アニメ「逃げ上手の若君」に登場した小笠原貞宗の補佐役である市河助房。
大きな耳を持ち、その耳を活かしてコウモリ並みの聴力を有します。
その聴力を駆使し、風間玄蕃とともに綸旨を盗み出そうと館に忍び込んだ時行らを発見、追跡を的確に行うのでした。
そんな市河助房の鬼名は「順風耳鬼」
一体そのような鬼なのでしょうか?
今回は、市河助房に付けられた「順風耳鬼」の元ネタを解説していきたいと思います。
アニメ「逃げ上手の若君」市河助房の鬼名「順風耳鬼」の元ネタ解説
人並み外れて優れた聴覚・聴力の持ち主である市河助房は、地面に耳を当てただけでその地面を伝う振動から様々な情報、例えば、
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・近くにいる人間の数
・それらの年齢
・行っているおおよその行動
などを収集することができるのでした。
また、たとえ目の利かない暗闇であってもコウモリのごとく、反響音で周りの状況を瞬時に把握して対応することもできます。
そのためにつけられた鬼名は「順風耳鬼」でしたが、この鬼の元ネタは何なのでしょうか?
「順風耳鬼」は道教の神
実は「順風耳鬼」は小笠原貞宗につけられた鬼名「千里眼」と対を成している二鬼神でした。
そしてその元ネタは道教。
媽祖(まそ)という、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神に仕える鬼神なのでした。
「順風耳」は赤顔、頭上に二本角という特徴を持つ外見をしています。
あらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせるのが役目でした。
一方、小笠原貞宗煮付けられた鬼名の「千里眼」ですが、こちらも媽祖に使える鬼神です。
その外見は緑顔、頭に一本の角という特徴を持っていました。
媽祖の進む先やその回りを監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目を持っているのです。
伝説によると、この二鬼神は、昔、悪さばかりして人びとを困らせていた妖術使いだったそうです。
そんな二鬼神は、媽祖によって調伏され改心させられます。
その後、この女神は、この二鬼神を取り立て、自分の守護を命じたのでした。
市河助房は地獄耳だった?
市河助房はアニメに描かれているように、本当に地獄耳だったのでしょうか?
市河助房のことを調べてみますと、実は実在した信州の侍であることはわかりますが、生まれた日や亡くなった日に付いての詳細は、どの記録にもありません。
彼が地獄耳を持ってアニメ内で時行を追い詰めた描写は、完全に創作だったのです。
市河助房の実像
市河助房は信州でも北部、新潟県と群馬県の県境に広がる、現在の長野県下水内群栄村にあたる地域を領土として持っていました。
「1321年10月24日に父の盛房より信濃高井郡志久見郷の惣領職を譲られる」
と「信濃史料」に記載があります。
長野県の北端に位置していることから、諏訪との距離も遠イノでした。
グーグルマップで、現在栄村にあるJRの駅、森宮野原駅から有料道路を利用しての移動を検索すると、約164キロという距離表示されます。
逃げ若時代の道路状況は、現在よりも悪く、また、車が通れない直線距離を走破しようとしても山岳国の長野ではそれが不可能であるため、情報伝達や移動はとても困難であったことが想像できます。
一方、小笠原貞宗の所領は、現在の松本市と伊那市あたり。
現在の長野県でいえば、松本市はほぼ中央に位置し、伊那市は中央からやや南下した場所となります。
どちらも諏訪に近く、距離にして約40キロといったところ。
このため、諏訪氏とのいざこざが発生しやすい状況であったことは、想像に難しくないでしょう。
しかしアニメのように、市河助房が事あるごとに小笠原貞宗の側で行動をともにしている、というのは不自然極まりないとしか言えません。
市河助房は小笠原貞宗の家臣ではなく、守護と地頭という役目の立場から職務上の上下はあっても、貞宗が助房に細かいことまで命令を下すことはできないのです。
新田義貞の挙兵に加わって鎌倉幕府滅亡のための合戦に参加していますが、小笠原貞宗とともに戦ったという記録が残っているのは、1335年3月。
それも後醍醐天皇の綸旨によって、敵軍を討つために、守護である小笠原貞宗の加勢をするようにという命令のため、馳せ参じたのでした。
それ以後、市河助房は小笠原貞宗とともに、足利尊氏派の武将として、北条残党軍や、後醍醐天皇派の南朝軍と戦うことになります。
新潟に近い位置の領主であったことから、長野での戦闘の他、新潟や北陸の戦闘にも参加している記録が残っています。
まとめ
市河助房の鬼名「順風耳鬼」の元ネタを解説してみました。
元ネタは中国の道教に伝わる女神、媽祖に仕える二鬼神の一人。
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「あらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持つ」
- 」
とされています。
さらに伝説によると、「順風耳」は「千里眼」というペアの二鬼神で、昔、悪さばかりして人びとを困らせていたが、媽祖が改心させ自分の守護を命じて取り立てたとされているのでした。
また、市河助房は現在、新潟県と群馬県都の県境に位置する長野の北端の村栄村を領地とする地頭でした。
鎌倉討幕には新田軍に参加しており、足利尊氏が後醍醐天皇と離反したあとは、小笠原貞宗とともに、足利派として戦闘に参加しています。
信濃守護である小笠原貞宗の軍に参加して戦争を行っていることが多いのですが、実際には小笠原貞宗の家来というわけではなく、どこまで親密な関係性があったのかは、不明です。
アニメのようにまるで家来のように、何かと行動をともにしているとは考えにくく、あくまでアニメの描かれ方はフィクションである、と考えるのが良いでしょう。
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