アニメ「地獄楽」に登場するキャラクター「ヌルガイ」。
「山の民」と書いて「サンカ」と呼ばれており、自分自身でもそのように発言しています。
ところでこの「サンカ」とは、いったいどういった人達なのでしょうか?
「山の民」というからには山に住む人々ということらしいのですが、それ以上の詳しい情報を調べてみましたので、紹介していきます。
地獄楽・サンカのヌルガイ
アニメ「地獄楽」に登場するサンカのヌルガイ。
作品の中では簡単に、サンカに対してこのような説明がなされています。
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幕府に帰順せず、独自の文化で山野を生きるものの総称。まつろわぬ民。
「まつろう」という言葉は「服従する、従う」という意味です。
その否定形である「まつろわぬ」は、「服従しない」という意味になります。
サンカは「山の民」のほかに「野人」と書きあらわされていました。
一方で、ヌルガイに初めて遭遇した幕府役人は、
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お前、えみしか?
と聞いていました。
さらに村で休憩させてほしいと頼んでいます。
このことから「えみし」と呼ばれる人々は幕府に従っており、幕府からも存在が認められている、と考えることができます。
ただし、サンカと呼ばれる人々が幕府に敵対し、独立を目指しているというよりは、幕府のことを気にしていないだけで、対抗したり、攻撃をする、という気持ちは持っていない様です。
幕府のほうが、一人勝手に目の敵にして、排除して回っている、と言ったところでしょうか。
サンカの意味は?
サンカについて調べてみると面白いことが分かりました。
サンカとは、日本にかつて存在していたとされている放浪民の集団に対して使われていた呼称です。
民族の区別があるわけではありません。
貧困のすえ、賤民になった多くの土着日本人が村や家、土地を捨てて、山地に逃げて住んでいたのが起源とされています。
明治期の警察が初めて、山地に住んでいる貧困な日本人集団をサンカと呼んで、公式記録の中に記載していました。
そしてその意味合いですが、特に警察の公式記録内では「山賊」とほぼ同義語で使用されていたのが分かっています。
どういう漢字で表記される?
「サンカ」を漢字で書き記す時には統一的な表記法はありません。
当て字により、
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「山窩」
「山家」
「三家」
「散家」
「傘下」
「燦下」
などと表記されていました。
「山窩」の「窩」という漢字は、
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あな。くぼみ。むろ。いわや。すみか。
を表す漢字であり、「穴」に対して特に「凹状になった穴」を表す際に使われます。
例でいえば、目に関する「眼窩」という言葉のような使われ方です。
山の洞窟に住む人々、という意味だと考えられます。
「山家」は山を家にして住む人々という意味でしょう。
「三家」は完全に当て字であると言えます。
一方で、「散家」、「傘下」、「燦下」とは、
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住む家屋を持たず傘や空を屋根とする屋外に住む存在という意味
で、用いられたと考えられています。
「サンカ」と「山人」の違い
日本には昔から人里離れた山の中に集団で暮らす人々がいたと考えられています。
そういった人々のことを「山人」と呼んでいたこともありました。
ですので「サンカ」も「山人」も、はじめは同じ様な意味で使われていた様です。
しかし日本の民俗学の祖として高名な柳田國男によって、「サンカ」と「山人」は別物、という考えが広まりました。
「山人」は、
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・やもうど
・やまびと
・さんじん
・やまど
・やまんど
と読まれ、その意味も、
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・山中で働く人「やもうど」。特にきこりや山菜取りなど
・山里に住む人。(やまびと)
・仙人・世捨て人。(さんじん・やまびと)
・山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。
と、多岐にわたっています。
そしてサンカも日本山中の社会集団を行う人々という意味で、「山人」の一つの意味となっていました。
そんな中、サンカという言葉は警察では「山窩」という言葉で山賊の同義語として使われました。
また戦前、サンカ小説で人気作家になった三角寛(みすみ かん)の代表作品、山窩小説三部作で描かれたスキャンダラスなイメージが「サンカ」という言葉に負のイメージを与えたと言えそうです。
サンカの歴史
実際にサンカと呼ばれる人々はどのようにして日本に住んでいたのでしょうか?
サンカの歴史をいくつかある説に沿って、紹介していきます。
古代難民説
古代難民説では、サンカ(山人)は原日本人、もしくは縄文人であると考えられています。
そうした人々が、ヤマト政権により山間部に追いやられた末、外界との接触を断って細々と生きながらえてきた、とする説です。
この説は、柳田國男が唱えた山人論を基にして発展してきたもので、サンカの人々は異民族としています。
中世難民説
中世難民説では、サンカは南北朝、戦国時代などの動乱の続いた室町時代に、遊芸民、職能集団が流れ着いて山で暮らしたことが始まりとする仮説です。
起源を比較的古くまで求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などが変化して「サンカ」となったということを根拠としています。
近世難民説
近世難民説では、サンカの人々のほとんどが、江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に、山間部に避難した人々であろうと考える説です。
サンカに関する記述が、近世末のころに、それも天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場することから唱えられました。
ちなみに天保の大飢饉は1833年に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化しています。
さらに言えば、時代的に、1837年に第11代将軍徳川家斉が隠居し、息子の家慶が第12代将軍を継いでいます。
ヌルガイの家族についての考察
ヌルガイの家族ですが、「じいちゃん」と呼ばれる老人しか、登場しません。
山の民として生まれ育ったようですが、実際には、山の民に生まれたのではなく、捨てられた子供を山の民が見つけて育てた可能性もあると思います。
何はともあれ、人数も多くない彼らであったでしょうから、村人全員でヌルガイを育てた可能性は高いと思います。
「じいちゃん」との思い出しか登場しませんので、両親といった人は存在しなかったのではないでしょうか。
まとめ
山の民といわれるサンカであるヌルガイ。
サンカとは、山奥深くに集団生活をしている人々のことの呼称でしたが、明治になると山賊と同義語として警察に使われるなど、差別用語の側面を有していた呼び名です。
その起源ははっきりとしておらず、太古の縄文人を祖先とするという説や、室町時代前後に集団で旅していた職業の者たちが山に住み着いたという説、さらには江戸時代の飢饉が起こったころに山に逃げた人々が起源とする説などが、あります。
アニメ「地獄楽」のヌルガイについては、江戸時代の飢饉が原因で、という説だと、年代的に合わないところが出てきてしまうため、「近世難民説」には当てはまらないでしょう。
また、ヌルガイの思い出のシーンでじいちゃんと呼ばれる老人との過去が明らかになっており、両親との思い出がないことから、じいちゃんと呼ばれる老人がメインながら、村全体でヌルガイのことを育てていたのでは、と考察されます。
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