アニメ「逃げ上手の若君」において主人公の時行の腹違いの兄邦時は、実の叔父であり、家臣であった五大院宗繁に裏切られ、倒幕軍に捕まって斬首とされてしまいます。
時行を保護した諏訪頼重の忠義心に比べると、報奨金欲しさに甥を売り渡したとして鬼畜武士の代表的な一人として、後世に名を残しているのでした。
武士という、我々が考える理想像からすれば、お金欲しさに主君を売り渡すなど、まさに鬼畜の所業である、といえます。
が、実際、鎌倉は倒幕軍で溢れかえり、無事、邦時を逃すことなど不可能に近いという絶望の状況で、極度のストレスから悪魔が囁いても、それに乗ってしまう心の弱さに、個人的に同情してしまう部分もあります。
ただ、わずか7歳という(1325年12月生まれ、1333年7月死亡より)子供を守るどころか自分可愛さと報奨金に目がくらんで敵に売り渡すなどやはり鬼畜の所業としか思えません。
しかも血のつながった甥。
長い日本の歴史の中、五大院宗繁のように主君を裏切り、自身の利益のために鬼畜の所業をして、後世に名を残した武士は数多くいます。
今回はそんな裏切り者の有名どころを紹介していきたいと思いますが、同じような裏切りでも、五大院宗繁のように報いを受けた者、逆に時代に則した梟雄として有名になっている者、最後に裏切ることで大成功を収めた者に分けて紹介していこうと思います。
アニメ逃げ上手の若君五大院宗繁のように主君を裏切った鬼畜武士
五大院宗繁が胸糞な鬼畜武士である理由は、色々あると思います。
先に記したように、わずか7歳の甥を、かつて仕えていた高時の願いでもあったように無事に生き延びられるように守ってほしいと懇願され、それを受けたにも関わらず、報奨金にほしさに裏切ったことが、最大の理由でしょう。
他にあげれば、足利尊氏のような、源氏の名家出身というわけでもない、いわゆる親ガチャ失敗と言われる出身の宗繁が、出世できたのは、北条高時に使えていたから、という幸運に恵まれたからでした。
つまり、高時から目をかけられなければ、今のような出世はできなかったのです。
更に幸運にも彼の妹が高時の側室となり、嫡男を出産しました。
もしも邦時が高時の後を継ぐということになれば、宗繁は外戚となり、絶大な権力を震える立場になるわけです。
そんな境遇に有りながら、鎌倉幕府が滅び、北条家の残党を倒幕軍が血眼で探すという状況になってすぐ、宗繁は邦時を裏切り、売り渡したのでした。
このような背景を考えれば、報奨金を受け取れず、乞食のようになったという末路も頷けます。
主君を裏切った鬼畜武士の有名どころ一覧
長い日本の歴史の中で、いつもの動乱期が有り、日本中で戦が行われていました。
そしてそんな中、主君を裏切った鬼畜武士も現れます。
そしてそんな裏切りを武士の中でも、五大院宗繁のように報いを受けた者もいますが、中には時代が生み出した梟雄として人気のある武士も存在します。
更には、裏切りをしたものの、成功を収め、英雄として認知されている武士もいるのでした。
そんな有名どころの武士をあげていきたいと思います。
特に戦争が多かった戦国時代をメインとして紹介していきます。
主君を裏切り、その報いを受けた武士
五大院宗繁のように、裏切りをしたものの、その後その報いを受けた、有名な武士として、武田勝頼を裏切った小山田信茂を紹介したいと思います。
武田勝頼は戦国大名として有名で、最強との呼び声も高い武田信玄を継いだ人物でした。
が、時代の流れは織田・徳川のほうに傾き、遂には織田・徳川の大軍が四方から攻め込んでくることになります。
とても防ぎ切ることができなくなり、本拠地を捨てて家臣の城に逃亡しよう、ということになった際、小山田信茂が自身の城で保護することを進言するのでした。
その言葉を信じ、勝頼は自分の城に火を放ち、家族と家来を連れ、信茂のもとに向かいます。
が、信茂は勝頼から離反、反逆し、彼らに対し、鉄砲を向けて攻撃をしたのでした。
逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行は武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指します。
が、その途上の現在の甲州市大和町田野で滝川一益の追手に追いつかれてしまいました。
多勢に無勢で逃げることもかなわず、勝頼は嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害したのです。
勝頼を裏切り、武田氏滅亡の決定打を作り出した小山田信茂は織田信長に拝謁し、恩賞をもらおうとします。
が、会えたのは息子の信忠であり、小山田信茂が長年、武田家の家臣として主君の武田氏に仕えてきたのに、その武田家を裏切ったことを厳しく非難したのです。
そして、その場で小山田信茂の処刑を命じ、甲斐善光寺で、8歳の嫡男、老母、妻、3歳の娘とともに一緒に処刑されたのでした。
他にも、知名度は少し下がりますが、信長と敵対した朝倉義景(よしかげ)の従兄弟で家臣の景鏡(かげあきら)がいます。
朝倉景鏡は朝倉家のほとんどの主な戦に対象として軍を率い、織田軍とも弓矢を交えていました。
が、遂に朝倉氏滅亡の際、自身は仮病を使って出陣せず、義景が出陣することになったのでした。
その戦で、信長は暴風雨を利用して奇襲を仕掛け、義景を大敗せしめます。
織田軍に敗北した主君義景に対し、景鏡は自身の所領で再起を図るよう進言し、義景を六坊賢松寺に滞在させました。
が、景鏡は裏切って寺を包囲し、義景を自害に追い込んだのです。
その後、景鏡は信長に降伏し、信長の家来として取り立てられました。
が、半年もたたずに一向一揆との戦で討ち死にしてしまうのでした。
裏切ったものの梟雄として名を残した武士
主君を裏切った武士ということで言えば、例えばアニメ「逃げ上手の若君」で時行の敵となる足利尊氏もその一人でしょう。
彼は最終的に勝利者になるため、「裏切って大成功をした武士」になるのでしょうが。
戦国時代という下剋上が当たり前の時代、無能な主君を利用して自身が成り上がるという、梟雄と呼ばれる武士が数多く出現しました。
有名どころでも、
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・斎藤道三
・松永久秀
・宇喜多直家
等があげられます。
彼らは裏切りによって自身の家を大きくしていった者たちですが、どちらかというと裏切られた主君のほうが無能であったという評価を受けている気がします。
彼らや彼らの子孫が成功したのか、というと、その判断は人それぞれでしょうが、戦国時代という特殊な時代が生んだ英雄である、という評価は、万人が認めるところではないでしょうか。
裏切って大成功をした武士
最後に「裏切って大成功した武士」の紹介です。
さきほど「足利尊氏」はこの部類に入る、と言いましたが、他にも超有名どころでこの部類に入る人物が二人います。
それは「豊臣秀吉」と「徳川家康」です。
意外に思われるかもしれませんが、豊臣秀吉と徳川家康は主君を裏切って、天下統一、遂には江戸幕府を開いたのでした。
豊臣秀吉は織田家の家臣。
ですので、織田信長の敵討ちをした後、織田家を相続する当主に使えないといけない立場です。
信長が亡くなった際、跡継ぎの嫡男信忠も死んでいたこと。
その信忠の息子が幼児であったこと。
信忠の弟たちが秀吉に利用されるだけの能力しかなかったこと。
これらが合わさり、秀吉は、織田家を乗っ取って天下統一を果たしたのです。
つまり、主君を裏切って大成功を治めました。
同じく徳川家康も、最終的には豊臣秀吉の家臣という地位になっていますので、裏切って成功を収めました。
秀吉の遺児である秀頼をサポートし、ゆくゆくは秀頼に日本を治めさせないと行けない立場なのですが、秀頼が幼いことを良いことに、実験を握っていきます。
それに反発した石田三成による関ヶ原の戦いで、豊臣家を一大名にまで落としてしまい、その後、将軍に任命され江戸幕府を開いたのです。
そして、豊臣家を残しておいては幕府に禍根を残すと判断し、大阪冬の陣、夏の陣を起こさせて滅亡させてしまいました。
家康は秀吉と違って、豊臣家を滅亡させるまでのやり方が陰湿である、と後世に評価されています。
そのため、狸親父というあだ名が付いてしまっており、秀吉ほど大成功しているわけではないかもしれませんが。
まとめ
アニメ「逃げ上手の若君」で登場した鬼畜武士、五大院宗繁のように、主君を裏切った有名な武士の一覧をあげてみました。
もちろんここで上がった人物以外にも、主君を裏切った武士はたくさんいます。
が、その裏切った理由や背景、人となり等によって、鬼畜武士と言われたり、梟雄と認められたり、はたまた成功者として認識され、裏切りが非難の対象にならない人物もいるなど、それぞれが興味深い結末となっているのでした。
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