映画「思い出のマーニー」
ジブリ映画ですが、宮崎駿は監督はおろか制作に一切かかわっていない作品でした。
そのせいもあってか、ジブリの作品の中でもなんとなく一味違う味わいの映画に仕上がっていると感じた作品です。
そんな「思い出のマーニー」ですが、エンディングはハッピーエンドで終了しています。
性格的に内側に閉じこもっていた感じの杏奈が前向きにすべてと接し始めており、彼女の未来が明るいものとして感じられるようになっていました。
そんな「思い出のマーニー」ですが、その後について、どのような展開になっていく可能性があるのかを考察してみました。
思い出のマーニーのその後を考察!
「思い出のマーニー」のその後を考察していくにあたり、まずは映画で語られる杏奈が知った真実のすべてを見ていきましょう。
それによってどのように彼女が変わったのかをまとめ、その結果、その後の話はどのような感じになるのか、を考察していきたいと思います。
杏奈が知った真実のすべて
杏奈を養子として引き取ってくれた頼子さん夫婦が、杏奈に内緒で自治体から杏奈の養育費を受け取っていたことに傷ついていました。
しかし、頼子さんよりお金のために杏奈を引き取ることを決めたわけではなく、本当の娘のように思っていると打ち明けられ、彼女へのわだかまりを消し去ることができます。
療養地として訪れた田舎で出会ったマーニーは、杏奈の空想の産物で、彼女の実の祖母がマーニーでした。
だからこそ杏奈の目の色が青みがかっていた分けです。
そしてマーニーと一緒に体験した出来事は、幼い時に祖母から聞いた昔ばなしを無意識のうちに覚えており、その話を追体験として、マーニーと一緒に体験したように感じていたのでした。
自分が何者なのか知ったあとの杏奈
自分がマーニーの実の孫であることが分かり、身寄りのない、すべての人から捨てられた孤児というアイデンティティを払拭することができたのです。
それによって他人に対して卑屈な気持ちを持つという性格に変化が見られ、ある程度素直に自身の気持ちを表せられるようになっていました。
頼子さんのことを「おばさん」とは言わず、「母」だと紹介していましたし、七夕祭りでひと悶着あった信子にもきちんと謝罪をしています。
仲良しになった彩香とは文通の約束をして、次の夏に必ず再会することも伝えていました。
札幌に戻ってからの杏奈のその後を考察
このように、療養に訪れた村での一連の出来事を体験した結果、杏奈はとても前向きな正確に変化し始めていました。
彼女を一人残してなくなってしまった母親や祖母に恨みを抱いていましたが、そんな彼女ら自身が抱えていた悩みや不幸を知り、それが原因で彼女らの人生も狂ってしまったことを理解したからです。
しかも二人は不幸のまま、幸福になる前に命を落としてしまっており、もう二度と幸せになることができないことへの悲しみや無念に気が付いたのでしょう。
だからこそ、まだ生きている杏奈はこれからの人生を自分の努力によって幸福にも不幸にもできることへの感謝の念が生まれたのだと思います。
さらに、子供のころ、孤児になった際に引き取り手が誰もいなかったことで、自分はいらない子供であるというトラウマを植え付けられ、何かの拍子にその不安が、過剰に彼女の精神を蝕んでいました。
ですので頼子さん夫婦が杏奈に黙って自治体から養育費を受け取っていることを知ってしまうと、この養育費のために杏奈を引き取ったのであって、本当に彼女のことを欲しいと思っているわけでない、と勝手に結論付けてしまいます。
それ以外の理由があるのでは、という考えは全く浮かばないところに、見ている視聴者はこの杏奈の否定的な考え方に関して「性格が悪い」と思ってしまうのでしょうが、この時点では杏奈にはこの真実を楽観的に考える余裕は全くなかったのでしょうね。
頼子さんの、常に心配してしまう性格に対しても、杏奈が思い込んでいるだけのこの事実が彼女に知られるのではないか、というのが原因だと邪推し、さらに自分の殻の中に閉じこもってしまっていました。
しかし、杏奈は自分自身の実の母親、そして祖母がどのような思いで生きていたのか、を知るにつけ、自分が愛されていたことを知ります。
そして仕方のない理由があったことを理解できずに、若くして死んでしまった母親の過ちを繰り返してはいけない、そう感じたのではないでしょうか。
おそらく札幌に戻った後、杏奈は特に頼子さんと良い関係を築いたと思います。
そしてなぜ、自分は他の人と違うのか、という理由がわかったことで、他人に対して彼女の心が勝手に作っていた壁を、意識することが少なくなっていくことでしょう。
自分の目の色が他の人と違うことや、養子として血のつながっていない両親に育てられていることにも、理由が分かったことで自信が持てるようになったからです。
学校に戻ってから療養先で出会った彩香や久子のような友人ができる可能性も高いとでしょう。
療養先で親しくなった人たちとは手紙のやりとりを今後も交わしていることでしょう。
そして次の夏には再度、訪れていくに違いありません。
成長して学校を卒業し、大人になった将来的には、療養先の村に移り住む。
そんな未来も実現しそうなほど、気に入っているのではないでしょうか
頼子さんは親として杏奈に認められた?
札幌に頼子さんと一緒に戻る前、湿地屋敷の絵を完成させようとしていた久子さんにお別れの挨拶をした杏奈でした。
その際、杏奈と一緒に久子さんに挨拶をした頼子さんのことを、杏奈は久子さんに、
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母です。
と紹介しています。
間違いなく杏奈は頼子さんの杏奈を思う愛をしっかりと認識したのでしょう。
自分を愛してくれている人たちがいることに気づくことができるようになった杏奈はその愛を、疑うことなく受け止めることができるようになりました。
そのことで自然と頼子さんのことを「母」だと呼んだのだと思います。
杏奈は頼子さんに心を開いたと確信しました。
ただ、今後の話を考察するに、杏奈よりも頼子さんのほうが心配だと思ってしまいました。
あの心配性を直さないと、杏奈のことを信用できずに過保護に接し、そのことで逆に杏奈にまた、邪推をさせてしまわないとも限らない、と感じたからです。
まぁ、杏奈も札幌に戻って友人ができる可能性が増えていますので、心配性の頼子さんのことを友人に愚痴っている未来が、案外すぐ近くに起こっているかもしれませんけどね。
まとめ
「思い出のマーニー」について、札幌に戻った杏奈のその後を考察してみました。
周りの人々に心を開くようになり、頼子さんとはより良い家族の関係を築いていると思われます。
学校でも新たに友人ができる可能性も高いでしょう。
療養先との友人とも手紙のやりとりを続け、夏になれば、訪れて再会を楽しんでいると考えられます。
さらに時間が経過して学校を卒業し、どこかに就職するという年齢になったころには、療養先の村で何とか仕事を見つけて、移住しているかもしれません。
そんな未来も現実のものになるのでは、と思えるほど、杏奈にとって自分のアイデンティティを確立させ、自信を持たせてくれた場所になっていたと思います。
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