カナダ在住20年の筆者が見た映画の感想とふと思った疑問についてを勝手気ままに書いていくブログです。

映画ストーリーオブマイライフわたしの若草物語でジョーが見せた結婚観への矛盾を考察

 
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映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を視聴した時、主人公の4姉妹が見せた女性の生き方、恋愛についての考え方の違いがとても興味深く、特にジョーやエイミーの結婚に関するセリフは、とても心に突き刺さりました。

が、時間が経つにつれ、映画内で描かれていた「女性にとっての結婚」というものに違った角度からの見方を考えるようにもなりました。


今回は、そんな映画の主題にもなっている「女性にとっての結婚」について、考察をしていきたいと思います。









映画「ストーリーオブマイライフわたしの若草物語」時代女性にとっての結婚

映画の舞台となったのは1840年代のアメリカ。

今から160年前の昔になります。


今以上に男性と女性の生き方がはっきりと分かれていた時代で、男性には許されて女性には許されないことが多かったことから、性別間の差別が明確に存在した時代でもあります。


そんな時代、女性は男性と結婚し、たくさんの子供を産むことがよいことだ、という価値観がありました。

たくさんの子供がいれば、その子供が成長したのちに、その家族にとって多くの働き手が存在することになるからです。


そしてたくさん丈夫な子供を産むことこそが、女性の唯一の存在価値である、と考えられてしまったのも、とてもひどい話ではありますが、背景的に考えると仕方がなかったことなのかもしれません。

貧しい生活の中ではとにかく食べていかなくてはならず、そのために必要なものをそろえることが生活するうえで最低条件になりますので、その条件を満たすことができるかできないかは死活問題です。

だからこそ、子供をたくさん産む女性はこの最低条件を満たすことのできる良い女性、逆に満たせないのは悪い女性、という見方がされてしまったのではないでしょうか。


しかしこの考え方は、個人のたった一面だけを見て、その個人の全体を判断することになる、とても非人間的な価値判断です。

だからこそなのでしょう、国全体の生活レベルが向上してくるにつれ、作品の中のジョーや、ジョーのモデルとなった作者など、このような考え方はおかしい、と主張する人が増えてきたのだと思います。

夢をあきらめて結婚しなくてはならない?

また、女性にとって結婚は、それまでの夢をあきらめる人生の区切りとしても描かれています。

メグの結婚の準備中、ジョーがメグを駆け落ちに誘うシーンがありました。

その中で、ジョーはメグが夢に見ていた女優になることをあきらめないといけないことに、納得がいっていかない、とコメントしています。

映画の後半ではジョーが、

    「結婚すれば女性は幸せになるという考えにうんざりしている」

と激白するシーンにつながっていくことで、

    結婚が女性を縛っている

という主張がとても力強く発せられていると感じました。

そして女性の置かれた立場の不公平さに理不尽を感じたものです。


が、よくよく考えてみると、結婚したから夢をあきらめないといけない、という考えは、「若草物語」が発表された19世紀前半という時代では、一般常識のような感じだと思いますが、今の時代に置き換えて考えてみると、必ずしも、そうではないのでは、と思うようになったのです。

映画の舞台となった当時は、結婚することで、夢をあきらめなくてはならなくなったでしょう。

結婚して子供を作り、家事をこなして育てていく生活しかできなくなる人生ばかりだったと思います。


一方で、160年の時間が経った現代では、結婚することと夢をあきらめなくてはならないことはイコールにはならないのでないでしょうか。

結婚をしてからは、確かに自分だけの物事を決められなくなり、パートナーの承諾や賛同、応援を受ける必要が出てくるようになります。

が、そこさえクリアーすれば、自分だけでなく家族のサポートも受けられるようになるというメリットを受けることができます。

ジョーも時には結婚したくなった?

また、ジョーも「結婚すれば女性は幸せになるという考えにうんざりしている」と激白する前に、孤独感からの寂しさから、今ローリーにプロポーズされたら受けると思う、という弱音を吐いています。

これは結婚によって得られる家族の愛情やぬくもりといった、確かに失うものもあるが、結婚によってでしか得られないかけがえのないものもある、ということを的確に表しているのではないでしょうか。

その寂しさは、結婚が女性の立場を不公平なものにしているという信念を持っていたジョーでさえ、考えをまげてそこから抜け出したい、と思ってしまうほど、強いものなのでしょう。


その寂しさは、子供のころに両親がいて、仲のよかった姉妹が遊んでいた記憶のある家の中が、大人になった今では二人の姉妹が結婚して出ていき、一人が病死してしまって、以前よりもスペースのある、がらんとした空間に母親だけと一緒にいることの違いを痛烈に感じることによって湧き上がってきたのだと思います。


ただ、そんな寂しさを素直に受け入れることができないのは、制度として結婚した後の男女で大きな不公平感があるから。

そして、その不公平を生みだし、ついには女性蔑視の考えに無意識のうちに、染まってしまう結婚という制度が、男女間の不公平が存在する象徴になっているからなのではないでしょうか。

考察のまとめ

映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」で一度はその通りだ、と思ったものの、後から考えると違和感が生じてしまった結婚と女性問題に関する描かれ方。

そのことを考えると、結婚そのものが悪いというよりも、結婚という制度が作り上げられ、人間の生活の中で利用されてきたのが、長い歴史の中で生活様式が改善されていって変わっていったにもかかわらず、制度は昔のままであったことが問題点ではないかと、と思いました。


それは例えば、

    結婚したら女性は夢をあきらめなければならない

と思われていることが、おかしいのであって、

    ・結婚しても夢を捨てずに追い求めてよい
    ・未婚か結婚かに関係なく女性が夢を求めて生きていける

そういう世界であるべきなのではないか、と考えたのでした。












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