映画「アナと雪の女王2」ではエルサとアナが過去に起こった間違いによって、とても大きく狂ってしまった自然の調和をもとに戻すお話でした。
エルサの力によってエレメンタルが目覚め、アレンデールが風と大地のエレメンタルに攻撃されて国民は城下街の外に避難します。
エレメンタルが目覚めたわけ、それにつながるらしいエルサの力の源を探りに北の大地、ノーサルドラへ向かうというわけですが、そこは魔法の霧によって完全に行き来ができなくなっていました。
が、エルサの力で霧を通り抜けて森の中に入ることができた一行。
しかし一度入ってしまったが最後、中からはエルサの力を持ってしても抜け出すことはできなくなってしまいます。
この設定で、「アナと雪の女王2」のストーリーのどこに矛盾があるというのでしょうか?
それではその点を見ていくことにしましょう。
アナ雪2のストーリー矛盾は魔法の霧にあり
映画「アナと雪の女王」でストーリー矛盾があるのか?と疑問に思った方もいるかも知れません。
ストーリー的に良くできていますし、新しい音楽をたくさんに使って耳にもキャッチーです。
更に映像はアニメーションか、と思うほど美しい世界を作り出しています。
が、そんな素晴らしい作品だからこそ、あれ?と思う小さな矛盾が、逆に大きくクローズアップされると言ってもいいでしょう。
その矛盾のせいで、ストーリーが成り立たなくなり、ひいては作品全てに「どうせ作りものだし…」というフェイク感を感じてしまうからです。
それではどこに矛盾があるのか、あらすじのおさらいから始めていきましょう。
アナ雪2のストーリーのおさらい
魔法の霧によって外界と遮断されてしまったノーサルドラ。
一度、霧をエルサの力で通り抜け、ノーサルドラの森の中に入ることができた一行ですが、中にはいってしまった後はエルサの力でも外に抜け出すことはできませんでした。
中にはノーサルドラの民と、アレンデールの生き残りであるデスティン・マティアス中尉とその兵士が34年間も閉じ込められたままです。
しかも、ノーサルドラの森の中では、野生動物のように存在するエレメンタルたちが、何かと暴走しているようで、ノーサルドラの民も彼らから隠れるように生きてきた様子が伺えます。
そこでエルサとアナは自身の出生の秘密、実は母イドゥナ王妃はノーサルドラ出身であったことを知り、それがエルサが魔法を使える理由と深いつながりがあるに違いない、と結論づけます。
そして、更に聞こえる不思議な歌声に導かれるように、エルサとアナは北を目指すのでした。
その過程で両親が乗っていて海難事故に巻き込まれた船の残骸を見つけます。
そして、両親が実は北にあるとされているアートハランを目指して事故にあったことが分かるのでした。
アートハランを目指していた理由は、エルサの魔法の秘密を解き明かしたかったからです。
エルサもそこを目指しますが、魔法の力を持たないエルサとオラフの身を案じて、彼らを避難(と言っていいのかどうか?ですが)させ、一人で荒れ狂う北の海の海岸に立つのでした。
エルサは魔法の霧を抜け出ずにアートハランへ
簡単にストーリーのあらすじを記してみましたが、ここで問題となるのは、エルサがノーサルドラの森に入ってから、北の海の海岸に立つまで、ノーサルドラを外界から遮断している霧をくぐらずに辿り着いていることです。
つまり、霧は森だけではなく、海もすっぽりと覆っていると考えるのが自然でしょう。
しかもこの後、エルサは水のエレメンタル、ノックの力を借りてですが、アートハランにも無事にたどり着いています。
さらに加えれば、このノックとエルサのアートハランへの越海の様子は映画にしっかりと描写されていて、その途中には霧の姿形は全く確認できません。
これによって霧はアートハランも内側に含んいると考えられます。
でなければ、エルサは霧を抜け出してアートハランに辿り着いたことになってしまうからです。
ノーサルドラ出身のイドゥナ王妃は霧について聞いたことがなかった?
映画ではエルサは無事にアートハランに辿り着いていました。
つまり、アートハランも霧の内側に存在する、ということになります。
となると、次に持ち上がってくる疑問が出てきませんか?
イドゥナ王妃とアグナル王はアートハランにたどり着けなかった!
となると次に、エルサやアナの両親、アグナル王とイドゥナ王妃の事故について考えざるを得なくなってしまいます。
なぜかといえば、二人が目指したアートハランは、霧によってアレンデールから辿り着くことはできないことになるからです。
二人が出発するにあたって、このことを知らなかったから仕方がない、と言えなくもないですが、そうなるとイドゥナ王妃がノーサルドラ出身であることのにこの霧についてこれまでに聞いたことがなかったのかという疑問がでてきます。
イドゥナ王妃とアグナル王が結婚するまでの時系列
つまりこういう考え方です。
-
・若きイドゥナ王妃は傷ついたアグナル王を助け、霧で森が閉ざされる前に森から抜け出した。
・二人は無事、アレンデールに辿り着いている。が、この時点では二人はまだ恋人同士ではないと思われる。
・アグナル王をアレンデールまで運んだイドゥナ王妃は、故郷のノーサルドラへ戻ろうとした可能性が高い。
・が、霧のためイドゥナ王妃は森に帰ることができず、唯一の知り合いであるアグナル王のもとに戻ってきた。
・その後二人は恋に落ち、結婚することになった。
というわけで、イドゥナ王妃もアグナル王もノーサルドラを取り囲む霧の性質は十分に理解していたと考えるのが妥当だと思います。
実際にアレンデールとノーサルドラの間で争いがおこったとき、二人の年齢がいくつであったかは不明ですが、おそらく十代にはなっていたでしょう。
しかもノーサルドラ出身のイドゥナ王妃にとって、アグナル王を助けるためにノーサルドラの森を抜け出したものの、森の外で生活していこうと決断していたと考えるのは、映画の描写からは無理があると思います。
おそらくイドゥナ王妃はアグナル王を助け、アレンデールに送っていった後、故郷の森に戻ろうとしたに違いありません。
しかし、霧の為それは不可能でした。
仕方なくイドゥナ王妃は唯一の知り合いであるアグナル王のもとに行き、助けを求めたでしょう。
アグナル王は父親のルナード王がいなくなってしまったため、王位継承をせざるを得ません。
王となった彼は、イドゥナ王妃を故郷に返すために、国王としての自身の力を使ったと思います。
つまり、兵士を派遣し、ノーサルドラの森に入るルートを探すということです。
この手の作業は、人海戦術を使えば、より容易になるわけですので、国王であるアグナル王が兵士を使わなかったと考えるほうが不自然だと思うわけです。
王の権力を駆使してもノーサルドラに帰れない
が、その努力も虚しく、霧を超えてノーサルドラに戻るルートは発見できませんでした。
それが唯一の理由ではないにしても、行く宛のない命の恩人であるイドゥナ王妃をアグナル王が妻として迎えた理由の一つに、彼女に身寄りがない、ということもあったのだと思います。
ここまで考えてみると、アグナル王もイドゥナ王妃も霧を超えてノーサルドラに辿り着く方法はないことを知っていた、ということになります。
そしてもう一つの疑惑は、ノーサルドラ出身のイドゥナ王妃が、この霧について例えば伝承などで聞いたことがなかったか、ということです。
これはただなる疑惑で、イドゥナ王妃が霧について知らなかった可能性は十分にあります。
が、アグナル王の王としての力を使えば、霧が海岸線にまでかかっており、海に向かって伸びていることも知ることができたという可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
となれば、です。
船でアートハランへ向かうことが、不可能ぽいことも報告されていたのではないでしょうか?
確かに視界の限界の先の沖で霧が途切れている可能性はあります。
が、悪天候で有名な北の海に、確実性のない可能性にかけて国のトップである王と王妃が向かうのは、無責任なところがあると言われても仕方のないところでしょう。
子を持つ親の立場で、わらをもすがる思いで、というのは理解できますが。
イドゥナ王妃が知らなかったとしても北への航海は無謀
こう考察してきたことを、まとめると、アグナル王とイドゥナ王妃の乗る船が嵐にあって沈没したのは、予想のできる結果であった可能性が高い、と言えるでしょう。
「アナと雪の女王」の沈没したシーンでは、霧のことは全く描写されていませんが、霧の切れ目を探して、波の向きに選手を合わさずに航海した結果の海難事故であった可能性も捨てきれず、そうだとすれば、こうなる予想は事前に予測できたと言えると思います。
水の中なら抜けられる?
更にエンディングに向かって、ストーリー矛盾は加速していきます。
イドゥナ王妃がノーサルドラの出身であっても、霧について全く聞いたことがない可能性はゼロではありません。
聞いたことがなければ、船で北に向かったのも矛盾ではなくなります。
が、アートハランが切りの内側に存在することが確定している以上、どう考えても新しい説明が必要でしょう、という矛盾がエルサの最後の活躍のシーン出てきてしまうのでした。
エルサがアートハランから霧の抜けてアレンデールへ辿り着いた方法は?
映画の最後、アナがダムを破壊した後、氷漬けから復活したエルサがノックに騎乗して荒れ狂う水流の前に立ちはだかり、魔法を駆使してアレンデールを救うシーンがあります。
が、エルサがいたアートハランは霧の内側に位置しており、アレンデールは霧の外側。
エルサがアレンデールを救った時点では、霧はまだ晴れていませんでした。
ではどうやってエルサは霧を抜けてアレンデールまで戻れたのでしょうか?
考えられる方法・理由は3つ
考えられるのは3つ。
1つ目はかなり単純で、
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アートハランの近くの霧が、ダム破壊後すぐに晴れ、内陸の霧が晴れるまでの時間差があっただけ
というものです。
そうであったとすれば、なんの議論の余地もなく、エルサがアレンデールを救いに戻れたことになれます。
2つ目は裏技的な理由。
-
霧の魔力は、海の中までは影響を及ぼさなかった
です。
つまりノックに騎乗したエルサは、霧が立ち込める地点まで来た後、ノックの能力を利用して海に潜って霧の下をくぐり抜けたわけです。
ただしこの方法が可能であった場合、ノーサルドラの民も同じ方法で霧の外に出られたことになります。
ダムを壊した後、怒涛の水がアレンデールめがけて押し流されているわけですから、ダムは川、もしくはフィヨルドにつながっていて、それはアレンデールまで水でつながっていることになります。
霧の魔力が水の中まで及ばないわけですから、霧がかかっている場所で水に潜っていけば、外に出られることになるわけです。
ただし、ノーサルドラの人々にとって問題となるのは、霧の幅がどれくらいになるか、という問題、つまりどのくらい潜って進まないと外に出られないか、と水の温度の2点でしょう。
北の海の温度は冬には凍りつくほど冷たく、夏でも一桁であることが珍しくありません。
そんな水温であれば、慣れていない人が足でもつけようものなら、冷たいを通り越して痛いという感覚に襲われます。
そんな温度の水であれば、数分も浸かっていれば低体温症になってお陀仏です。
まぁ、ノーサルドラの人たちは寒さにはある程度、慣れているでしょうけど。
3つ目の理由。これが一番説得力があるかと思います。
つまり、
-
エルサはすでにこのとき第5のエレメンタルとなっており、ノックなどのエレメンタルは霧の影響を受けずに自由に行き来ができる
というものです。
これが一番しっくり来るのではないでしょうか?
映画内でエレメンタルが切りを通り抜ける描写は全くありませんでしたが、彼らにとってノーサルドラの森の外に出向く理由はないでしょうから、霧の外に出れるのに出ないのは、不自然ではありません。
森の外に出た描写がないからといって、エレメンタルも霧の影響で出られない、とするのはどうかとおもいますし。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
魔法の霧によって人の行き来ができない、という設定はいいですが、その霧が囲んでいる範囲を考えると、この設定に矛盾が出てきてしまいます。
霧の範囲を設定を満足させるエリアを考えると、今度はイドゥナ王妃とアグナル王のアートハランへの船旅が、納得いくものにはならなくなります。
この2つを満足させる、納得の行く答えが見つからない以上、ストーリーに矛盾があると言わざるを得ません。
何しろ、エルサは両親の死の責任を強く痛感して自分を攻め続けているわけですから、あまりにも彼女がかわいそうすぎます。
彼女だって彼女自身が望んで第5の精霊として、魔法が使える存在として生まれてきたかったわけではないのですから。
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コメント
森に入る段階でエルサの力で濃い霧の中に入れたのだからエルサなら霧は抜けれる→アートハランは霧の中にあるわけではないという考えでいいのでは?矛盾ではないような、、?
匿名ちゃんさん、コメント、ありがとうございます!
確かにご指摘の方法で説明がつきますね。
しかしエルサにそのような特別な力があったとしたら、それはきちんと映画の中で描写をし、映像として見せるべき設定だと思うのです。
もしくは少なくとも会話などでそのような力がエルサにあったことを明かすとか。
それがなくて、視聴者の知らないところで、エルサに特別な力があるから可能、というのでは、ちょっとルール違反だと思うのですよね。