ディズニー映画の最新作実写版「ムーラン」
コロナ騒動の影響で公開が延期され、ついにディズニープラスで配信されました。
オリジナルアニメの人気が高いため、何かと話題になりましたが、実際の映画内容はオリジナルアニメの多くを変更し、全く新しい「ムーラン」を作り上げていたのです。
多くの違いの中で、とりわけ大きな反響があった変更点の一つにオリジナルアニメではアイコン化しているといってもよいほどの存在感のあった赤龍ムーシューが、実写版には出ていない点が議論を呼んでいます。
そしてムーシューが出ていない代わりに新しいキャラクターとしてフェニックスが登場しているのでした。
今回はムーシューが実写版「ムーラン」で登場しない理由と代わりにフェニックスを登場させたことで映画が、特に中国市場で大失敗に終わることになるわけを紹介したいと思います
実写版ムーランでムーシューが出ない理由
実写版「ムーラン」でムーシューが登場しない理由は、実は映画公開直後からインタビューに答えた監督の口から明かされていました。
例えば「USAトゥデイ」のインタビュー内で監督のニキ・カーロは、
「アニメ版ではムーシューがもたらしたユーモアと陽気さに私たちはとても刺激を受けましたよね。
でも今回の挑戦は、ムーランと兵士たちの本格的な人間関係を描くことでした。
アニメ版で愛されたムーシューはムーランの友人でしたが、実写版には彼女の旅路を現実的に表現するという目的があります。
ですから、仲間の兵士たちとそうした人間関係を築く必要があったのです」
と話していました。
また、「Digital Spy」のインタビュー記事では、
「ムーシューというキャラクターはかけがえのないもの。
ご存知のようにアニメーション化されたクラシック作品では、それが成り立つのです。
しかし、中国の神話も大切にしたいと思いました。
この映画には代表的な生き物が登場しています。
そこで先祖を霊として表現し、特にムーランの父親との関係を表しているようにしたのです。
またドラゴンは男性の象徴で、フェニックスは女性の象徴。
本作では、ジェンダーを探求していく物語なので、この表現方法がとても素敵だなと思いました。」
と答えていました。
他にもネットを中心にムーシューを登場させなかった理由として、
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・中国での龍という存在はとても強い神秘的な存在であり、オリジナルアニメのムーシューのようなギャグ担当キャラという性格に強い反発があったから
とか、
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・黒人嫌いで有名な中国市場をターゲットをするのにエディ・マーフィーを思い起こさせるムーシューの存在がじゃまだったため
というような悪意のあるものもまことしやかに流れていました。
このような理由が挙げられていますが、一番は
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監督をはじめ、スタッフがアニメとは全く違った「ムーラン」を作り上げたいと考え、それを明確に表すためにムーシューの登場を変更した。
というのが、真相のようです。
代わりに登場するのはフェニックス
そして実写版「ムーラン」に登場するのはフェニックス。
これはアニメ版に登場していたムーランの祖先の霊をひとまとめにしたような存在としても描かれていました。
先に紹介した監督の言葉にもあるように、中国では龍を皇帝の象徴とし、皇后の象徴を鳳凰にする、という風習があるようです。
そこから鳳凰が女性の象徴のキャラクターとして使える、と考えたのでしょう。
兵としての軍の参加を決意したムーランが道に迷い、食料も尽きて野垂れ死にしそうになった時、突然現れてムーランの窮地を救います。
一見、祖先の加護がムーランを導いている、感動的なシーンに写らなくもないですが、よくよく考えるとかなりご都合主義ではないでしょうか?
まず第一に、軍への参加を皇帝の名の下、命じられたわけですが、その命令の履行確認はどのようにされているのでしょうか?
ムーランが父親の代わりに村を飛び出して一人で向かっていますが、命令書を渡した役人がそのことを知らなければ、父親の軍の参加を催促するはずです。
そしてムーランが彼女の家族からの参加をきちんと報告して村を出たとした場合、途中で逃げ出さないように監視役をつけるのが本当でしょう。
つまり、ムーランが一人で本当の目的地も分からないまま、軍に参加するんだ、と旅に出ることは非現実的すぎる、ということです。
第二に祖先の霊の加護、というのであれば、父の敵を討つために攻め入ってきた敵役のボーリー・カーンのほうにも祖先の霊の加護があってしかるべし、ではないでしょうか。
特にボーリー・カーンの父親ほうこそ、皇帝に対して直接的な恨みがあるはずです。
何らかの姿で現れないとムーランにだけ祖先の加護があるのは、不公平ではないでしょうか?
フェニックスに変えて失敗したわけ
中国市場からの好感を得るために実写版ではムーシューをフェニックスに変更したわけですが、残念ながら監督をはじめとしたスタッフの思惑の通りには行きそうにもありません。
というのも、中国の文化伝統を尊重するといっていたのは口先だけ、という結果になってしまったからでした。
実写版「ムーラン」でムーランに加護を与えるフェニックス。
日本語訳をすれば不死鳥となります。
が、中国で皇后を象徴し、監督が女性の象徴としてのシンボルにふさわしいのでは、と考えたのは鳳凰。不死鳥ではありません。
その大きな勘違いが、男装したムーランが死に、女性のムーランとして生き返るというシーン。
燃え尽きて灰となり、その中から新しく生まれ変わる、という神話はフェニックスのものであり、その起源はエジプトにあります。
そして鳳凰には、死んだ後その屍から蘇る、という伝説はなく、雄雌がいて卵を産んでひなが孵る、と伝えられているのでした。
男性と偽っていたムーランが真実の自分、女性の姿で蘇り、自分の持つ気の力を最大限に開放して敵を撃退する。
そんな感動的なシーンを演出したつもりだったのでしょうが、残念ながらその元ネタは中国古来にあった神話のモチーフではなかったという、トンデモな落ちになってしまっていたのでした。
実際、実写版「ムーラン」の中国における評価は芳しくありません。
映画を評価する中国のサイトで10点満点中4.8点と半分にも届いていませんし、中には辛辣なコメントもたくさんあります。
そんな中でこの鳳凰とフェニックスを勘違いしたスタッフ陣を痛烈に皮肉っているコメントとして、
「まるで欧米にある中華レストラン。中華料理と称した変な料理を出された気分。」
というものがありました。
監督他、脚本、撮影などに多くの女性スタッフを使って、女性のための映画を製作したようですが、演者をすべてアジア系にして撮影したにもかかわらず、肝心な制作スタッフ陣には誰一人中国をルーツに持つ人間を入れていないという中途半端な体制だったことが、原因だったのでしょう。
その他にも、「ただの武侠映画」とか「抗日映画とどこが違うの?」といった感想もあり、中国で受け入れられているとは言えないようです。
まとめ
今回は実写版「ムーラン」に、オリジナルアニメでの人気キャラ・ムーシューを登場させなかった理由と、その結果として代わりに登場させたフェニックスのせいで、映画の中途半端にしかできていなかった中国文化への敬意が露見してしまった点を紹介してみました。
その結果として、いまだにオリジナルアニメの多くのファンがいる欧米で酷評される結果となり、映画という部門では世界市場第2位という中国での新規ファンの獲得も大いに危ぶまれる結果となってしまいました。
もともと中国にあるムーランの伝承では「有事の際にそれに立ち向かう人達において、男性であるか女性であるかは大きな問題ではない」と結ばれています。
そんなお話をベースにしておきながら、女性問題だけをクローズアップして映画を作ってしまったところに、今回の世界的な不評という結果の理由があったのでしょう。
こんなことなら、本当に伝承のストーリーに忠実に寄せて、国難に立ち向かうためには一致団結が必要、男女の違いは大きな問題ではない、ということを主題にして制作すればより良い映画になったのではないか、と思ったりもしたのでした。
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