーランド」という題名を変えてしまったほうが良かったのではないか、と思うくらいです。
マレフィセント
「眠れる森の美女」を原作とし、実写化した映画ですが、主人公をオーロラではなくディズニーヴィランズの「マレフィセント」にしたという、変化球的な作品です。
いろいろと言われているようですが、ボクはこのマレフィセントを主人公にするという決断とそれによってストーリーを再構築していったのは、素晴らしいアイディアだと思いました。
だいたい、原作の「眠れる森の美女」でマレフィセントがオーロラに呪いをかける理由がすごいと思いませんか?
「赤ん坊披露のパーティーに招待されなかったから」
その程度の理由で死の呪いをかけられてしまうのですよ。
たまったものではありませんよね。
まるでママ友カーストで無作法を働いたカースト下部の家庭に嫌がらせをして、挙句の果てに自殺に追い込む、といったレベルと同じではないでしょうか。
そこへいくと映画「マレフィセント」は、恋に落ちながら、出世のために裏切ったステファンへの復讐という、呪いをかける立派な理由があります。
また、マレフィセントは黒い角と黒い羽を持っているとはいえ、悪魔という位置づけではなく、あくまではじめから妖精という設定です。
ですので、ステファンへの復讐心はずっと心の中にあるものの、その娘とはいえ、完全に異なる存在のオーロラに心を通わせ、本来の優しさを取り戻すというのも、マレフィセントを主人公にしただけの、心理描写の深さを感じました。
こちらの映画こそ、「眠れる森の美女」をモチーフにした新しい切り口の映画として正当に評価されるべきで、アニメを実写化した映画として扱ってほしくない作品だと思いました。
そういう意味で題名を「マレフィセント」にしたのは大正解だと思います。
シンデレラ
シンデレラは原作を忠実に再現しようと試みた映画だと思いました。
が、映画というものの性質のため、そう意図したわけではなかったのかもしれませんが、中途半端に再現したのでは、と思われるところが目についてしまうのでした。
そのせいでシンデレラに対する感情移入が完全にできない、という問題を、ボク個人では感じてしまったと思います。
その中途半端に再現した形になったのは、シンデレラの年齢です。
もっと詳しくいえば、父親が後にシンデレラをいじめることになる継母と再婚したときのシンデレラの年齢です。
映画を見るにどう見ても十代後半、もしくは20代といったシンデレラ。
継母との結婚後、父親が死んで、召使いの身分に落とされますが、そのとき、なぜ、召使いの身分に落とされたことに甘んじていたのでしょうか?
父親は有能な商人で一財産を築いていました。
シンデレラの時代がいつ頃かははっきりしませんが、だとしても馬車が移動手段のメインとなっているような時代です。
縁故のない人が裸一貫で商人となって成功することはまずないでしょうから、父の代から、といった家系的な背景があってしかるべきではないでしょうか?
それがなかったとしても、父親の友人でビジネスを通して付き合いのある商人など、頼るあてはそれなりにないと、おかしい気がするのです。
そんな時代考証的な話と切り離して考えても、ここ最近のディズニープリンセスは、昔ながらのお姫様で、どんな苦難にも必ず現れる王子様の助けをじっと待つ、という性格ではありません。
最終的に助けを借りて、状況を優位にすることはあっても、その助けを得るために何らかの能動的な行動をする、自分でつらい状況に立ち向かうプリンセスが主流です。
それに比べ、2015年公開されたにもかかわらず、このシンデレラは何から何まで受動的で、少しイライラするくらいではないでしょうか?
シンデレラが召使いの落とされて、その運命を唯々諾々と受け入れている理由が理解できません。
これが10歳にもならない子供ならばわかりますが、十分に一人で生きていけるだけの年齢になっているような容姿をしていて、召使いという身分のまま、屋敷で継母と義理の姉たちと暮らしているのは、どうなんでしょう。
王子がシンデレラを探しにきたときも継母に閉じ込められてしまいましたが、それに対して抵抗するなり、脱出しようとするなり、の行動が見られず、閉じ込められた屋根裏部屋で踊って歌を歌うだけ。
原作に忠実に、は必要でしょうが、やはり、その時代の考え方にある程度、即していないと、視聴者から同情してもらったり、ハッピーエンドになってよかったな、と感情移入してもらうことはできないと思います。
そしてその結果、作品自体が低評価と印象付けられてしまうのではないでしょうか。
「美女と野獣」
シンデレラの失敗を見事に挽回したと思います。
まぁ、もともとベルと言うキャラクターは、村人から変人扱いされているほど、固定観念にとらわれない、自由なキャラクターでしたので、視聴者の感情移入は受けやすいでしょう。
それでいて、世界中の小さな女の子の憧れとなるような、ドレスで着飾って素晴らしく豪華な部屋でダンスを踊れるのですから、もう言うことないでしょうね。
「美女と野獣」が世界的に大成功を収めた理由がわかるような気がします。
ディズニーも実写化を何度もやってきていて、ヒットさせるための重要ポイントを押さえるノウハウを構築できたのではないでしょうか。
それくらい見事な作りで、個人的にも実写版の「美女と野獣」はお気に入りの一つです。
あえてここがちょっと、と思う点が2つ。
一つは、ベルを演じたエマ・ワトソンの歌唱力。
きれいな歌声ではありますが、歌唱力としては乏しいように感じました。
特に野獣やガストンを演じたダン・スティーヴンスやルーク・エヴァンスと比べても、声の響きが充分でないような…。
もう一つは城の道具達が人間のキャラクターと絡むと、どうしても道具が陳腐に見えてしまうこと。
いくら最新のCGを使ってもこの部分は仕方がないのかもしれませんが、アニメーションのように一大スペクタクル、というシーンには見えませんでした。
まとめ
正直、何を持って映画が成功したのか、失敗したのかは判断が難しいところです。
興行収入は発表されていますが、興行収入のすべてが制作会社の取り分というわけではなく、また撮影費用の中には宣伝費が含まれないので、単純に費用と興行収入を見比べて黒字、という結論になるわけではないようです。
さらに言えば、映画館での興行収入だけでなく、DVD化したあとの販売利益であったり、キャラクターグッズの利権などもありますので、それを含めると最終的にプラスであったかマイナスであったかは、一般人には全くわからなくなっています。
ただ、興行収入の点からみれば、ディズニーがこれまで制作し、発表した作品7作はすべて成功と言っていいでしょう。
評価の点では、芳しくない作品もありますが、万人受けする映画という物自体がレアな存在であると思いますので、評価が悪かったから失敗、というわけでもないと思います。
たとえば、「アリス・イン・ワンダーランド」は評価は満点の半分程度ですが、興行収入は10億超えしていますし。
たとえ評価が悪い映画でも、個人レベルでは面白かった、と感じる映画もあります。
というわけで、なかなか成功・失敗を論じるのは難しいと言わざるを得ません。
あえて言うのであれば、これまでのアニメの成功をうまく利用して実写版を出し、たとえ評価が悪くても更に利益を上げているディズニーの商売がうまい、というところでしょうか。
ボク自身も、なんだかんだと言いながら、「ダンボ」も視聴しましたし、「アラジン」も家族で見に行く予定にしていますから。
コメント