映画「グレイテスト・ショーマン」でラブロマンスを展開する若い二人、フィリップ・カーライルとアン・ウィーラー。
肌の色から出自の背景まで全く異なる二人が惹かれ合うのですが、19世紀半ばの時代背景から、裕福層の子息がどこの馬の骨とも付かないサーカスのパフォーマーと一緒になるのは、身分の差から以ての外。
しかも白人と黒人という人種の違いまであってはほぼ不可能です。
そんなロミオとジュリエットも真っ青な障害を乗り越えて自分の信じた恋の道を突き進もうと覚悟を決めたフィリップが歌に乗せて思いを打ち明けるときの曲が「Rewight the Star」です。
実は英語の言い回しで「Written the stars」というのは、運命に定められているという意味があります。
ですので「Rewight」で「書き直す」、つまり運命を変えるという意味の題名になっているのです。
そんなフィリップの切実な思いと自分たちの思いを貫くには大きすぎる障害があることに恐れるアンの思いを十分に表している歌詞を和訳してみました。
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映画グレイテストショーマン・リライトザスター歌詞の解説
映画グレイテストショーマンでリライトザスターが登場するシーンではフィリップがアンに対する恋心を隠そうとしなくなっています。
しかしアンは、過去に同じようなシチュエーションがあったのではないか、と思えるほど白人の男性からの求愛に対して現実的に不幸にしかならない、とあきらめようとしています。
いっぽうでアン自身もフィリップに対する気持ちに気が付いており、その思いを押しつぶそうとしている葛藤も曲の中で感じられるのでした。
もし世界にあなたと私の二人だけしかいないのなら、すぐにでも一緒になれただろう。
しかし世間という現実からの影響によって、自分たちが陥ってしまったこの気持ちに正直であれば、不幸にしかならない。
そうやってあきらめようとしていました。
それでもフィリップの一途な強い気持ちにアンの心が揺れ動いており、彼女も可能性を感じ始めるというところで曲は終わっています。
二人の関係はその後、フィリップが自分の命を危険も顧みずにアンを助けようとした行動によって、結ばれることになるのでした。
フィリップ・カーライルとアン・ウィーラー
映画を見ていますと、フィリップがアンに一目惚れしたのははっきりとわかります。
ある意味、凄くわかりやすい程なのですが、そうなってしまうためのフィリップの背景など、説得力が薄いかな、と思ってしまいました。
例えば主人公のP・T・バーナムと妻になるチャリティは、出身階級の違いを物ともせず、結婚して子供まで産んでしまう程の強い愛を育む過程が、映画の中できちんと描かれていました。
実際のP・Tは映画のようにホームレスをしていたほど貧困にはなっていませんが、映画で描かれているP・Tのような境遇のもとに、それこそ何不自由なく育ったチャリティが、どんなに貧しい生活になっても、家族全員で生活することの幸せをいつも感じていたことに強い説得力がありました。
その一方でフィリップがアンに一目惚れしたシーンは、たしかにアンがとても幻想的に登場して、目を奪われてしまいますが、人種の垣根を飛び越えてまで一目惚れするのはどうなのか、と思ってしまいます。
ある意味、人種差別が激しい時代でもあり、白人が黒人を同じ人間と思っていないような時代でもあります。
そんな時代に、人種の違いだけでなく、裕福層出身とサーカスのパフォーマーという身分の違いもある相手に恋い焦がれるのでしょうか?
まぁ、映画のストーリー上、一目惚れしてくれないと困るし、サーカスに携わっている人々はパフォーマーを差別せずに接していたので、フィリップもそのうちの一人として勝手に思い込んでしまうのかもしれません。
僕としてはアンのほうが不自然さを感じました。
というのも、アンのほうがいつフィリップに気があるようになったのかわからず、気付いたらアンもフィリップに好意を持っていることになっていたからです。
これまた両思いでないとその後の展開が出来ないというのはありますが、アンの気持ちの演出に関しては、ちょっと手抜きがすぎるのでは、と思ってしまいました。
二人の関係で思い直したこと-2018年7月1日追記
映画を見たときには気が付かなかったと、アンとフィリップの関係で感じたことを追記していきます。
ボク個人の人生経験の貧弱さが原因だとは思うのですが、アンがフィリップのことをはじめから気にしていたような素振りを見せているのでは、と最近思うようになりました。
DVDを購入して何度も見返す事ができたので、鈍感なボクでも、「これは…」とおもう素振りを見せているんじゃないか、と思えてきたのです。
例えば、PTがフィリップのことをアンに紹介したとき、アンがフィリップに対してセリフをいいました。
思わせぶりのある、セリフでしたし、興味がないのであれば、フィリップに質問をする必要もなかったはずです。
特に時代背景からして黒人の女性が白人の男性に質問する、という事自体、眉をひそめられる、下手すれば、罰せられる行為であったでしょうから。
あと、英国女王への謁見の話に対して、パフォーマー全員ができるかどうかと確認したのも裏の理由があったと思います。
つまりフィリップがパフォーマーをどのように見ているかを知る、ということ。
ひいてはアン自身へも対等に見ていてくれているのか、ということを知るためだったのでしょう。
で、その後、フィリップのアンに対する好意が、行動を伴うようになってきたことに対して、嬉しくもありながら、戸惑いのほうが大きかったため、彼を受け入れようとしなかった、という行動になっていったのではないか、と思い直しました。
ザック・エフロンとゼンデイヤ
ザック・エフロンはディズニー映画の「ハイスクール・ミュージカル」シリーズに出演しており、ディズニー出身であることは有名ですが、ゼンデイヤもディズニー・チャンネル出身です。
インタビューに出演した際、ザックがゼンデイヤに「今まで映画の中で何度もキスシーンをこなしてきたけど、ゼンデイヤとのシーンが一番だった」と言ったことを暴露しています。
ゼンデイヤは映画の中でサーカスのパフォーマーという役をこなしていますが、全てのシーンでスタントは使用せず、彼女自身でパフォーマンスをを行いました。
その身体能力は恐るべきものがあります。
彼女自身、新しく履歴書に書くことのできる特技を習得できて楽しかったと言っていますが、そのトレーニングは相当のものだったそうです。
二人はこの映画の撮影まで一緒に仕事したことがないだけでなく、始めてきちんと会うというレベルでした。
それが、会ってお互いのことを話すくらいの少しの時間を過ごした後、すぐにこの曲のシーン撮影に入ってふたりとも空中に釣り上げられたそうです。
そこから二人の悪戦苦闘が始まるのですが、OKシーンを収めるまで何度もボディスラムをお互いにしあったとインタビューで答えていました。
ザックの話では、最初にセットに入っていくとある女性がほぼ完璧に空中曲芸をしており、その出来にとても驚いていたそうですが、それがゼンデイヤであることに気付いてさらに驚いたそうです。
ゼンデイヤは数週間前からすでに特訓をしていて、かなりの経験を積んでいたのでそのような事になったのですが、それでも彼女がセットに始めて来たときに、驚いたそうです。
というのも、練習では曲芸をする下に安全ネットが常に設置されていたのですが、セットには安全ネットがありませんでした。19世紀中頃のサーカスではまだ安全ネットなるものがなく、時代考証をきちんとするために、セットにも設置してなかったそうです。
もちろん、安全用のハーネスを付けていたので、失敗しても大丈夫なのですが、4、50フィートもの上空からネットのない地面を見ると、やはり恐怖心がわいたと答えていました。
で、最初に紹介したザックの言う「最高のキス」ですが、詳しいことについて、とあるインタビューでザックが答えています。
役に入り込みすぎてフィリップになりきってしまっていたそうで、
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19世紀中頃の時代背景として人前でキスをするという行為が今ほど当たり前ではなかったこと
さらに当時ではほぼあり得ない、白人と黒人という人種間を超えた恋であったこと
そういった諸々の二人の思いを阻害する障害が多々ある中で、遂にすることになったキスだったから、というのがザックをして「最高のキス」だと思わしめたそうです。
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コメント
>4、50メートルもの上空
14、5メートルくらいじゃないかな・・・?
まるさん、コメントありがとうございます!
僕もご指摘の通りではないかと思ったのですが、何度インタビューを聞いても「フォーティ、フィフッティ」と聞こえ、「フォーティーン、フィフティーン」と聞こえなかったので、このように記載しました。
もしかするとまるさんのご指摘が正しいのかもしれません。
>4、50メートルもの上空
ひょー、50mって相当な高さですよ。
観覧車のてっぺんくらいです。
で、空中ブランコは一般的に15mくらいです。
イメージしてみてください。
実際の3倍の高さで練習。。。?
言い間違えだとおもうなー。
観覧車さん、コメント、ありがとうございます!
確かにご指摘のとおり、「4、50メートル」はあまりに高すぎますね。
おっしゃるように言い間違えか聞き間違えの可能性が高いと思いますが、一つ気がついたのは「メートル」ではなくてアメリカで使われる「フィート」の間違いでは、ということでした。
これですと「4、50フィート = 12.19メートル ~ 15.24メートル」となり、それほどおかしくない数字になりますので。
パフォーマーのことがもう少し知りたくて、あなたの記事を見つけ、そのまま他の記事も楽しく読ませていただきました。
私はアンの気持ちの演出の部分が手抜きだったとは思いません。それにフィリップの一目惚れも、人種が違おうが、身分が違おうが、するときはすると思います。アンについては、人種差別は感じていても、パフォーマーとしての自信はある程度あっただろうから、フィリップを最初は何とも思っていなかったと思います。でも好意を寄せられていることには気づいていたようなシーンもあるし、差別されてきたのとは逆に好意を寄せられたなら意識もするだろうし、でも歌のとおり無理だとハナから諦めの気持ちもあって、態度には出さないと思います。なので、アンがいつからフィリップを好きになったのかと言われるとアン自身にもはっきりわからないだろうと思うし、たぶん徐々に目が合うたびにとか気持ちが育っていって、空中ブランコではっきり告白されて、でも無理で、火事ではっきり受け入れた、って感じじゃないかと思います。私はこの2人の恋のシーンが障害のある恋の王道でロマンチック過ぎて大好きです。
まりさん、コメント、ありがとうございます!
この記事とともに他の記事も楽しく読んでいただいて、とても嬉しいです。ありがとうございます!
正直にいいますと、「アンの気持ちの部分の演出の手抜き」の下りは、反省しないといけないかも、と思っています。
というのも、最近、映画公開の後のDVDが発売され、ボクも好きな映画なので、購入して何度も見る機会ができました。
見返してみると、アンがフィリップに気がありそうな振る舞いをしているように思えてきたからです。
お恥ずかしい話、女性心理に鈍感で、これまで持ててきた経験もないので、パッと見では気が付かなかったのですが、今から思うとそれなりにシグナルは送っていたのかな、という気になってきました。
アンとしてはその時代背景や人種の差などもあり、いくら気があっても向こうがなんとも思っていなければ、どう仕様もない立場なので、慎重にフィリップの気持ちを確かめる必要があったと思います。
イギリス女王に謁見する前も、PTとフィリップだけでなく、パフォーマー全員が謁見できるのかどうかを確認したりしていますし。
表向きの理由は額面通りでしょうが、裏の理由としてフィリップがパフォーマーに偏見の気持ちを持っていないか、確かめたかったのではないか、と邪推してしまいました。
そして、いざフィリップがアンのことを好きだと態度で示して迫ってきたときに、自分もその思いに正直で痛いけど、社会やフィリップの家族の反応を考えると、やはり恐ろしくなってしまったのだと思います。
まりさんがご指摘のとおり、「障害のある恋の王道」で逆に引き込まれますよね。
ネタも落ちもわかっていながら、いつ二人は一緒になれるのだろうかとハラハラしたり、受け入れたときのハッピーエンドに喜んだり。
この映画は、色々なメッセージが上手く映画の中に取り込まれていて、それらが綺麗にまとまっているし、何より曲がとてもいいので、最近の一番のお気に入りです。