アニメ逃げ上手の若君で弧次郎や亜也子が瘴奸の鎧に苦戦した理由を考察

アニメーション

アニメ「逃げ上手の若君」で悪党集団「征蟻党(せいぎとう)」の首領である瘴奸相手に弧次郎と亜也子の攻撃が全く効かない描写がありました。

結果的に瘴奸の相手は時行に任せ、弧次郎と亜也子は瘴奸の手下たちと戦闘を行います。

二人が瘴奸との戦いで死にかけたほど、苦戦をした理由は、アニメの中で説得力のある解説がなされているのですが、じつは、その説明は正確ではなかったのでした。

今回は、その部分を解説し、なぜ二人が瘴奸相手の戦いに苦戦をしたのかの理由を考察してみたいと思います。







アニメ逃げ上手の若君で弧次郎や亜也子が瘴奸の鎧に苦戦した理由を考察

アニメ「逃げ上手の若君」で鎧を着込んだ瘴奸相手に弧次郎と亜也子は、二人がかりで斬りかかります。

が、彼らの攻撃は鎧によって受け止められ、それによって生じた大きな隙をつかれて、討ち取られるとことでした。

刀の攻撃は鎧を貫通することができないため、打ち込まれても対処しなくてよい、とされ、逆に攻撃のために生じた姿勢の崩れを利用して、相手を討ち取ればよい、と説明されています。

が、調べてみると、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけての鎧は、上記のような戦い方を想定した作りにはなっていないことがわかったのです。

鎌倉時代の鎧は対弓矢用

平安時代末期から源平によって行われた合戦の数々で、武士は戦ではまず、弓矢にて戦いを繰り広げました。

その後、リーチの長い薙刀や大太刀といった武器で戦う段階になり、最後には組討で相手のとどめを刺す、という3段階を想定していたのです。

そのため、武士がつける鎧は、まずは弓矢に対して、体を守ることが最重要視されました。

また、騎乗で弓矢でもって相手を撃ち抜くという動作が基本とされたことから、重たい鎧も馬がその大半の重量を支えるという考えから、さほどマイナスとは考えられていなかったようです。

実は頭部への打撃に弱い

しかし戦の様相が、騎乗の弓矢で技量を競うというものから、白兵戦がより頻繁に起こるという風に変化してきます。

それに合わせ、馬から降りたあとでも戦えるような鎧に改良されていきました。

つまり、鎧の隙間を防ぐような防具が発達したのです。

このため、攻撃側は鎧の隙間を狙う戦法が難しくなり、新たな作戦を考える必要が出てきました。

そしてその結果、太刀や薙刀で持って、兜を装備した頭部をめがけてぶん殴る、という方法が実用化されます。

なんと、それまでに兜は中に緩衝材が存在せず、更に頭部にしっかりと固定もされていなかったのでした。

いわゆる、鉄のバケツをかぶった頭めがけて、硬い木の棒でぶん殴るとどうなるか、という状況を想像してもらうと、わかりやすいと思います。

たとえ兜をかぶっていたとしても衝撃は大変なものがあり、下手をすればそれだけでお陀仏、良くても脳震盪は確実です。

そうして地面に倒れ込んだ相手を組み伏せ、短刀によってとどめを刺す、という流れになるのでした。

鎧武者との戦闘に慣れていなかっただけ

弧次郎と亜也子が瘴奸に対して切りつけた際、兜から垂れる錏(シコロ)にあたって防がれています。

錏は肩から首筋にかけてを守る防具であり、そこへの打撃では脳震盪を期待できません。

今で言う小学生が刀を持って大人に切りかかっているわけですので、その身長差から頭部への攻撃が届かなかったと考えるのが納得がいくのではないでしょうか。

瘴奸が着用していた鎧は、かなり身分の高い武士でなければ身に着けられない代物。

弧次郎や亜也子がこれまで対峙した敵が身につけていなかった可能性は高いと思われます。

であれば、鎧を着込んだ相手に対する有効な攻撃や、注意しなければならないことを知らなかった可能性があり、それ故、安易に攻撃を加えて鎧で防がれ、返り討ちにあいそうになったと考えるのが自然ではないでしょうか。

一方で、慣れていないといえば、人間は下からの攻撃に慣れていないものです。

身長差を利用し、この点を考慮して、例えば顎に向かっての攻撃を試みていれば、案外、面白い結果になった可能性はあったのではないでしょうか。

まとめ

瘴奸が着用していた鎧は、実際には弓矢を防ぐために発達してきたという背景があり、しかも騎乗戦闘を前提に作られたものであったことがわかりました。

アニメでは弧次郎や亜也子の攻撃を避けもせずに、鎧で受けていますが、実際にそのようなことをした場合、切られることはありませんが、打撃によるダメージは躯にうけてしまいます。

特にその打撃が頭部に加えられれば、脳震盪を起こして地面に倒れ込んでしまう可能性は高く、実際に、このような方法で敵を討っていたのでした。

弧次郎や亜也子がこの方法を用いれなかったのは、単に彼らが甲冑武者との戦闘方法を知らなかったから、と考えられます。

また、現代で言うところの小学生と大人との戦いですので、身長差より頭部への攻撃が難しかった、とも言えるのではないでしょうか。









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