アニメ「逃げ上手の若君」で北条時行を鎌倉幕府滅亡の際、救い出したのは諏訪頼重という神主のようでも有り、武士のようでもある、不思議な人物でした。
彼は今の長野県である信濃国の諏訪を中心に信濃国を治める北条家の御内人という家来で、時行の父高時から時行の保護を頼まれていたのでした。
武士のような、神官のような、奇妙な立場の諏訪頼重ですが、今回はこの諏訪頼重に付いて詳しく解説していきたいと思います。
アニメ「逃げ上手の若君」に登場する諏訪頼重
諏訪頼重は歴史上実在した人物で、北条時行を保護し、その後、彼とともに足利尊氏相手に戦いを繰り広げていく人物です。
アニメではかなりぶっ飛んだ性格をしていますが、いざとなると頼りになるし、未来予知などの人間離れした能力も持ち合わせています。
彼が超能力のような力を使える理由は、諏訪大社の神官であるから、ということになっていますが、実際、諏訪大社の神体は、代々諏訪氏出身の大祝(オオホウリ)が現人神として崇敬されていたのです。
諏訪大社の神体は現人神の諏訪明神
諏訪大社と一口に言っても、現代において諏訪大社は上社と下社に分かれています。
上社は諏訪湖の南岸にあり、下社は北岸に位置していて、その距離は車移動で約20分程度。
上社と下社、それぞれに二宮ずつ鎮座しているため、すべてを回っての観光をするとなると5時間半から6時間が目安となっています。
上社は今でこそ、本宮と前宮がありますが、明治時代の始めまで本宮が有りませんでした。
それというのも諏訪大社の神体が諏訪氏出身の大祝が上社の神体、つまり現人神であるとされてきたためです。
諏訪大社は諏訪明神を祀っているため、現人神である諏訪氏の大祝が明神様として崇められている、ということになるのでした。
ちなみの大祝とは諏訪大社の中で造られた職名で、鎌倉時代の初期に、
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大祝、権祝、擬祝、副祝
などの職名で階級分けされていたことが分かっています。
「祝(ほうり)」という言葉が、古代以来神社に奉仕して祭祀に従事した神職のひとつを表しており、つまり、神道において神に奉仕する人の総称です。
仏教における「お坊さん」というところでしょうか。
諏訪神党に付いて解説
諏訪頼重が時行に自慢していた「諏訪神党1万騎」が、頼重のことを明神様と呼んでいました。
この諏訪神党とは、鎌倉時代に諏訪氏を中核として、諏訪明神の氏人である諸族が同族的な結束力を持った集団と解釈さています。
「氏人」について調べると、
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古代、氏の上(かみ)に率いられる氏の構成員。氏の上のもとに氏神を祭り、部民(べみん)などを配下に置いて農業に従い、戦時には兵士として戦った。
と出てきます。
「氏の上」とは同じ苗字を名乗る同族の内、いわゆる本家、と言われる家なのですが、古代では、それ以上の権力がある立場となるようです。
「氏の上」について調べてみると、
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古代における氏(うじ)の首長。
大化の改新以後は朝廷によって任命され、宗家として氏人を統率して朝廷に仕え、氏神の祭祀、叙位の推薦、処罰などをつかさどり、一定の政治上の地位を世襲した。
となっています。
ただ単に本家、というだけでなく、同族の中でも政府に認められた実力者、ということになります。
そんな力を持った諏訪氏を棟梁に掲げた、諏訪氏の係累にあたる血族が諏訪神党という存在なのでした。
更に調べてみると、諏訪神党はもちろん信濃国内に多く存在しています。
が、鎌倉時代に北条氏の家来である御内人になったことから全国に社領を拡大し、多くの一族が全国に拡散していったのでした。
地方の領主で諏訪神党のメンバーは、
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・駿河国の滋野氏系の安部氏
・丹波国の上原氏
・出雲国の牛尾氏
・薩摩国の上井氏
などが諏訪氏の一門に該当するそうです。
アニメにおける正しくない描写
アニメにおいて頼重に対し、諏訪神党が明神様とよんでいる描写があります。
が、厳密に言うとこれは正しくない描写であることがわかりました。
諏訪大社の大祝が現人神として神体となり、信仰の対象となるため、大祝を継承すると人としての行動がかなり制限されていたのです。
大祝は即位後、穢れに触れてはいけないと定められていました。
そのため、厳しい禁忌に服し、心身を清浄に保つ必要があったのです。
さらに、在位している最中は諏訪郡から外に出てはならないとされました。
これは、諏訪大社に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)が、神話において武甕槌神(たけみかづちしん)に諏訪から出ないと誓ったという神話と、この掟が関係しているのでは、という説があるそうです。
そして歴史上、諏訪大社の大祝を務める役は、童男をあてる例が多かったのです。
この理由として、
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諏訪明神である建御名方神が、8歳の童男に御衣を着せて自分の「御正体」(いわば身代わり・依り代)として神格化させた
という伝承が有り、この童男が初代大祝であるとされているのでした。
このことから、時行救出のため、鎌倉まで現れた頼重が、この時期、大祝であったことは難しいと言わざるを得ません。
また、大祝職についていない頼重は、厳密にはすでに明神様ではないことになり、その時に大祝職についていた諏訪出身の人物こそ、明神様となるのでした。
まとめ
アニメ「逃げ上手の若君」で諏訪頼重が諏訪神党から明神様と呼ばれている理由について解説してきました。
諏訪大社の神体は、明治時代のはじめまで、神官である大祝職についている人物が、現人神として信仰の対象になっていました。
その大祝職は諏訪氏出身の人物しかなれず、そのため、諏訪氏は信仰対象として絶大な権力を握っていたのです。
諏訪家当主であった頼重に対し、諏訪神党が明神様と呼んでいたのは、こういった背景があったからでした。
が、よくよく調べると、厳密には諏訪大社の大祝職は初代大祝を努めたと伝えられている8歳の童男の例から、幼少の男子がつくことが多かったことがわかりました。
また、現人神として大祝は即位後、穢れに触れてはならす、厳しい禁忌に服して心身を清浄に保種ばなりませんでした。
また、在位している限りは諏訪郡より外に出てはならないとされていたのです。
このことから頼重が時行を鎌倉から救って諏訪につれてきた際には大祝ではなかった事になります。
そうなると厳密には、明神様と呼ばれるべき諏訪家の人物は他に存在し、頼重が明神様ではない、ということになるのでした。
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