映画ジュディ虹の彼方にのネタバレ感想!ラスト結末でジュディは幸せになったのか?

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映画「ジュディ 虹の彼方に」は映画「オズの魔法使い」で一躍世界的スターになった十代のミュ-ジカル俳優ジュディ・ガーランドの伝記作品です。

とはいっても、若いころの思い出として回想シーンは出てきますが、ほとんどは死ぬまでの半年間にフォーカスを当てたストーリーとなっています。

その作りは、ジュディ・ガーランドの人生を知らないとかなり感情移入がしにくいストーリーになっていたと感じました。

そこら辺のことも含めて、ネタバレ感想を紹介していくことにしましょう。







映画「ジュディ 虹の彼方に」の予告動画はこちら

映画「ジュディ 虹の彼方に」の簡単なあらすじとキャストの紹介

それでは映画「ジュディ 虹の彼方に」の簡単なあらすじとキャストの紹介です。

映画「ジュディ 虹の彼方に」の簡単なあらすじ

「オズの魔法使」で知られるハリウッド黄金期のミュージカル女優ジュディ・ガーランドが、47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行ったロンドン公演の日々を鮮烈に描いた伝記ドラマ。

「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズのレニー・ゼルウィガーが、ジュディの奔放で愛すべき女性像と、その圧倒的なカリスマ性で人々を惹きつける姿を見事に演じきり、第92回アカデミー賞をはじめ、ゴールデングローブ賞など数多くの映画賞で主演女優賞を受賞した。

1968年。かつてミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨したジュディは、度重なる遅刻や無断欠勤によって映画出演のオファーが途絶え、巡業ショーで生計を立てる日々を送っていた。
住む家もなく借金も膨らむばかりの彼女は、幼い娘や息子との幸せな生活のため、起死回生をかけてロンドン公演へと旅立つ。

共演に「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のフィン・ウィットロック、テレビドラマ「チェルノブイリ」のジェシー・バックリー、「ハリー・ポッター」シリーズのマイケル・ガンボン。

「トゥルー・ストーリー」のルパート・グールド監督がメガホンをとった。

引用「映画ドットコム

映画「ジュディ 虹の彼方に」のキャスト紹介

ジュディ・ガーランド: レニー・ゼルウィガー

ロザリン・ワイルダー: ジェシー・バックリー

ミッキー・ディーンズ: フィン・ウィットロック

シド・ラフト: ルーファス・シーウェル

バーナード・デルフォント: マイケル・ガンボン

引用「映画ドットコム




映画「ジュディ 虹の彼方に」のネタバレ

僕はこの作品を視聴する前に、ジュディの人生についての予習をし、その予備知識をもった状態で臨みました。

そのため、結構すんなりとストーリーは入ってきて、このエピソードはジュディのこの部分を表現したくて含めたのか、とか、このエピソードは過去のこの出来事に関係しているか、などが、かなり簡単につながってみることができました。


が、一緒に視聴した妻は、ジュディ・ガーランドが「オズの魔法使い」に主演し、トップスターになった、くらいの知識しかない状態。

そのため、いろいろと裏設定の存在が気になるような演出の度に、この意味は?とか実はこうなのか?といった質問を独り言のようにぶつぶつ言っていました


つまり、ジュディのことを詳しく知っている場合は楽しめますが、それほど知らない人は、ストーリーの展開であるとか、思わせぶりな演出が気になってしまい、ジュディに感情移入ができづらい映画であったと思います。

僕も、予習をしてから見たものの、イギリス・ロンドンでの公演を映画のストーリーにしている、ということだけを知って視聴したので、てっきり、1950年にMGMスタジオとの契約を解消した後、みごとに復活を遂げた、最初のロンドン公演のことだと、勘違いしていました。

ですので、時代背景を理解するまでに少しの間、戸惑ってしまったのを覚えています。


かなりのエピソードの部分で実際にジュディ・ガーランドに対して起こったことや彼女がしたことをきちんと映画の中に取り入れています

もちろん、映画用として話をエキサイティングにするために、フィクションを取り入れているところもありますが、それはジュディという女性が死ぬまで抱えて、苦しめられていたトラウマを強調させたいがため、だと感じました。


映画内のエピソードがフィクションかノンフィクションかは、こちらの記事で詳しく
紹介していますので、気になる方は参考にしていただければ幸いです。

映画ジュディ虹の彼方はどこまで実話?フィクションとノンフィクションを完全解説!

映画「ジュディ 虹の彼方に」の感想

映画「ジュディ 虹の彼方に」を視聴して思ったのは、ジュディ・ガーランドという稀有の才能をもった女優が、ショービジネスという魑魅魍魎のうごめく世界の犠牲になったということでした。

彼女の両親がすでにエンターテイナーとして舞台パフォーマンスをしており、姉二人もその家族ビジネスに駆り出されていました。

そのことはジュディにとっても例外ではなく、彼女が2歳半の時にステージに立たされて、パフォーマンスをさせられています。

そこには、彼女の意思や選択は存在せず、文字通り、物心つく前から、それが当たり前であった状態です。


確かに芸能界での成功といえば、華やかなイメージはありますが、その裏のドロドロした闇があることは、今の時代でもだれもが知っているところ。

時代の変節によって多少は改善しているとはいえ、ブラック企業真っ青な仕事環境だったりするわけです。


奴隷的な契約に、パワハラ、セクハラは当たり前。

お金を稼ぐために、馬車馬のように働かせる環境に労働基準法なんてものもありません。

しかも売れたい、成功したいと願う働く側の人間が、それらを手に入れるために、自ら過酷な労働条件の中で、ぎりぎりまで頑張ろうとします。

1930年代、40年代という時代に20代にもなっていない少女が、スタジオ、母親に歯向かって自分の意思を貫けるわけがなく、彼らに「お金の成る木」として酷使され続けた結果が、映画中で落ちぶれてしまったジュディ・ガーランドの姿につながるのでしょう。


せっかくの彼女の才能も、それを生かそうとする周りの人々、特に肉親であるはずの母親から、正しい愛情をもってサポートしてもらえなかったことが、彼女の不幸な人生の根本的な原因なんだろうな、と思い、悲しい気持ちになってしまいました。




映画「ジュディ 虹の彼方に」のラストを考察 ジュディが幸せだとは思えない理由

そんなジュディの人生がトータルで見て幸せだったのか、と考えると、その答えは否定の比重が重いように感じました。


確かに他の誰にも成し遂げられなかった偉業を数々、達成しています。

亡くなった今での世界中で知られた大スターでもあります。

しかし生きていたジュディ自身は、本当に幸せだったのかどうか、を考えると、苦痛だった時のほうが長かったのではないか、と思えてしまうのです。


というのも、彼女が幸せを感じていられたときは、

    ・ステージでのパフォーマンスに対して称賛をしてくれる観客に相対しているとき。

    ・パーティーなどに参加して、みんなとわいわい騒いでいるとき。

    ・将来に対して不安を感じずに子供と時間を過ごしているとき。

なのではないか、と。

特に一人でいるときは、薬なしで眠ることができず、アルコールの摂取量も増えてしまう傾向にあったようです。

そしてその原因はMGMスタジオと契約したころからプレッシャーをかけられ続けていた見た目のコンプレックス。

それは「オズの魔法使い」で成功しても無くなることはなく、常に「太っている」、「醜いあひるの子」という指摘によって自己肯定感を得られなくなってしまったことでした。


そのため、常に成功していない、多くの人とわいわいと騒いでないとと不安になってしまうのだと思います。

その不安は過去にどれだけすごい偉業を達成したとしても、埋められることができないほどの闇となり、その闇を何とかして埋めようとした結果、薬物中毒で亡くなってしまったことにつながるのだと思いました。


幼いころから子の世界しか知らず、ショービジネスの世界で彼女が求める幸福感を得ようとした場合、それはいばらの道だと思います。

しかも自己肯定感の欠如というハンディは致命的で、どれだけ成功しても周りの称賛をもっともっと必要とし、それ以前の称賛では満足しなくなってしまう。

ジュディにとって芸能界そのものが、自身が最終的に抜け出せなかった麻薬のようなものだったのかもしれません。

まとめ

映画「ジュディ 虹の彼方に」は彼女を通して女優としてのパイオニアが立ち向かわなければならなかった芸能界の闇の歴史を見せてくれる作品だと感じました。

そんな中で、苦しみながらもたぐいまれなる才能で、ひとたびステージに立つと観客全員を魅了する真のスターの姿を、見事に描いていると思います。


ただ、惜しむらくは、ジュディ・ガーランドという人物のことをある程度知っていないと、内容に入っていけない作りになっているところ。

アメリカ人にとっては国民的スターであったことから、そこら辺の知識をもつ視聴者が多いので、問題はないのかもしれませんが、それ以外の国、特に日本などのアジアの国の視聴者に対しては、ちょっと不親切なストーリーになっているのでは、と思ってしまいました。











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