映画ストーリーオブマイライフわたしの若草物語でジョー達に友人が少ない理由を考察

ヒューマンドラマ

映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」はマーチ家の4姉妹とその母、近所に住む幼馴染のローリーを中心に物語が進んでいきます。

金持ちで、特にジョーとエイミーに影響を与えたマーチ叔母さんも主要なキャラクターの一人でしょう。


メインのストーリーは彼らだけできちんと作り上げられ、進んでいくので視聴していて、そう違和感は感じられませんでしたが、年頃の娘4人が主人公の話としては、少し変な気がしなくもありませんでした。

そしてその理由について、4人に友人がいないからではないか、と思ったのです。


今回はそのことについて、なぜ友人が登場しない設定になったのかの背景も含めて考察していきたいと思います。










映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」の主要キャラは家族とお向かいさんだけ

映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」はマーチ家の4人姉妹の、それぞれの個性や考え方の違い、とくに結婚に関しての対比がくっきりと描かれていました。

そして恋愛、結婚をテーマに描く以上、相手となる男性が必要ということで、ローリーという金持ちのお向かいさんという幼馴染が登場します。


ストーリー展開として、住んでいる村でダンス会があったり、学校でエイミーが先生に叱られるシーンがあったり、はたまた長女メグの結婚式で、大勢の祝い客がいたりと、ご近所づきあいは普通にあったような描写がいくつかありました。

が、主要キャラクターとして登場した同年代の女性はおらず、女友達をもつ4人姉妹は誰一人として存在してい内容に描かれています。


4姉妹の年齢差は、年子で長女メグと次女ジョーが生まれており、1年置いてまた年子で3女ベスと4女エイミーが生まれているため、長女メグと末っ子ベスでも4歳しか離れていません。

ですので、年齢差的なギャップもなく、姉妹であり友達という感覚が生まれやすかったのではないか、という理由は納得がいくでしょう。

だから他に友達が不必要とは言いませんが、すでに家族の中に友達がいる以上、外で作る必要性が高くなくなったという要因は考えられます。

作者ルイーザ・メイ・オルコットも友人が少なそう?

映画の元ネタとなった小説「若草物語」は、作者のルイーザ・メイ・オルコットの自伝的小説といわれています。

ルイーザの子供時代にあった出来事をそのままドキュメントとして執筆するのではなく、登場人物の名前を変え、中にはフィクションのキャラクターを交えて小説にしたのでした。


ジョーがルイーザのモデルといわれており、ルイーザにも4人の姉妹がいてメグ、ベス、エイミーもそれぞれの姉妹がモデルとなっています。

ですので、ジョーや他の姉妹たちに友人が少ない理由は、ルイーザの実際の幼少期がそのまま投影されているのではないか、と考えて調べてみました。

ルイーザの子供時代

ルイーザの子供時代を調べると、彼女の家庭は貧困で、さらに宗教的に特別な考えの中で育ったことが分かりました。

父親のエイモス・ブロンソン・オルコットは超越主義者として後に名を残す人物で、当時、超越主義者の代表的な人物であるラルフ・ウォルドー・エマソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローなどと交流があり、彼らがルイーザの教育をしたこともあったそうです。

超越主義とは

この超越主義をざっくり解説しますと、キリスト教の考え方の一つで1820年から1830年ごろにアメリカ東海岸のニューイングランド地方を中心に広まったものです。


アメリカがヨーロッパ人に知られるようになって以来、イギリスからアメリカに移住してきた人々はピューリタンと呼ばれるカルバン派のキリスト教徒でした。

このカルバン派は「三位一体」という、カトリック教会やプロテスタント、正教会などといった世界的に信者を多く有しているメインどころと同じ教義を信じているのでした。


一方で超越主義というキリスト教は、この「三位一体」という考えを否定し、神は人間の精神に宿るとしています。

健全な精神は神そのもので、宇宙の本質、神と人間の内面とは究極的に同質のものだとして、人間の精神、自我そのものが神であると主張したのです。


ちなみに「三位一体」の意味を説明すると、父である神、子であるイエス・キリスト、そして霊である聖霊の3つが、唯一絶対の神であるという考え方で、「この3つが同じ1つのもの」という考えではありません。

完全な個人的な想像の考察ですが

このように、ルイーザが住んでいた地域を中心に広がりつつあった超越主義という考え方に、ルイーザの父親がのめりこんだため、家族でその考えに沿った生活を送ることになったわけです。

超越主義の人たちは同じ考えを持つ者が集まって、その教義を中心にした理想郷を作ろうとしていくのですが、ルイーザの両親もこの流れに乗っかってわざわざ引っ越しして移り住んでいました。

しかしそこでの生活は、共同体組織がうまくいかなかったために2年ほどしかおらず、その後はいろんな土地を転々としたようです。


このような幼少から青年の時期を送っていたわけですので、家族のつながりが強いのに対し、同じように強い結びつきを持った友人は少なかったのではないでしょうか。

そしてそういった経験が、「若草物語」が姉妹4人を中心とした話となり、姉妹の友人がほとんど登場しない結果になったのではないか、と考察するのです。

考察のまとめ

映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」でジョー達姉妹に友人がローリー以外ほとんど登場しない理由。

「若草物語」が作者であるルイーザ・メイ・オルコットの自伝的小説で、彼女が子供のころから大人になるにつれて送った生活の経験をもとに書かれた作品です。

ですので、4姉妹の友人が登場しない理由は、ルイーザが送った生活にあるのではないか、と仮説を立てました。


その仮説を基にルイーザの幼少期の歴史を調べてみると、両親、特に父親が当時広まっていた新しいキリスト教の考え方に傾倒しており、その考え「質素な生活と高度な思考」を体現しようと、同じ考えを信じる人々との共同体生活を送る試みをしていたことが分かりました。

しかしその生活は失敗し、家族は貧困の中、点々と住む場所を変え無ければいけない時期があったようです。

そのような生活を送っていたわけですので、その時その時に友人はいたでしょうが、常に一緒にいる家族よりも強いきずなで結ばれる友人ができた可能性は少ないと考えられるでしょう。

そして、そんなルイーズの幼少期の体験から、「若草物語」ではローリー以外の姉妹の友人が登場しないということになったのではないでしょうか。


ちなみにローリーは、実際には作者ルイーザの完全な創造人物で、ローリーに当たるような友人がルイーザ姉妹にいたわけではありません。












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