アニメ逃げ上手の若君の諏訪大社が狩猟の神である理由を詳しく解説

アニメ逃げ若

アニメ「逃げ上手の若君」では、主人公北条時行は諏訪大社のある諏訪に身を隠します。

この諏訪大社ですが、狩猟の神としても崇められているのですが、その理由は何なのでしょうか?

今回は諏訪大社が狩猟の神として崇められることになった歴史的背景を詳しく解説していきたいと思います。







アニメ「逃げ上手の若君」諏訪大社が狩猟の神である理由

アニメ「逃げ上手の若君」が世話になっている諏訪大社は狩猟の神を祀っている神社でもあります。

諏訪大社が狩猟の神という側面を持つことの理由を調べてみると、興味深いことがわかりました。

諏訪湖の影響で狩猟文化が発展した

現在の長野県にある諏訪という地方、もちろん山に囲まれた地形から、古来より狩猟が生活の一部となっていたことは、想像に難しくないでしょう。

実際、同じく長野県にある野尻湖の周辺からナウマンゾウを狩っていたことを示す、獲物の解体場と思われるナウマンゾウの化石が大量に見つかっている、という事実もあります。


現在の諏訪湖に比べ、昔の諏訪湖の推移は今よりも高かったことが研究によって判明しています。

そのため、稲作や畑に適した耕地が今よりも少ないということになり、人口が増えるための食料を確保しようとした場合、狩猟による食料の確保をしないと生きていけない、という地理的制約がありました。

そのため、狩猟は他の地域に比べてより重要度が高く、土着文化の中に組み込まれていき、信仰の対象であった諏訪大社も狩猟の神として崇められることになっていくのです。

仏教の影響を受けず免罪符を発行

その後、日本に中国から仏教が入ってくることになります。

仏教では動物の殺生が禁じられていることもあり、当時の知識そうである貴族社会から動物を食すことに対して、禁忌である、という考え方が広まっていきました。

貴族の中で動物の殺生を禁じる考えが広まると、庶民にもそれを押し付けるようになり、動物を食すること、特に四足動物に対して食することを禁じる法令が施行されます。

それに合わせ、狩猟にて殺すことも禁止するという動きになっていきました。

ただ、以前より食料として流通していたイノシシやシカの肉食や狩猟は、馬や牛、犬などに比べると、禁止の対象にはなるのが遅く、また禁止とされた後も、その命令は徹底されていなかったようです。

結局、四足動物の肉食が庶民の間にも禁忌な行為である、として定着するには、仏教の教えが庶民の間にまで浸透するための時間を待つ必要がありました。


一方で諏訪大社は狩猟の神として崇められていたこともあり、狩りによって得た動物を捧げ物として祀る祭祀を古来から続けていました。

狩猟対象の中でも鹿や猪、魚や鳥が神前に捧げられました。

が、1230年代後半に定められた「諏訪上社物忌令」には、

    熊・猿・山鳥・かもしか・岩魚は、神聖である

という記述があり、お供え物としては避けられた事がわかっています。

諏訪大社が全国的に影響力を強めた出来事

鎌倉時代の1212年に、守護、地頭に対して鷹狩を禁止する、という令が発せられたことがありました。

しかしその際、諏訪大社の名において行われる鷹狩り、「信濃国諏方大明神御贄鷹」のみが除外されるとしたのです。

これにより、全国の武士が各地で、諏訪神社の分身・分霊を他の地に移して祭る勧請を行って、諏訪流鷹狩を催すようになりました。

こうした背景から諏訪大社が全国的に認知度を深め、影響力と高めたのです。

また、この流れによって、諏訪神党に属する根津氏により、鷹匠流派が確立するという動きも生まれたのでした。


また、稲作が全国的に広まった後でも、穀類が十分に生産できない山間地に住む人々など、何らかの理由で肉を食料とせざるを得ない人々が日本各地に生活していました。

そんな人々に対して、諏訪大社は「鹿食免(かじきめん)」と「鹿食箸」と呼ばれる肉食の免罪符を発行するようになります。

毎年、御師と呼ばれる諏訪神人を諸国を巡らせ、この「鹿食免」を配ったのでした。

更に、狩猟を生業とする猟師たちの殺生罪を取り除く「諏訪の勧文(かんもん)」と呼ばれる4句の偈を作り出します。

偈とは「げ」と読み、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたものをいいます。

「諏訪の勧文」は猟師の滅罪の唱文として全国的に拡まったのでした。

こちらがその「諏訪の勧文」です。

    業尽有情(ごうじんうじょう)
    雖放不生(すいほうふしょう)
    故宿人身(こしゅくじんしん)
    同証仏果(どうしょうぶっか)


小笠原貞宗が牝鹿を捧げるとした理由を詳しく解説

小笠原貞宗が後醍醐天皇より信濃守護を命じられた際、諏訪大社にやって来て諏訪頼重に圧力をかけました。

その際、諏訪大社に牝鹿を捧げると称し、巫女の耳を射抜く、という暴挙に及んでいます。

この時、なぜ貞宗は「牝鹿を捧げる」といったのでしょうか?


諏訪大社では鹿は古くから特別な動物として扱われてきました。

神に捧げる供物の一つとして、「鹿なくては御神事はすべからず」といわれるほど鹿肉は確固たる地位を築いていたのです。

例えば、

    ・中世の大御立座神事で供えられた75頭の鹿の頭
    ・鹿角製の宝印

      などが諏訪大社関連として見つかっており、他にも周りの遺跡より、鹿角で作られた剣の鍔や刀子の柄が発見されているのでした。


      鹿は、古来より森を象徴する動物と考えられていました。

      そして森は人間の侵入を拒む、自然の壁のような存在だったのです。

      そのため、人間が自身の生活範囲を広げるためには、森の中に入っていかねばならず、その森の中で主として君臨する鹿を倒すことで、その森を人間の生活範囲内に収めた、としたのでした。

      また、自然の恵みによって人としての生活も成り立っており、その恵みを与える森という存在、そしてその主である鹿を崇拝するという側面もあったのです。


      ただし、狩猟をする場合の鉄則として、狩る対象は雄に限る、というものがあります。

      雌を残しておけば、子を産み、将来の食料を供給してくれるわけですので、できるだけ借りの対象にはしないほうが良いのです。

      しかし小笠原貞宗は雌鹿を献じる、といって弓を射ました。

      この行為の意味について考察すると、子孫を残す雌を狩ることで、諏訪の子孫たちを滅し、諏訪という土地を自分たちが乗っ取る、という意思をあんに示したのではないでしょうか。

      まとめ

      アニメ「逃げ上手の若君」の舞台となっている諏訪大社が狩猟の神である背景を解説してきました。

      諏訪湖は今現在よりも遥かに大きな湖であったことが研究でわかっています。

      つまりそれは、農耕を行うための土地が少なかったことを意味するのでした。

      そのため、人口を増やすには農耕以外で食料を確保する必要があり、自ずと狩猟の重要性は他の地域よりも高かったということになります。

      そういった土地柄から狩猟の重要性が信仰の対象であった諏訪大社と結びつき、諏訪大社が狩猟の神でもある、という事になっていったのでした。


      また、仏教が日本に入ってくることで動物の殺生がいけないものである、という考えが広まります。

      それでも諏訪のように狩猟をしないと人々を養えない、という土地に住む人々は終了による殺生を許してもらえる何かを求めざるを得ませんでした。

      こういったニーズに諏訪大社は応え、免罪符を発行していた過去があります。

      狩猟や動物の殺生も、神事である、という理由で許してもらおうというわけです。

      仏教が全国的に、階層に縛られることなく広まれば広まるほど、狩猟の神としても諏訪大社が重宝がられ、全国に勧請されて、影響力を広めていったのでした。









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