映画「ジュディ 虹の彼方に」はミュージカル映画の傑作「オズの魔法使い」で主役のドロシーを演じたジュディ・ガーランドの亡くなった年の前年、1968年にスポットを当てた作品です。
過去の栄光はあるものの、いくつもの問題を抱え、ついには破産寸前になっていたジュディが逆転を目指してロンドンでの公演を成功させようというストーリー。
実話を基にした映画ですが、その内容ははたしてどこまで実際に起こった出来事なのでしょうか?
今回は映画内容がフィクションなのかノンフィクションなのかを解説していきたいと思います。
映画「ジュディ 虹の彼方に」はどこまで実話?
映画「ジュディ 虹の彼方に」で登場したエピソードを10個取り上げ、それが実話を基にストーリーに組み込まれているかどうか、を見ていきます。
まずは簡単に、実話であるエピソードを紹介すると、
- ・ミッキー・デーンズと5度目の結婚
・ロザリン・ワイルダーという人物
・自殺未遂をしていたジュディ
・ショーの途中中断
・破産寸前の経済状況
・トラウマになっていたダイエットルール
・覚せい剤などの薬物服用
と、7つも実話を基にしたエピソードが入っています。
つまり、映画「ジュディ 虹の彼方に」は、かなり多くの部分がノンフィクションである作品である、といえるでしょう。
映画「ジュディ 虹の彼方に」のフィクションとノンフィクションを完全解説
映画「ジュディ 虹の彼方に」では、たくさんのエピソードが本当に起こった出来事を基にストーリーに組み込まれていました。
これから一つ一つ詳しく見ていきたいと思います。
ミッキー・ディーンズとの結婚: ノンフィクション
ジュディ・ガーランドは生涯で5度の結婚をしています。
そして最後の5度目の結婚は、映画にも登場したミッキー・ディーンズとのものでした。
結婚したのは1969年の3月15日、ジュディが亡くなったのが同年6月22日ですので、3か月とちょっとの間の新婚生活であったわけです。
映画で描写されているように、ミッキーは芸能人生命が終わりに近づきつつあるジュディのために、引退後も生活ができるような収入を確保しようと、現実でも動いていたそうです。
しかしそれが形となって現れる前に、ジュディが睡眠薬の多量摂取によって亡くなってしまった、というのが実話のようで、映画の中で描かれているような争いが二人の間にあったかどうかは、定かではありません。
また、実話としてジュディの死後、ミッキーはジュディ殺害に関与したのではないか、という疑いがもたれていた時期がありました。
というのも、ジュディが自宅のトイレの床に倒れていたところを発見されたのに対し、ミッキーの証言ではトイレに座った状態で亡くなっていた、と証言したからです。
ジュディの3番目の夫で、映画にも登場したシドニー・ラフトはずっとミッキーに疑いを持っていたそうです。
が、その疑惑は疑惑のままで終わり、ジュディの死は事故死もしくは自殺として決着したのです。
ミッキーはその後、晩年にジュディの遺品をオークションにかけるということをしており、また暴露本も出版しています。
ミッキーとの馴れ初め: フィクション
最後には結婚までしてしまうミッキーとジュディですが、その馴れ初めは、映画では娘ライザ・ミネリのパーティーで知り合ったことになっていました。
が、これは完全に映画用に作られたストーリーで、実話では結婚する3年も前に二人は出会っていたのです。
1966年にニューヨークのガーランドホテルに滞在していたジュディに覚せい剤を届けることになったのが、きっかけでした。
ジュディのホテルの部屋に薬をもって訪れたミッキーは、ジュディが娘と息子と一緒にいることに気が付き、子供たちに不安な気持ちを抱かせないよう、医者だと嘘の自己紹介をしたそうです。
そこから3年の付き合いを経て、二人は結婚することになるのでした。
ロザリン・ワイルダー: ノンフィクション
ロンドンでの公演に際し、プロデューサーはジュディにスケジュール管理のアシスタントをつけます。
それがロザリン・ワイルダーなのですが、実はこのキャラクター、実在する人物で、名前も本名をそのまま映画で使用したのでした。
2020年の今でもロザリンは、その時のジュディのことをはっきりと覚えており、インタビューでこう答えていました。
「私が見たジュディはとても苦しんでいて、すぐにでも壊れそうでした。自分自身でジュディ・ガーランドという存在でいることができない、という印象を持ったくらいです。」
「が、そんな不安におびえるジュディが舞台の袖からスポットライトの当たる中央に立った時から、あの伝説のジュディ・ガーランドへと一瞬で変わってしまったのです。」
「それはもう、まるで魔法を見ているかのような出来事でした。」
ジュディの自殺未遂事件: ノンフィクション
ロンドン公演のプロデューサーの強い要望で、医者に診察を受けた際、医者から自殺を考えたことはないか、と尋ねられるシーンがありました。
実はジュディには、過去に2度の自殺未遂を起こしていたのです。
一つは1948年に撮影・公開された「踊る海賊」の撮影期間中にうつによる将来への不安が止まらなくなってしまったそうです。
その結果、自殺騒動を何度もお越してしまい、その都度病院に担ぎ込まれたのでした。
2度目の自殺未遂は1950年。
前年から体調不良と不安定な精神状態に悩まされていたジュディは、出演が決まっていた映画の撮影に遅刻したり、現れなかったりすることが続くようになりました。
そしてそんなジュディにさじを投げた監督やスタッフ、MGMスタジオは、彼女の降板を決めたのです。
そんなことが数度続いたのち、ジュディはうつが高じて同じ不安に襲われ、自分で首を切りつけたそうです。
この時も何とか未遂で終わり、幸運にも命を落とすことはありませんでした。
観客がジュディの代わりに歌った: 可能性あり
映画の最後のシーン、彼女の代表曲でもある「虹の彼方に」を歌ったジュディが歌いきれずに涙を流すと、劇場にいた観客が後を引き継いで彼女のために大合唱をしてくれる、とても心に残る場面があります。
この映画のように、歌いきれなかったジュディのために観客が代わりに歌ったことは、公式な記録には残っていません。
では、映画用のフィクションなのか、というと、実際にこのようなことが彼女が行ってきたライブショーで一度も起きなかった、ということも言い切れません。
映画と全く同じシチュエーションが現実でも起こったわけではありませんが、完全に作り物、ということもいいきれないのが事実です。
ショーを中断してしまった: ノンフィクション
感動的なラストが本当に起こったかもしれないのに対し、映画の途中であった、開始予定時間より遅れて登場したジュディに対し、客がブーイングし、ステージにモノを投げつけたシーンは、残念ながら本当に起こったことでした。
しかもその様子はニューヨークの新聞に掲載され、詳しく報道されてしまったのです。
1969年の1月の新聞によるとジュディは開始予定時刻から1時間20分遅れて登場したそうです。
もちろん観客は怒り心頭。彼女にブーイングを浴びせます。
そんな状況で3曲を歌うのですが、その間ずっと、ブーイングは収まりません。
ついには観客の一人が舞台に上がり、ジュディに遅れてきたことを謝罪するように要求します。
それに対してジュディは、そんな観客を無視し、ステージから降りて控室へと無言で立ち去ったのでした。
破産寸前の経済状況: ノンフィクション
ストーリーは映画の冒頭から、晩年のジュディの厳しい状況を再現しています。
それは、「オズの魔法使い」で成功し、世界的に誰もが知っているジュディ・ガーランドという芸能人からは想像できないほどのもの。
実際にジュディは亡くなる数年前から50万ドル、2020年の価値に直すと4000万ドル以上もの税金滞納がありました。
この金額は為替レート1ドル110円としても44億円という大金になります。
映画にも冒頭で登場し、ジュディと一緒に舞台に出ていた娘のローナ・ラフトの証言ですが、ニューヨークのパレスシアターでの公演最終日、わざわざ国税局の局員が劇場までやってきてショーが終わった途端、ジュディが受け取るはずの公演の報酬を、すべて滞納金として徴収していったそうです。
1969年に亡くなった際には、イギリスでの公演を成功させ、自宅も購入していたとはいえ、ジュディの資産は4万ドルほど。
今の日本円に換算すると3000万円程度の金額だったそうです。
熱烈なファンとの夕食: フィクション
イギリスではまだ熱狂的なファンがたくさんいたジュディ。
ある晩、公演を終えた後、クラブから出てきたジュディを待っていたのは熱狂的な男性ファンのカップル。
そんな彼らを夕食に誘ったジュディでしたが、時間が時間なだけにどこも開いておらず、結局彼らのアパートにお邪魔して楽しい時間を過ごすことになりました。
とても心温まるシーンではありますが、このエピソードは完全に映画用に作られたもので、ゲイ男性カップルのファンも存在せず、彼らの部屋にジュディが訪問したこともありませんでした。
ただ、ジュディはこのような方法で、コアなファンとよく交流をしていたことは知られています。
そんな気さくな一面も、彼女が好かれた魅力だったのでしょう。
厳しいダイエットルール: ノンフィクション
映画の中で回想シーンとして若いジュディが、食べることにかなり制限されていたことを描写するシーンが数度、登場します。
実際に13歳でMGMと契約をした際、ぽっちゃり体形のジュディに対し、痩せることを盛り込んだ契約書が交わされました。
そのため、何、いつ、どのくらいを食べ、何を食べてはいけないのか、常に見張られており、しかもそれがトラウマとなっていたことを、年を取った後も事あるごとに語っていました。
幼少期の思い出として他のことはぼんやりと思い出すのに対し、この、今で考えれば虐待に近い食事制限はありありと思い出すことができる
とインタビューで語っています。
ジュディは若いころ、蔭口として「お下げ髪の子豚」といわれていました。
英語でお下げ髪のことを「豚のしっぽ」という「ピッグ テール」と表現することから、ドロシーのお下げ髪というジュディのイメージと重ね合わせた悪口です。
個人的には太っていると感じず、顔の輪郭が四角く、大きめに見える印象を与えるだけだと思うと同時に、いわゆる時代的に「女性はこうでないといけない」というステレオタイプの被害にあったのだと感じています。
覚せい剤服用の詳細: ノンフィクション
ジュディは生涯、覚せい剤を常用し、その症状に悩まされていました。
そして映画で描写されたように、母親から、そしてMGMから、覚せい剤の服用を強要されていたのです。
当時アンフェタミン系の覚せい剤は、強壮剤として合法で、薬局で購入できる薬でした。
そのためジュディが10歳になる前から、ステージでのパフォーマンスがより力強くなるという理由で母親から服用を命じられていたのです。
MGMに所属してからは、長時間の撮影に耐えられるようにという理由と、ダイエット効果がある、という理由で服用させられていました。
そしてアンフェタミンで高揚したのを鎮めるために、鎮痛睡眠剤を服用して眠るようになり、最終的にジュディの死は、この鎮痛睡眠剤の多量摂取による中毒死となるのでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
映画に使用されたかなりのエピソードが実際に起こったことをそのまま、使われていることが分かります。
最後にジュディの娘として登場したローナ・ラフトとライザ・ミネリについて。
二人とも母親の後を継ぐように芸能界で活躍しました。
ライザ・ミネリは1946年生まれで、ローナ・ラフトは1952年生まれ。6歳の差があります。
映画は1968年ですので、それぞれ22歳と16歳という年齢。
一方で映画に登場した二人ですが、ライザは22歳ぽく見えましたが、ローナは16歳というよりは、もっと幼いように僕には見えてしまいました。
まぁ、これをフィクション・ノンフィクションと言い出すのは、的外れのような気がしますので、ジュディの娘が映画内でいくつだったのか、の紹介だけで終えておきます。
しかしジュディの芸能人生は、目を覆いたくなるような悲惨さですね。
通常は華やかな世界しか見せていませんが、その裏ではブラック企業真っ青な労働環境に適応することでトップスターに居続けることができる様です。
ジュディは本当に幸せであったのか、そのことが気になってしまいました。
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