アニメ「逃げ上手の若君」で信濃の国にて時行の敵となる小笠原貞宗は、弓馬術に優れた武将として描かれています。
彼が形成した武術の流派は、現代まで伝わり、今でもその技術を稽古している人々がいるほど繁栄しているのでした。
小笠原貞宗が形成した武術やその流派について調べてみると、面白いことがわかりましたので、紹介したいと思います。
アニメ「逃げ上手の若君」の小笠原貞宗が形成した武術流派は何?
アニメ「逃げ上手の若君」の小笠原貞宗は武術流派を形成したと説明されています。
その流派は、というと時行と勝負をした弓馬術でした。
そして抜群の腕前を有していた弓術も、現代に武術として伝わっています。
が、詳しく調べてみると、かなり興味深いことがわかりました。
小笠原流弓馬術は将軍の師範
小笠原弓馬術について調べてみると、
・小笠原家の初代小笠原長清を流派の始祖とするもの
・中興の祖として伝えられている、アニメ「逃げ上手の若君」に登場する7代目小笠原貞宗を始祖とするもの
・、小笠原氏の遠祖である貞純親王(さだずみしんのう)を始祖とするもの
などの説があるようです。
江戸時代の寛政年間に幕府によって編集された大名や旗本の家譜集である「寛政重修諸家譜」等で述べられている小笠原氏」の家伝によれば、小笠原氏は遠祖の貞純親王以来の「糾法」(きゅうほう、弓馬術礼法)を代々伝えていたとされています。
そして鎌倉時代には初代の小笠原長清が源頼朝の、2代小笠原長経が源実朝の糾法師範に命じられたと記されているのでした。
小笠原貞時は中興の祖
アニメ「逃げ上手の若君」でも述べられていたように、7代目の小笠原貞宗は後醍醐天皇より、
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「弓馬の妙蘊に達し、かつ礼法を新定して、武家の定式とするなり」
という御手判を賜ります。
また「王」の字の紋を与えられ、これが現在にも伝わる三階菱の家紋となるのでした。
さらに貞宗は赤沢性でも知られる一族の小笠原常興とともに「修身論」及び「体用論」をまとめ、今日の小笠原流の基礎を築いたとされています。
室町、戦国を経て江戸時代から現代まで伝わる
その後、品の守護職は貞宗から子どもの政長、孫の長基、ひ孫の長秀へと受け継がれますが、この長秀の時代、信濃で大きな反乱が起きてしまいます。
この戦に長秀は敗れ、京都に逃げてしまうのですが、ここから信濃小笠原氏と京都小笠原氏に分かれ、京都小笠原氏の長秀は、小笠原流礼法をより体系的にまとめ上げていくのでした。
長秀は、今川左京大夫氏頼と伊勢武蔵守憲忠と共に「三議一統」を編纂し、武士の一般常識をまとめたのです。
さらに18代小笠原貞慶は、「三議一統」の後に加えられた記述を足し、武家礼法を「小笠原礼書七冊」としてまとめたのでした。
戦国時代には武田家の信濃侵攻によってお家存続の危機が訪れます。
そのため、一族筋に当たる小笠原貞経に小笠原家の弓・馬・礼の三法の総取り仕切り役を正統に継承したのでした。
その後、小笠原貞経は徳川家康に仕え、江戸幕府が開かれた後も歴代将軍に仕えて、小笠原流礼法を継承し続けます。
更に第8将軍徳川吉宗の命により、弓馬術も復活し、以後、代々騎射師範としてもその技を伝えていくのでした。
現代も小笠原流礼法及び弓馬術と弓術は伝えられており、特定非営利活動法人 小笠原流・小笠原教場がその技を伝えています。
小笠原流礼法、弓馬術と弓術
小笠原流礼法の一部である弓馬術と弓術が、いわゆる武術に当たる部分ですが、この騎射術と弓術のみを学ぶことは、小笠原流礼法の本質から外れると言う考えが基本にあります。
礼法とはいえ、「作法のための作法」ではなく、無駄のない合理的な動作を身につけることを目的としています。
この基本というべき礼法の動作をマスターした後、その動作を弓術に取り入れたものが「歩射」と呼ばれる弓の射撃術になります。
礼法で身につけた基本を、射撃という動作の中で応用して使っていく、という考えの元にあるのでした。
そしてその次の段階が騎射と呼ばれる弓馬術です。
流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおいもの)の3種目がありますが、現在は犬追物は実施されておりません。
流鏑馬、笠懸とも馬を疾走させながら、弓矢で的を射るのですが、流鏑馬が的3つに対し、笠懸が的一つという違いがあります。
その他に流鏑馬のルールとしては、
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・馬を疾走させる直線区間は通常2町(約218メートル)
・進行方向左手に間を置いて3つの的を設置
・馬場から的までの距離は5m前後、的の高さは2m前後
・射手は、狩装束を纏い、馬を疾走させ、連続して矢を射る
といったものがあります。
一方笠掛は、
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・馬を疾走させる直線区間は1町(約109m)
・馬場本(馬場のスタート地点)から33杖(約71m)の地点、進行方向左手側に的を設置
・的と射手との距離は10-15間(約18-27メートル)
といったルールです。
笠懸のほうが、より実戦的。
標的も多彩で技術的な難度が高いのですがが、格式としては流鏑馬より略式となります。
歴史的に見ても余興的意味合いが強い競技だと言われています。
ちなみに「笠懸」の名称は、自らの笠を的にしていたことから名付けられたと言われています。
犬追物のルールですが、
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・競技場は竹垣で囲われた40間四方の平坦な場
・馬場に36騎の騎手(12騎を1組とする)で競う
・2騎の検分者(「検見」といわれる)、2騎の喚次が審判
・馬場に150匹の犬を投入し、所定の時間内に騎手が何匹犬を射たかで争う
・矢が貫かないよう「犬射引目」(いぬうちひきめ)という特殊な鏑矢を使用
・打ち方や命中した場所によっていくつもの技が存在
・検見や喚次によって判定され、得点が異なった
となっています。
まとめ
アニメ「逃げ上手の若君」に登場する小笠原貞宗が形成したとされた武術について、調べて分かったことを紹介しました。
弓術と弓馬術がその武術になりますが、小笠原礼法として礼法の一部という形で現代に伝わっており、弓術や弓馬術だけで独立する技術では有りません。
礼法にて基本である、
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無駄のない合理的な動作
を身につけ、その基本を応用して武士として必要な弓術の腕を磨く。
その後、もう一つ武士として必要な馬術を組み合わせ、馬に乗ったまま、弓術の腕を競い合う、というものになります。
弓術、弓馬術は今現在も伝わっており、礼法とともに学ぶことができるのでした。
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