ディズニー作品「塔の上のラプンツェル」は、記念すべきディズニーアニメ50作目で、初めて3Dでディズニープリンセス作品が制作された映画です。
そんな金字塔である作品であったため、これまでのディズニーアニメの常識を破って新しいことを試みた作品でもありました。
その新しい試みの一つが本作品のディズニーヴィランズ。
赤ん坊のラプンツェルをさらって偽りの母親となっていたゴーテルです。
そんな今までのディズニーヴィランズとはかなりタイプの違うゴーテルに対し、
- ゴーテルはかわいそうな人
だとか、
- 最悪の毒親
とか、いわれています。
今回は、このようにまるっきり対局の評価のように言われているゴーテルについて、調べてみた裏設定も交えて、考察していきたいと思います。
ラプンツェルの母親ゴーテルの毒親っぷりは完璧
「塔の上のラプンツェル」でディズニーヴィランズ役のキャラクター「ゴーテル」
先にも書きましたが、この「塔の上のラプンツェル」という作品は、ディズニーアニメの記念すべき50作品目です。
そのためこれまで作られてきて、ある一定のパターンが定着しつつあったディズニーアニメに変化を加えて、時代に合ったものにしていこう、といういくつかの試みがなされた作品でもありました。
ディズニーヴィランズに関しても、その試みがなされ、その結果、誕生したのが「ゴーテル」ということになります。
まず、ゴーテルは明確には、魔女ではありません。
魔法の花の存在を知っており、城に侵入して赤ん坊をさらうことができることを考えると、魔女の力を持っていたのではないか、と考えられます。
が、作品中、ゴーテル自身が呪文を唱えて魔法を使う、というシーンは一切ありません。
しかしその一方で、ゴーテルは自分自身のほしいものに対してなら、何の躊躇もなく他人を傷つける冷酷さを持ち合わせています。
さらにこれこそが、彼女の一番の恐ろしさだと、僕個人は思うのですが、心理的に相手を手懐け、自分の配下に置くことができる能力を持っているのでした。
その犠牲者がラプンツェルであり、またスタビントン兄弟もゴーテルに利用されたキャラクターです。
特にラプンツェルは、18年という年月のほとんどを、ゴーテルと過ごし、ゴーテル無しでは生きられないように洗脳されてきました。
その具体的な方法を見てみることにしましょう。
自己否定感を植え付ける
毒親が子供をずっと自分の手元において影響力を与え続けるためには、子供が親に依存する割合を最大限にする必要があります。
つまり、大きくなって自立が可能な年齢になっても、自分一人で生きていける、という自信を与えていなければ、親離れしていくことはありません。
そのためには自己肯定感を与えず、反対に常に自己否定を植え付けるのが一番です。
ゴーテルが歌う「お母様はあなたの味方」でも、
-
・「あなたったらほんとお花みたい そうとてもかよわいの」
・「あなたはね まだ赤ちゃん」
・「泣き虫 裸足 幼稚でドジ」
・「世間知らず すぐ騙される 常識なんかゼロ」
・「あなたみたいな子供、好かれるはずないでしょ」
と、どうあがいてもラプンツェルが自己肯定感を持つことができないような、呪いの言葉を繰り返し使っています。
逆にディズニーアニメの作品だから、ではありますが、このようなディスられ方をずっと繰り返されてきたであろうラプンツェルが、あんなに明るくて行動力のある女性に育ったことのほうが、怖いと思うくらいの、ゴーテルの洗脳ぶりでした。
母親依存度アップ
ラプンツェルが自立できないように洗脳をしている一方で、それでも生きていかなくてはならない現状での唯一の味方は母親であるゴーテルだけだ、とも刷り込むことを忘れません。
同じく「お母様はあなたの味方」の歌詞には、
-
・「ねぇわかるでしょ なぜ外に出さないか あなたを守るためなのよ」
・「母親が1番よくわかってるのよ」
・「母親はあなたを助けるためにいるのよ」
・「信じなさいお母さまを」
・「ここにいる限り安全よ」
と、まぁ、「自分だけがあなたの味方」、という考えを、これでもか、とラプンツェルに刷り込んでいます。
自分に自信が持てないように洗脳されたうえで、ここまでされては、どうあがいたって母親なしには生きられないと妄信してしまいますよね。
そして質が悪いのは、この母親による「自分だけがあなたの味方」攻撃は、母親が、つまりこの場合ゴーテルですが、子供のためを思ってしている行為ではありません。
母親が子供に頼られることで満足感を得るためだけに、永遠に子供を利用し続けるためにやっている行為なのです。
ゴーテルはその効果を悪用し、魔法の髪を持つラプンツェルを永遠に手元に置いておこうとしているのでした。
言葉だけでなく、実際に経験させる
さらにゴーテルのすごいところは、ここだと思います。
常にラプンツェルに言い聞かせていただけでなく、その言葉に疑問をもって外の世界に出たラプンツェルに、ゴーテルが警告し続けてきたことが本当であることを証明するような経験を演出させた点。
フリン・ライダーことユージーンに復讐したいスタビントン兄弟を言葉巧みに利用したところも圧巻でした。
が、そんな彼らを利用してユージーンがラプンツェルに近づいたのは宝物が目当てであったと、ラプンツェルに思いこませる完璧なストーリーも、芸術に近い見事なものだと感心してしまいました。
しかもそのせいで窮地に陥った絶対説明のラプンツェルを危機一髪でたすけるのが、ゴーテル。
「ほら、お母さんの言ったとおりでしょ」と責めることなく、「わたしが助けることができてよかった」と慰め、「安全なところに戻りましょう」と監禁状態にラプンツェルの意思で戻らせる。
このコンボ攻撃の前にラプンツェルはKO寸前でした。
最悪の毒親
実際にはゴーテルは世間一般に言われる毒親ではないのかもしれません。
というのも、毒親が子供を放そうとせず、子離れできないように子供に接する場合、ほとんどが無意識にこのような
-
・自己否定感の植え付け
・母親依存度のアップ
をしています。
一方でゴーテルは狙って、意識的にラプンツェルを洗脳し、永遠に手元に置いておこうとたくらんでいますので、毒親というより魔女に近いのではないでしょうか。
何はともあれ、ゴーテルは「最悪の毒親」という称号がふさわしいほどのテクニックを駆使して意図的に、ラプンツェルを拘束していたのでした。
ゴーテルはかわいそうなのかを考察
一方で、「ゴーテルはかわいそう」ともいわれています。
その理由は、
-
・ゴーテルはゴーテルなりにラプンツェルを愛していた
・そんな18年もの間育てたラプンツェルから悪者呼ばわりされた
・真実を知ったら責められることはわかっていながら、後戻りができず、自分の子供としてラプンツェルを愛しながら手元に置いていた
というわけです。
声優担当のドナ・マーフィが思ったゴーテル像
その思いはゴーテルの声優を担当したドナ・マーフィも持っていたそうです。
彼女はインタビューで同じような意見を述べていました。
そのインタビューを要約しますと、
・ゴーテルはラプンツェルにある種の愛を持っていたと思います。
・ただしゴーテルはそんな感情を持つとは思わずにラプンツェルをさらったのだと思います。
・ゴーテルがラプンツェルを育てていく中で、特別な感情が生まれてしまったのだと信じています。
・それは私が、すべての女性が持っている最も親密で最も持続的なものは、母と子の関係だと思うからです
・ゴーテルの年齢は400歳くらいの可能性があります。
・その年齢でいまだに生きながらえるために、ラプンツェルを手に入れる必要がありました。
・しかしそのことで、ラプンツェルを育てなくてはならなくなったゴーテルは、同じくらい深い恋に落ちざるを得なかったと思います。
・ラプンツェルは活気に満ち、創造的で、魅力的です。
・そんなラプンツェルはみてゴーテルは自分の感情に気付き、混乱し始めたと思います
・なぜならゴーテルはその感情に気が付いたために、ラプンツェルの世話をしている最も重要なことを、常に思い出さないといけなくなるからです。
・しかし、私はゴーテルにもまだ純粋な種類の人間性が残っていたと思います。それは無条件の愛ではなかったでしょうが、ラプンツェルを育てていくうちに大きく育っていった発展する愛だったと思います。
こうして考えると、確かにゴーテルは自分自身の目的を果たすために、満たさなければならない義務を背負い込むことになりました。
そして、女性であるがゆえにその義務を遂行していくうちにラプンツェルを愛さざるを得なくなっていった可能性があることが、分かります。
そうであれば、確かにゴーテルはかわいそうな人であったといってもいいのでしょう。
本当にゴーテルはかわいそうな人なのか
確かに、ドナ・マーフィの指摘する通り、女性であるがゆえにほとんど不可避な悲劇の状況に落ちていく可能性の高いゴーテルは、かわいそうな人といえるでしょう。
個人的な感想を言わせてもらえれば、その通りだと思います。
ですが、僕が感じたのはディズニーアニメと日本のアニメの明確な違いでした。
一体それはどういうことか、というと悪役の描き方の違いと、その違いに慣れた日本人視聴者の目線ならではのとらえ方、といえると思います。
日本のアニメではよく、悪役にもキャラクターとしての深みを持たせるために、なぜ今そのような行動をしているのか、という理由付けを、事細かく視聴者に見せる手法が多く取られてきました。
ですので、ただ単に他人の迷惑顧みず、自らの欲望を満たすためだけにやっているとみられる悪行も、実はその裏には、そのキャラクターが信じる信念であったり、止むにやまれぬ理由であったりを、よりストーリーを楽しむためにきちんと描く、テクニックの一つとして使われてきたのです。
逆に言えば、ストーリーを楽しませることができなければ、そのような悪役キャラの掘り下げはされない、ということになります。
一方でディズニーアニメは、というと、日本のアニメに比べれば単純明快であろう、という傾向がとても強いと思います。
そのためには、ディズニーヴィランズに思い入れをしてしまうようなエピソードは全く必要ありません。
悪さばかりしていたヴィランズが、悪事がばれ、それ相応の報いを受けることで視聴者は留飲を下げて満足するというパターンに落ち着くのです。
ゴーテルに関して言えば、おそらくドナが指摘したような心境の変化があったことは、簡単に想像がつくでしょう。
それはどちらかというと、利己的にふるまってきたゴーテルが自分の利益を捨ててでもラプンツェルの幸せを願ってしまう自己矛盾に苦しむ、人間的な姿になったはずです。
が、そのような苦悩を抱えるゴーテルを、作品として完成している「塔の上のラプンツェル」のストーリーの中で描き出しても何のメリットもありません。
もし、そのような苦悩を描きたいのであれば、それがきっちりとはまるストーリーに変更する必要があります。
つまり、「塔の上のラプンツェル」のストーリー上、ゴーテルが抱えるはずであった人間としての悩みは描く必要はなく、そのためにゴーテルはただただ、自分の利益のみを追求するキャラクターとして描かれました。
そして悪役は悪いことしかしないというストーリーに慣れ親しんでいるアメリカの視聴者には、そのことが何の不思議にも映らなかったのだと思います。
が、ゴーテルというキャラクターに命を吹き込む重要な役割を担った声優担当のドナ・マーフィは、ゴーテルとキャラクターをより深く知る必要があったので、インタビューで答えたような掘り下げをしたのでしょう。
そして、悪役にも人間としての深みがあるストーリーを見慣れた日本の視聴者には、ドナが感じたゴーデルが抱えていたであろう悩みに気が付くことは、比較的自然とできたと思います。
「ゴーテルはかわいそうな人」だったのかどうか。
それについては、ほぼ間違いなくかわいそうな人だったと思います。
自業自得とはいえ、答えの出ない苦悩を抱え込む状況に自ら落ち込んでいったわけですから。
ただ、根本からこの議論を壊してしまうようでもうしわけないのですが、寿命で死ねず、400年もの間、生き続けなくてはならない人生のほうが、かわいそうだと思ってしまう自分がいるのでした。
ゴーテル誕生までの裏設定
「塔の上のラプンツェル」はディズニーアニメで50作品目となる記念すべき映画です。
時代の流れによって、ディズニーアニメもディズニープリンセスも、変化をしてきていますが、「塔の上のラプンツェル」は意識的に大きく変更をしようと企画された映画なのでした。
その一つがラプンツェルの唯一の友達であるカメレオンのパスカル。
ディズニープリンセスには、お供の動物や昆虫、想像上の生き物がつきものです。
関連記事:ディズニーキャラクターがプリンセスと認められるルールや条件を考察!2020年現在で公式に何人?
しかしそれらはそれほど珍しくない、小鳥であったり小動物であったりしたことが大半でした。
「塔の上のラプンツェル」では、今までになかった動物をラプンツェルのお供に、ということでカメレオンが選ばれたのです。
そしてラプンツェルのディズニープリンスとなったフリン・ライダーことユージーンも、同じ理由でそれまでのディズニープリンスとは一味違ったキャラクターに仕上げられています。
関連記事:塔の上のラプンツェルのフリンライダーことユージーンのトリビアと制作秘話紹介!
この流れは本作品のディズニーヴィランズにも、適用されました。
これまでの悪い魔法使いといったお決まりのパターンではなく、一風変わったディズニーヴィランズを、というアイデアが要求されたのです。
そのため、監督のバイロン・ハワードとネイサン・グレノは新しい形のディズニーヴィランズを作ることになります。
まず手始めに魔法や超常現象を使わないキャラクターにすることを基本方針としたのでした。
しかし魔法を使わないという制限は思ったよりもストーリーの構築をむつかしいものにしたそうです。
魔法を使えるキャラクターであれば、「魔法だから」の一言で終わってしまう説明を、魔法が使えないので、より合理的な、そして全視聴者に納得してもらう方法を考え出さなくてはいけなくなってしまったからでした。
具体的に言えば、ラプンツェルが塔に監禁されている状態を彼女が18歳になるまで維持される理由を、納得のいく形で成立させないといけないということ。
そのリアリティを追求するためにバイロン・ハワードとネイサン・グレノは女性スタッフ何人かに母親との関係についてインタビューをしたのでした。
その中でレベルの差こそあれ、母親が娘に対してしてしまう「不快で迷惑に思う過剰な制限」を挙げてもらい、娘をコントロールする母親というキャラクターを明確に形作っていったのです。
こうして出来上がったゴーテルは、高い評価を受ける一方で、ディズニーヴィランズとしては地味ではないか?、という評価も受けています。
確かにこれまでにはないディズニーヴィランズとして、罪悪感を利用し、過保護でとんでもないくらいの操作的な毒親という立場を確立させました。
しかも魔法を使わず、普段の接し方のみで、それを成功させているのです。
その陰湿的な手法は、シンデレラの継母や、白雪姫の継母に通じる邪悪さである、と評価されました。
一方で、魔法を使わず、洗脳という方法を取るゴーテルは、ディズニーヴィランズとしては地味であり、ただただ暗いだけ、と感じ取った評論家もいたようです。
確かに国を乗っ取るというレベルの悪事を働いていませんので、いじめをしていたシンデレラの継母のようなディズニーヴィランズであったという印象はあります。
そいて古い作品であるシンデレラだから、継母のいじめは「まぁ、良し」とされているように感じることに比べると、3D技術も発達したこのご時世に、この程度の悪事しかしないディズニーヴィランズ、という見方を考えれば、地味である、と映ることも納得がいきます。
ただし、シンデレラの継母に比べれば、ゴーテルの悪事は、その裏の動機もはっきりとしていますし、理由も納得いくもので、反旗を振りかざしたラプンツェルを再度塔の上に閉じ込めて置けるだけの作戦は入念に練られて、きちんと実行された見事さも特筆に値するでしょう。
ゴーテルは悪役として地味、という意見にも、理解できる部分がありますし、これまでにないディズニーヴィランズを見事に作り上げたことも、はっきりとわかるキャラクターであるのが「ゴーテル」なのでした。
考察のまとめ
「塔の上のラプンツェル」のディズニーヴィランズ「ゴーテル」について見てきました。
ゴーテルがかわいそうというのはアニメの行間を読む、ではありませんが、少し想像力を働かせれば、納得ができてしまいます。
しかし、ディズニーとしてはその方面への、ゴーテルへの感情移入は必要ないとしたのでしょう。
自分自身がかわいそうである、なんてことは全く考えてもみなかったというようなキャラクターとして終始ふるまっていました。
さらに、「最悪の毒親」というぴったりの称号がついてしまうほど、他人の心理を自由自在にコントロールして、自分の利益を独り占めしているわけです。
それを見事に描き切っていることで、全く新しいディズニーヴィランズとなることに成功したのでした。
コメント