バックトゥザフューチャーのタイムパラドックス!ハッピーエンディングではない理由の考察

SF

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、タイムトラベルをした主人公のマーティが、弾みで歴史を変えてしまったために、基に戻そうと奮闘するコメディチックなSFアドベンチャー映画です。

マーティの奮闘の甲斐あり、両親のジョージとロレインは無事結ばれたわけですが、それと同時に自分に自信を持ったジョージは、全く異なったその後を送り、経済的にも成功して幸せな家庭を気づいていました。


一見するとハッピーエンドに見えますが、ちょっと深く考えてみると、おかしいことに気が付きませんか?

過去から戻ってきたマーティが戻ってきた家庭は、それまで自分が暮らしていた家庭とは似ても似つかないものになっているのです。

これって一体どういうことになるのでしょうか?

今回はこのタイムパラドックスについて考えてみたいと思います。









バックトゥザフューチャーのエンディングはハッピーエンド

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、本来であればとあるきっかけで知り合うはずだったマーティの父親ジョージと母親ロレインが知り合わず、代わりにロレインとマーティが知り合うことになり、歴史が変わってしまいます。

このままではマーティが生まれないことになってしまうという危機的状況で、何とかジョージとロレインをくっつけようとするわけですが、ビフの邪魔や、自分の世界に戻るための準備などもあり、なかなかうまくいきません。

が、ジョージとロレインの二人が恋に落ちるイベントで無事に二人をくっつけることができ、その過程で、いじめっ子であったビフをいじめられていたジョージがやっつけたことで自分自身に自信を持つようになります。

その結果、マーティが過去に行くまでは、ジョージはうだつが上がらず、大人になってもビフにいいように扱われ、いじめられていましたが、戻ってきてからはビフよりも心理的に強い立場にたって接することができるようになっていました。

ロレインも酒やたばこにおぼれており、生活に疲れた中年女性だったのが、悪い習慣は一切なく、健康的で体形もスリムになっているのです。

そんなポジティブ思考の両親のもと、兄も姉も成功者としての生活を送っており、家も大きければ経済的に成功していることも、一目瞭然な状態。


これをハッピーエンドといわずして何と言うのか、というぐらいの大円団になっていました。


しかし当のマーティはそんな変わり果てた家族に驚いた様子で、理解するまで時間を要す困惑ぶり。

明らかに一人だけ、全く違った反応を見せています。


ここまで映画を見てきた視聴者にすれば、そんなマーティの反応は当たり前だと感じますが、実はここに重大なタイムパラドックスが潜んでいるのでした。

主人公のマーティとは違った過去を持つマーティしか存在しないはず

マーティが記憶している、失敗者としての両親とそんな両親に育てられ、負け組となっていた子供達。

兄は学校を卒業してもファーストフード店のアルバイトしか仕事がなく、姉は彼氏が見つからないと愚痴ってばかり。

マーティも自分の夢を明確に持ちながらも、失敗した時のことを恐れて行動に移せないでいます。


そんな自分の個性や過去の記憶は、1955年から戻ってきても、忘れることなく記憶しているようですが、過去から戻ってきたマーティを待っていたのは勝ち組家族で、マーティが覚えている過去を全く知らないわけです。

いえ、「知らない」という表現は適切ではありません。

「知らない」ではなく、そのような事実は存在しないというほうが正しいでしょう。


となれば、マーティも生まれた時から勝ち組両親に育てられ、兄や姉の成功体験を身近に見てきたはずです。

兄が会社勤めでスーツで毎日出社していることも、日常として接していたはずですし、姉を目当てに言い寄ってくる男性が多数いることが当たり前という生活。


つまり、ファーストフードでのアルバイトしか働き先がない兄も、彼氏が欲しくて仕方がないのに付き合ったことのない姉も、存在しなければ、父親をいいように利用しまくっていたビフも存在しないのです。


ということは高校生のマーティが、16歳から18歳くらいの年齢であったとして、それまでに彼の性格を作り上げてきていた外部要因がガラッと変わってしまっていることになり、それはマーティが全く性格の異なる人物である可能性が高いということになるわけです。

もっと簡単に言ってしまえば、全く性格の異なるマーティがいたはず、ということになります。


負け組の家族とともに育ち、1955年に行って、1985年に帰ってきたマーティがいるのであれば、勝ち組の両親に育てられたマーティはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか?

同一人物である、というのであれば、勝ち組の両親のもと、勝ち組の過程で育てられたマーティの記憶はなぜ、無くなったままになっているのでしょうか?

決して解決しないタイムパラドックス

実はこれ、映画の撮影当初、マイケル・J・フォックスがほかの作品の撮影の都合で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出演することができなかったため、代わりにマーティ役として選ばれたエリック・ストルツが、脚本を読んで最初に考えたことだったそうです。

関連記事:エリック・ストルツが首になった理由の一つ?唯一、脚本にケチをつけていた!


まさにエリックの指摘したとおりであり、家族みんなが共有しているはずの楽しい家族の思い出を、タイムトラベルからかえってきたマーティ一人が全く知らず、別の記憶を持っているというちょっと考えればかなり特殊な状況に置かれていることになってしまっています。

これをタイムパラドックスといい、わかりやすい例でいえば、

    自分が過去に戻って親を殺した場合、その後、タイムトラベルして親を殺すはずの自分が生まれないので親は死なない

という矛盾と同じことになります。


そしてこのようなタイムパラドックスが存在するために、タイムトラベルは実現しない技術であるということになっているのです。


映画の話でいえば、マーティがジョージとロレインの出会いを邪魔したあと、マーティの存在が消えそうになるまでしばらく時間がかかりました。

ということは、タイムトラベルで過去の変更によって未来に影響が表れるまでしばらく時間がかかるのかもしれません。

そうであれば、深夜に帰ってきて眠りにつき、朝起きたマーティはまだ変更された影響が及んでいなかったかもしれません。

そして今後、徐々に勝ち組家族に育てられた思い出が、負け組家族に育てられた思い出を塗り替えていく可能性はあるのではないでしょうか。


たとえそうだとしても、マーティがドクと知り合い、タイムトラベルすることになるストーリーには影響はないでしょう。

ただし、過去に戻って両親と知り合ったマーティは、特にジョージのダメさ加減に驚いてしまうでしょうけどね。

ちょうど、映画でマーティが母親ロレインの若いころをみて、その違い、特に異性に対しての接し方の違いに戸惑ったように。

考察のまとめ

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はタイムトラベル物の中では完璧にストーリーとして評価の高い作品です。

脚本としての完成度は素晴らしく、スタンフォード大学の映画部脚本学科ではテキストに使用しているほど。

そんな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもよくよく考えてみると、タイムパラドックスが存在してしまう、とてもむつかしいパズルのようなジャンルなのですね。


その後、パート2、パート3が作成されましたが、もともと監督のロバート・ゼミキスやプロデューサーのボブ・ゲイルは続編を作ることは考えていませんでした。

そして監督のロバート・ゼミキスは、できれば未来に行くストーリーは扱いたくない、と考えていたそうです。

最もタイムパラドックスの問題を心配していたというより、映画で描いた未来と現実の未来が、その時が来た際に比べられるから、という理由のほうが強かったようですが。


何はともあれ、過去に戻って過去を変えてしまった場合、いかに元に戻したようにしてもどこかでひずみができてしまっているのですね。












コメント

タイトルとURLをコピーしました