映画ラストナイトインソーホーでエリーの母親が始めと終わりに登場する意味を考察

ホラー・サスペンス

映画「ラストナイト・イン・ソーホー」はエドガー・ライトが監督・脚本・原案を務め、トーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー=ジョイが主演を務めたホラー映画です。


映画の中でエリーが亡くなったはずの母親の姿を鏡越しに2度、見るシーンがあります。

エリー自身に霊感があり、亡くなった人々を見ることができる能力があるのは冒頭から説明されていますが、ではなぜ、エリーの母親が映画の始めと終わりの2回鹿登場しなかったのでしょうか?


今回はエリーの母親について、考察していきたいと思います。










映画「ラストナイト・イン・ソーホー」で描かれるエリーの特殊能力

映画「ラストナイト・イン・ソーホー」では主人公のエリーに特殊能力が備わっている設定で描かれています。

彼女は霊感が強く、亡くなった人を見かけることができるのでした。

その能力で幼いころに亡くなった母親を今でも見ることができ、このことを彼女を育ててくれていた祖母のペギーは生まれ持った才能という意味の英語「Gifted」という言葉で言い表しています。

エリーの母親のおさらい

エリーの母親について、映画の冒頭などで軽く説明されていますので、おさらいしてみましょう。

エリーの母親は彼女が幼いころに自殺して亡くなっています。

エリーが目指しているように、母親もファッションデザイナーでした。

祖母のペギー、つまり母親のお母さんと一緒に、憧れのロンドンに一度、出かけたことがあります。


以上がはっきりとエリーとペギーの会話の中で語られている母親についての情報です。

個人的にですが、母親について隠された設定があったのでは、と思われる思わせぶりなセリフがペギーの口から出ていたことに気が付きました。

それはロンドンに一人向かうエリーに対してペギーがとても心配して、ロンドンの恐ろしさを語っていることです。


一見すればこれはごく自然な行動のように見えます。

20歳前後の若い娘で田舎しか知らないエリーが一人で大都会のロンドンで生活しようとしている。

保護者として心配しないわけがりません。

が、もしエリーの母親の自殺の遠因がロンドンにあったとしたら、どうでしょうか?


ファッションデザイナーのような仕事で成功したいのであれば、屋は流行の最先端に触れることのできる大都会に住むことは必須です。

エリーの母親はデザイナーでしたので、ロンドンへの憧れは大きかったのでしょう。

そしてそれが実現し、ペギーと一緒に一度、ロンドンへ出かけています。


が、それ以降、母親はロンドンに行くことはありませんでした。

一体何があったのか?

そして更に気になるのは、エリーの父親について映画内では一切触れられていないことです。

そこで深読みできるのは、たった一度のロンドン行きで母親は心に傷を負う出来事に直面してしまったのではないか?ということです。


くしくも映画のテーマの一つは女性に対する性暴力でもあり、それらのことを組み合わせて考えるともしかして、と思ってしまうのでした。

ただ、母親がエリーを身ごもる原因が性暴力であったのであれば、ペギーはあのようなやんわりとした反対では済まなかったと思います。

考えられるのは、ロンドンで知り合った男性と恋に落ち、彼が母親に会いに来ている間にエリーを身ごもり、そのとたん、男性は母親を捨てた、といった感じのモノではないか、と思われます。

その失恋の傷が母親をむしばみ、やがては自殺という結果を招いた、という流れがあっても不思議ではないのではないでしょうか。

エリーの母親が始めと終わりに登場する意味の考察

さて、エリーの母親が映画の始めと終わりに登場する意味を考えていきたいと思います。

それぞれ別々に考察していき、さらにエリーがロンドンに移ってから、一連の騒動が終わるまで全く母親の姿を見なかった理由についても考察していきたいと思います。

エリーの母親が最初に登場する意味

エリーの母親が映画の始めに登場する意味は非常に簡単です。

それはエリーが霊感持ちであるという設定があることを視聴者に知らせるためでした。

これによってエリーがロンドン内でソーホー地区に引っ越し、60年代のソーホー地区を体験するような夢を見て、サンディをはじめ多くの幽霊に悩まされる展開が自然に説得力のあるものとなっていきます。

エリーの母親が最後に登場する意味

エリーの母親が最後に登場する意味ですが、おそらくこれは、エリーがロンドン生活に適応し、他の幽霊による干渉を心配することがなくなったことを表す演出だと思います。

というのも、エリーの母親は、エリーがロンドンに移ってきてから、一度も姿を表していませんでした。

ソーホーでコリンズ婦人の部屋を借りたわけですが、その部屋の中に鏡付きの化粧台があり、またバスルームにも鏡がありました。

ですので、母親の姿を見てもおかしくはありません。


が、そのような描写は一切、ありませんでした。

映画の視聴中はそれほど不思議ではありませんでしたが、後からふと考えてみるとその疑問はどんどんと大きくなっていきます。

いったいなぜなんでしょうか?

なぜエリーの母親はロンドンで現れなかったのか?

なぜエリーの母親はロンドンで現れなかったのか?

その理由を考察すると、ソーホーの部屋では、コリンズ婦人によって殺されて隠された被害者たちの怨念が強すぎて、母親が現れることができなかったのではないでしょうか。

また、ソーホーの部屋に住むようになってからは、エリーに対して部屋に隠された被害者の幽霊たちがとりついて助けをすがろうと、部屋の外でもついて回ったと思われます。

ですので、ハロウィンパーティーのバーでも幽霊を見ましたし、その後はロンドンの路上でも幽霊たちに追いかけまわされました。

大学の図書館でも幽霊たちに襲われています。

このように、他の幽霊たちの干渉が大きいと母親は姿を現すことができなかった、もしくはエリーに何度も接触を試みていたものの、他の幽霊たちの干渉が強すぎてエリーが母親に気が付くことができなかったのではないか、と考察できたのでした。

考察のまとめ

エリーの母親が映画の最初と最後にしか現れなかった理由を考察してみました。

簡単にまとめますと、最初に現れた理由は、エリーに亡くなった人を見ることできるレベルの強い霊感があるという設定を視聴者に示すため、です。

最後に現れた理由は、エリーが他の幽霊たちの干渉に悩まされることがなくなったため、ではないでしょうか。

そしてこの考察を裏付けるのに、逆になぜ、母親はエリーがロンドンに移ってから映画の最後まで姿を現さなかったのか?の謎の答えると見えてきます。

それは、エリーが他の幽霊からの強い干渉があったため、エリーに接触できなくなっていたから、と考えられるからです。


それを考えると、エリーをソーホーの部屋に導いたのはもしかするとエリーの母親だったのかもしれません。

コリンズ婦人の部屋を貸し出すメモは掲示板ではなく、床に落ちていましたし、一連の事件を体験することでエリーがあこがれていた60年代の華やかな世界を体験することもできました。

そしてその体験からファッションデザインのインスピレーションも得ており、全てがエリーにとって悪い体験ではなかった風に描かれています。

このことを考えると、何らかのエリーへの手助けをしたいという思いが透けて見えるように感じるのぼくだけでしょうか。












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