映画1917命をかけた伝令での内容は実話?ドイツ軍が取ったアルベリッヒ作戦を戦争経過も交えて解説!

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映画「1917 命を懸けた伝令」は第一次世界大戦のイギリスとドイツの戦いを題材にした作品です。

アカデミーで撮影賞、視覚効果賞、録音賞を受賞したのもうなずける迫力のある映像が楽しめる作品でもあります。

そんな映画「1917 命を懸けた伝令」ですが、物語の舞台となったドイツ軍のアルベリッヒ作戦とはいったいどういったものなのでしょうか?

今回はその解説を、ドイツ軍がなぜ、そんな作戦を取らなくてはいけなくなったか、という第一次世界大戦の戦争経過も交えて解説していきたいと思います。







映画「1917 命をかけた伝令」のアルベリッヒ作戦とそれにつながる第一次世界大戦の戦争経過について

それではアルベリッヒ作戦を説明するにあたって、第一次世界大戦がどのように始まり、1917年4月6日までにどのような戦争経過であったのか、を説明したいと思います。

第一次世界大戦の始まり

第一次世界大戦は、主戦場がヨーロッパであったことから日本とはそれほど関係のある戦争のようにとらえられていないのではないでしょうか。

特にその後の第二次世界大戦では日本は太平洋とアジアを中心に主要な国として戦争をしていたので、そのインパクトは絶大です。

それに比べれば第一次世界大戦では本土を攻撃されたわけでもなく、一応戦勝国ではあるものの、勝組になった、という事実もそれほど記憶されていない気がします。


第一次世界大戦の始まりについて、歴史の授業などで習うので覚えている方もいるかもしれませんが、直接はオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺されたことがきっかけです。

が、それはあくまできっかけに過ぎず、それ以前から敵対するグループというものができてきており、何かのきっかけで戦争に突入する恐れはあったのです。


まず第一に挙げる原因としてはドイツとフランスの関係が挙げられます。

国として最近ようやく統一したドイツの実力はどんどんと上がってきていました。
一方ドイツが統一するきっかけの一つとなった戦争で負けたフランスはその時の恨みを持ったまま。

フランスからすれば、過去の恨みがあるところにそのにっくき相手がどんどんと実力をつけ、さらなる脅威になっていたのです。

このドイツに対して対抗意識を燃やさないわけがありません。

とはいえ、1対1でやりあったらフランス側の不利は確実でしたので、仲間を募ってドイツに対抗したいと考えます。

その相手として最適なのがロシア。

ロシアと手を結べれば、ドイツを挟み撃ちにすることができるからです。


ロシアとドイツの関係はというと、ドイツは何とかロシアがフランス側に行かないように腐心していました。

有名な鉄血宰相ビスマルクの基本方針として、ロシアとは友好関係を維持し、フランスを孤立させる、というものがあります。

ビスマルクが現役の時はこれがうまくいっていましたが、彼がいなくなると、ロシアとドイツの関係に問題が生じ始めます。

というのも、ロシアはバルカン半島への影響力を強めようとしていました

当時バルカン半島はオスマン帝国のものでしたが、オスマン帝国は往年の力を失い、バルカン半島への影響力をどんどん失なっていたのです。

その代わりにバルカン半島に進出していったのが、ロシアとオーストリア=ハンガリー帝国

もちろん、この二か国間での緊張が高まります。

ところでドイツは同じゲルマン民族でドイツ語を話すオーストリア=ハンガリー帝国と密接な関係を持っていました。

つまり、ドイツはロシアとオーストリア=ハンガリー帝国が仲たがいをした場合、どちらを取るか、決断しなくてはならなくなってしまったわけです。

本来であれば、どちらかを取らないといけない、というような状況に陥らないように、常日頃から外交努力をしていないといけないのですが、ビスマルク亡き後のドイツは、愚かにもこの状況になるまで、大した手は打たず、結果ロシアとフランスが同盟を結ぶまでになってしまったのです


さてイギリスの状況ですが、往年の力を失いつつも、それでも世界一強い海軍は健在。

世界中に所有している植民地の利権をきっちりと握っています。

そこに最近台頭してきたドイツが、イギリスのライバルとなりつつあることに警戒をしていました。

その対策として、直接ドイツと手を結ぶよりも、ドイツに対抗しうるドイツより弱い勢力に味方し、ヨーロッパ大陸で拮抗した関係を維持してくれていたほうが、ドイツがヨーロッパ外に目を向ける余裕がなくなるという理由で、フランス&ロシアの支援をする方針を固めます。

また、イギリスとして、本土防衛にはイギリス対岸に当たるオランダ・ベルギーの存在は安全保障上、必須条件でした。


かなりざっくりと説明しましたが、当時のヨーロッパの情勢はこのような感じであったといえるでしょう。

そんな情勢で、バルカン半島でオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺されます。

これは、オーストリア=ハンガリー帝国の介入に反対するセルビア勢力によるテロ行為でしたが、オーストリア=ハンガリー帝国はこの事件を理由にセルビアに宣戦布告をします。

セルビアはこれに対抗するために同じスラブ人ということでロシアに後ろ盾になってもらうように働きかけます。

バルカン半島に対する影響力をより強め、できればオーストリア=ハンガリー帝国の影響力を排除したいと考えていたロシアはこの機会をチャンスとして戦争する決意をします。

ロシアが戦争状態に入ったとなると、その同盟国のフランスも戦争に介入する口実ができるわけです

そしてオーストリア=ハンガリー帝国の同盟相手であったドイツに対して、以前に戦争して負けた際に割譲させられた地域の奪還をもくろむという下心で、ドイツに対して戦争を仕掛けるのでした。


そんな状況ですのでドイツも黙ってみているわけにはいきません。

同盟国のオーストリア=ハンガリー帝国を救うべく、ロシアやフランスと戦う必要があります。

が、挟み撃ちされるような地理的状況の中、どのような方法をもってすれば、ロシアやフランスに対抗することができるのか?

その作戦は戦争前から研究されていたのですが、その作戦を実行に移すことでドイツはイギリスとも戦う羽目になってしまったのです

ドイツの想定戦略と現実-映画ストーリーにつながる実話

ドイツとしてはフランスとロシアから挟み撃ちされれば、大変なことになります。

ですので、挟み撃ちされないようにしないといけません。

ドイツはフランスとロシアと戦争になった場合の作戦としてシュリーフェン・プランが想定されていました

簡単にこの作戦を説明しますと、フランス、ロシアいずれかにおいて動員が下令された場合、直ちにドイツも総動員を進めてベルギーを通過してフランス軍を破り、返す刀で動員の遅いと思われるロシア軍を破るというものです。

やはり二正面作戦を取っては勝てないので、各個撃破をすることを念頭に入れている、というものでした。

ところがロシアの準備が整う前に速やかにフランスを破るという作戦は、ベルギーを通過してフランス北部へ侵攻する、ということが必須となってきます。

これに対し、ベルギーは中立を理由にドイツ軍のベルギー通過は認めない、という立場でした。

そのためドイツはフランスを攻めるためにベルギーにも宣戦布告しないといけないという判断になります。


ここで決断を強いられるのがイギリスでした。

イギリスとしては戦争の状況によって起こりうる結果のことを考えて行動する必要があります。

というのも、ドイツがフランスとロシアに勝った場合にイギリスが直面する状況フランスとロシアがドイツに勝った場合にイギリスが直面する状況に、です。

ドイツが勝利した場合、ドイツの勢いはさらに強いものになります
そしてそのドイツがイギリス海峡の反対側を手中に収めた場合、ドイツの脅威が直接イギリス本土に影響する恐れが出てきてしまいます。

また、フランスとロシアが負けてしまっているので、ドイツをけん制するためにイギリスが支援する国は、ヨーロッパ大陸内にない、という状況にもなります。

一方でフランスとロシアが勝った場合としては、その2か国がそのまま手を結んでイギリスやイギリスの植民地に触手を伸ばす可能性が、懸念材料です。

が、フランスとロシアが手を結んでいる理由はドイツがいるか、ですので、そのドイツの脅威がなくなれば、イギリスとしてはフランスとロシアのどちらか一方と関係を続けて、もう片方を追い落とす、という選択肢もなくはありません。


そのような状況から、ドイツがベルギーに宣戦を布告すると、イギリスもドイツに宣戦を布告するということになり、第1次世界大戦の構図が出来上がったのです。


さてドイツはシュリーフェン・プランにのっとって、ロシアの戦争準備が完了する前にフランスをたたく必要がありました。

その作戦を遂行するためにベルギー内に侵攻してフランスを攻めます。

戦争の結果として、ドイツ軍は順調に進軍を進めていくのですが、「第一次マルヌ会戦」でドイツが後退せざるを得ないミスを犯してしまいます。

この会戦は完全にドイツの敗北ではなかったものの、ここでドイツ軍の進撃は止まってしまいました。
結果、シュリーフェン・プランは失敗し、映画「1917 命を懸けた伝令」で登場した塹壕戦へと移行していくことになります。

ちなみにドイツの進軍が止まって形成された両軍塹壕は、第一次世界大戦終戦を迎えるまで、ほとんど変化することなく、戦線が維持されたままになったのでした。

アルベリッヒ作戦の立案とその内容

シュリーフェン・プランの失敗により、ドイツは西部のフランスと東部のロシアに相対するという結果に陥ります

それぞれの戦線はフランス軍とロシア軍の性質の違いもあって、全く異なった様相を見せるのですが、映画の舞台となった西部戦線は、フランス軍が攻撃を受けてもその地にとどまって応戦する、という性質上、互いに塹壕を掘って陣地を構え、その陣地を守りながら進軍の機会をうかがう、というものになっていきました。

第一次世界大戦の時代ではたくさんの新兵器が登場したことで有名ですが、その理由はこの塹壕戦で、塹壕にこもった敵に攻撃を仕掛けると、攻撃側が大きな損害を被るためです。

そんな塹壕を突破するために毒ガスであったり、戦車であったり、飛行機といった新兵器が開発され、実践投入されていきます。


戦局といえば、必然的に塹壕を横に掘り進み、相手の背後に回り込もうとする行動を両軍ともに行うことになってしまいました。

しかしその競争も、両軍の塹壕が北の海にまで達することで、決着が付かなくなります。
そして互いに塹壕にこもってにらみ合いを続ける状態が続くことになるのでした。

このころになるとドイツの対フランス戦略は当初のシュリーフェン・プランでは全く役に立たなくなってしまっています。
そこで新しい戦略を取らなくてはいけなくなりますが、それが映画で登場するアルベリッヒ作戦となるのでした。


簡単に作戦を説明すると、フランス軍とイギリス軍に消耗戦を強いてその被害の大きさからフランスの士気をくじき、降伏、最悪でも停戦の機運を作り上げる、というものです。

そのために、今現在無秩序に塹壕によって決定している前線を、より効果的に守備のしやすい、つまり攻められた場合、相手により甚大な被害を与えることのできる地形効果のある場所に改める必要がありました。

これが、映画の冒頭に登場する「ドイツ軍の撤退」の真相です。

この事実を知らず、敵が消耗のために撤退したと信じて追撃を計画しているデヴォンシャー連隊が、罠にかかって攻撃を仕掛け、手ひどい反撃を食らう前に、主人公のウィリアム・スコフィールドとトム・ブレイクが真実を伝えに伝令に赴くわけです。




第一次世界大戦でドイツが負けた理由

映画の話とはそれますが、第一次世界大戦でドイツが負けた理由について考えてみたいと思います。

ドイツが負けた最大の理由を上げるとすれば、兵糧攻めで負けた、といえると思います。

ドイツという国が力をつけてきていたとはいえ、ヨーロッパで味方が少ない状況で、しかもフランスとロシアに挟み撃ちにされ、イギリスには海上封鎖をされて物資が入ってこないという状況では、勝ち目はありません。

あえて勝てるとすれば、シュリーフェン・プランを成功させ、早期に決着をつけることが必要不可欠でした。

さらに映画の舞台となった1917年4月6日は、史実ではアメリカがドイツに宣戦布告して参戦しています。

近代の戦争において、戦争を終わらせるためには、中立の第3国に停戦の仲介を頼むことが必須となります。

ところがアメリカが参戦したことで、ドイツはどの国に対しても戦争を終わらせるための話し合いを持っていけない状況になってしまいました。

これでは相手が直接、ドイツに対して「参りました」といってこない以上、ドイツ側から降参しない限り、終わりはありません。

そして直接相手に降参した場合、完全な負けであり、その後、無理難題を突き付けられても承諾する以外になくなってしまいます。

そんなどちらかが立てなくなるまでのガチンコの殴り合いの状況になっていながら、イギリス・フランスにはアメリカという後ろ盾があって、十分な補給を回してくれる上、映画の舞台となる日には軍隊をも送ってくれるようになっているのに、ドイツは味方が全くいない上、海外からの物資も国内に入ってこない、という状況だったわけです。

これでは勝てるわけがありませんよね。


戦争に負けた理由を戦争が始まる前にまでさかのぼって探してみると、敵を作りすぎた、という点に尽きると思います。

何といってもフランスとロシアが対ドイツ相手に同盟を結場せてしまったことは致命的です。

さらに、イギリスもドイツを警戒していたとはいえ、表立って対戦国になってしまうような立ち振る舞いをしたおかげで、さらに決定的に不利な状況に陥ってしまいました。

また、戦争中の行動の結果とはいえ、アメリカまで対ドイツで参戦させてしまっています。

これらのように、あまりに敵を作りすぎた、というのが、ドイツが第一次世界大戦で敗戦国となった大きな理由だと考えたわけです。

ドイツが取るべきだった基本戦略は?

最後にドイツが取るべきだあった僕が思う基本戦略を紹介して終わりたいと思います。

第一次世界大戦前の状況下でいえば、やはりビスマルクが取っていた戦略が正解でしょう。

つまり、「ロシアとフランスの間を仲たがいさせ、フランスを孤立させる」ということです。

ドイツという地政学上、どうしてもロシアとフランスに挟まれていて、両方から攻められるという状況は一番避けなければいけません。

となると、この2か国がドイツに対して一緒に敵対しようという考えを持つ状況を作らないようにしないといけないのは国家存亡の必須事項です。

そしてそのことを大前提として、イギリスとどう付き合うのか、オーストリア=ハンガリー帝国とどう付き合うのか、を考えていく必要があると考えます。

誤解を恐れずに言えば、フランスも地政学上、イギリスとドイツに挟み撃ちにされる位置にいるといえます。

イギリスがフランスへの侵攻に興味があるのか、などの諸要素を考慮しないといけませんが、条件がそろえば、イギリスと組んでフランスをけん制するという状況も作り出せないことはありません。

またロシアですが、バルカン半島をめぐってオスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国と利権を争っています。

この状況下で、3か国をうまく操ることで、一つの国が突出した力を持たないように立ち振る舞うことも可能でしょう。


とまぁ、素人考えではあり、何ら珍しくもない結論に陥ってしまっていますが、そのことを考えると、第一次世界大戦が起こった理由、そしてドイツが負けた理由は、ドイツのトップが現実を直視せず、本来であれば綱渡り的な外交を細心の注意を払って行わなければいけないのに、イケイケどんどんという感じで戦争に向かって進んでいってしまったため、と思わずにはいられませんでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

第一次世界大戦は、日本にいるとかなりマイナーな感じのする戦争のような気がしてしまいます。

地球の裏側で起こったイベント、という感じがしなくもないですが、今回の素晴らしい映画「1917 命を懸けた伝令」をみて、せっかく第一次世界大戦に興味ができてましたので調べてみた次第です。

同じように興味を持った人に、有益な情報が伝えられたいれば、幸いです。











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