【バックトゥザフューチャー】トリビア・制作裏話・撮影秘話まとめ!

SF

1985年に公開され、全世界で大ヒットとなった映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

主人公を演じたマイケル・J・フォックスを世界的な大スターにした映画でもあります。


そんな超有名な映画のトリビア。制作裏話、撮影秘話を集めてみました。

改めて知ると、とても面白くて興味深い話がいくつもあったことが分かります。

それではひとつずつ見ていくことにしましょう。









目次

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の制作裏話

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が生まれたきっかけや、あのドクの有名なセリフを映画の中に入れるために、実はされていた交渉など、いろんな出来事がありました。

そちらについて見ていきたいと思います。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」誕生のきっかけ

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は制作担当のボブ・ゲイルと同じく監督を担当したロバート・ゼミキスの二人が共同で脚本を作り上げたことから生まれました。

ボブ・ゲイルは、映画のアイデアを思い付いたきっかけについてこう語っています。

    父親の高校時代の卒業アルバムを見つけてページをめくっていくうちに、ふと十代の自分が同じく十代の父親と友達になれるだろうか、と考えたんだ。

    そこから映画の構想が生まれて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が誕生したわけさ。

    そして本当にタイムトラベルができるのであれば、実際に父親と友達になれるかどうかを確かめに行ってみたいとおもうよ。



はじめはタイムスリップすれば高校時代の父親と友人になれるのかな?というふと考えたことが、あそこまでの手に汗握るアドベンチャーストーリーになったのでした。


今でも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の脚本としての評価は高く、名門南カリフォルニア大学の映像学科の脚本の授業では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の脚本を完成度の高い完璧な教材として、テキストに使用しているくないなのでした。

主題歌「パワー・オブ・ラブ」の誕生秘話

映画の主題歌を歌ったヒューイ・ルイスが語った「パワー・オブ・ラブ」誕生についての逸話です。


ロバート・ゼメキスとボブ・ゲールに映画用の曲を作成するように頼まれたのですが、最初にできて持っていった曲には二人はあまり納得をしていいなかったそうです。

そして二人はどういったイメージの曲を期待していたか、をヒューイ・ルイスに説明しました。

その結果に出来上がったのが「パワー・オブ・ラブ」だったのです。


その時に、ヒューイ・ルイスは映画にはもう一曲必要だと二人に話し、それに賛成した二人はいくつかの撮影シーンをヒューイ・ルイスに見せることにします。

それらの映像からインスパイアされて出来上がった曲が「バック・イン・タイム」になったのでした。

大統領ロナルド・レーガン

映画の舞台となった1985年当時のアメリカ合衆国大統領であったロナルド・レーガンは若いころ俳優で映画に出演していました。

1955年の世界にある映画館にはロナルド・レーガンが出演している西部劇が上映されていますし、「R・Reagan(R・レーガン)」と出演者として映画の題名の下に表示されています。


そのロナルド・レーガン大統領は、ドクが1985年に俳優のロナルド・レーガンが大統領になっていることを冗談だと思っているシーンを大変気に入っており、ホワイトハウス内の視聴室で映画を上映させた際には、このシーンを何度も巻き戻して上映させていたほどだったとか。

そしてあまりにこのシーンが気に入ったため、翌年の1986年のアメリカ合衆国において、大統領が連邦議会両院の議員を対象に行う演説で、国の現状 についての大統領の見解を述べ、主要な政治課題を説明する年頭教書ともいわれている「一般教書演説」において、映画のエイディングにドクが言ったセリフ、「Where we’re going, we don’t need roads.(どこに行くとしても、道なんて必要はない)」を演説の中に取り入れたほどでした。


こちらがその映像。




ですが、このドクのセリフを映画の中に含めることについて、ボブ・ゲイルはレーガン大統領の機嫌を損ねかねないというリスクを考慮し、ホワイトハウスに事前に確認を取ったそうです。


映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とのいくつものエピソードがあったロナルド・レーガンも晩年はアルツハイマー病が進んで自分のことも忘れてしまっていたそうで、2004年6月に肺炎のために死去されたのでした。

44回断わられた!?

本作の脚本は映画化するためにいろいろな所に持ち込んだものの、計44回却下されたという裏話がありました。
つまり、45回目にしてようやく映画化OKとして採用され、結果的に大ヒットしたのです。


映画を断ったスタジオの中にはディズニーも含まれていました。

ディズニーが断った理由はタイムトラベルをしたとはいえ、息子と母親が恋仲になる、というストーリーは、ディズニーが対象としている視聴者にはそぐわないどころかディズニーのイメージを損なうリスクが高すぎる、というものだったそうです。


しかし「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のストーリーがリスクの高いものであると考えたのはディズニーだけだったそうで、他の映画会社は他の理由で断っていました。

実際1982年の青春映画「初体験/リッジモント・ハイ」や1984年のコメディ映画「ナーズの復讐」に比べれば、全然普通の映画であるという認識だったそうです。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の撮影秘話

ようやく映画化にこぎつけ、撮影開始という運びになるわけですが、この撮影もそれほどスムーズに進んだわけではありませんでした。

今度は撮影秘話を見ていくことにしましょう。

主人公のキャスティングでトラブル?!

マーティ役は元々マイケル・J・フォックスが候補に挙げられていました。

が、当時彼はテレビドラマ「ファミリータイズ」のレギュラーを持っており、メインキャラクターを演じていた共演者が産休に入っていたため彼が番組を担っていたという状況。

そのため、映画との掛け持ちを許されなかったのです。


エージェントは優れた脚本に対し「彼にオファーしないでくれ。彼はこの映画を大変気に入るだろうが、出演はできないことは確実なので、私が彼に一生恨まれる」と言っていたそうです。


彼へのオファーは断念され代わりにエリック・ストルツが起用されることになります。

また、マーティ役がエリック・ストルツに決まるまで時間がかかり、何度も撮影延期されたため、ようやく撮影が開始される頃には、今度はジェニファー役のクローディア・ウェルズはスケジュールが合わなくなってしまいました。

そこで代わりのジェニファー役にメロラ・ハーディンが起用されることになります。


しかしエリック・ストルツはドクとのやり取りでの違和感などの理由から、撮影開始から6週間に降板させられてしまうことになります。


制作陣は、再度「ファミリータイズ」のプロデューサーに掛け持ちをマイケル・J・フォックスの出演を打診したところ、

    「産休を取っていた女優も復帰したから、マイケルが希望するならば出させてもいい。が、ドラマの撮影の方を優先すること」

との条件で了解が得られました。

こうして最終的にマーティ役はマイケル・J・フォックスに落ち着いくことになったのです。


さらに、メロラ・ハーディンはマイケル・J・フォックスよりも身長が高かったため、2人のバランスが合わないことが原因で降板させられます。

フォックスが撮影に合流する頃にはクローディア・ウェルズのスケジュールも再び合わせることが可能であったため、クローディア・ウェルズがジェニファー役に復帰したのでした。


当時のマイケル・J・フォックスは朝6時に起きてドラマの撮影、夜は映画の撮影で自宅に戻れたのは深夜2時を回っているのが普通だったとそうです。

そのため、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の撮影は主に深夜、そしてドラマの撮影のない週末にかけて行われることになりました。

その結果、撮り直しのための追加の出演料や、スタッフへの深夜、休日出勤の手当を支払うことになったそうです。


映画の撮影が終了した後は、マイケル・J・フォックスはドラマ「ファミリータイズ」の撮影をつづけ、スケジュール通りにこなすことになります。

そのためマイケル・J・フォックスは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のプロモーションツアーには一切参加していないのでした。

撮影は無駄にしない

実は6週間で降板となったエリック・ストルツによって撮影していたシーンもいくつか映画でそのまま使用されています。

その代表的なシーンは、

    ・リビア人に発砲されて、デロリアンに飛び乗るシーン
    ・レストランでビフの顔面を殴打するシーン
    ・学校の食堂でのビフとマーティの乱闘シーン

などはエリック・ストルツによる演技の映像でした。

レストランでのこぶしや画面に少しだけ映るマーティの輪郭などはエリック・ストルツのものです。

やりすぎも降板の理由?

ビフ役のトーマス・ウィルソンはマーティとビフが学校の食堂でのケンカのシーンを撮影した際に、鎖骨を骨折しそうになっるほどだったそうです。

このことが起こったのは、まだマイケル・J・フォックスが起用されていない、エリック・ストルツとの撮影の時に起こった出来事で、エリック・ストルツの演技がヒートアップして力が入りすぎたせいでした。

エリック・ストルツのあまりの力の入り具合に、小突かれた胸にはあざが残り、トーマス・ウィルソンがはっきりと口に出してやりすぎであることを伝えたそうです。


トーマス・ウィルソンはこの仕返しを考えていて、映画の後半、学校の駐車場でのビフとマーティの乱闘シーンの撮影の際に、マーティにボディブローを本気でやってやろうと考えていたそうです。

が、その撮影をする頃にはエリック・ストルツは降板し、マイケル・J・フォックスがマーティ役で撮影を行っていたため、実行することはありませんでした。

役に入り込むために

マイケル・J・フォックスに代わりにマーティ役に選ばれたエリック・ストルツは、役に入り込むために、撮影の最中は「マーティ・マクフライ」という名前以外には返事をせず、自分のことも「マーティ」と他の共演者やスタッフに自己紹介していました。


そのため、エリック・ストルツの降板が決まった際に、その話を聞いたドク役のクリストファー・ロイドは「エリック・ストルツ?誰がエリックだって?」という反応をしたそうです。

そしてエリック・ストルツが誰であるか分かった後、「てっきり彼の名前はマーティだと思っていたよ。」と感想を述べたのでした。

ジョニデもマーティ役を狙っていた!

実はジョニー・ディップもマーティ役のオーディションを受けていたそうです。

ボブ・ゲイルの話では、その記憶は全くなく、当時の資料を読み返して初めて気が付いたのだとか。

それでも全く覚えがないので、おそらく全く記憶に残らないようなオーディションだったのだろう、と述べていました。

スケボーを再特訓

マイケル・J・フォックスは映画のためにスケートボードに乗る練習をすることになりました。

高校時代、スケートボードで学校に通っていたため、マイケル・J・フォックスのスケートボード技術はそれなりにあったものの、映画のシーンの撮影に必要なアクション要素満載の技量を身に着けるためには、練習が必要だったからです。


また、実際のアクションシーンはスタントマンによって行われましたが、このスタントマンを担当したパー・ウェリンダーはプロのスケートボード選手で、コレオグラファーとしてもアクションシーンを担当していました。

ドク役に起用されたクリストファー・ロイドのお話

クリストファー・ロイドは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の前年に公開された映画「バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー」で一緒に仕事をした制作担当ニール・キャントンからドク役で出演することを提案されました。

ニール・キャントンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の制作も担当していたのです。


はじめはその提案を断ったクリストファー・ロイドでしたが、妻からの勧めによって考えを変え、出演を承諾しました。


また彼は、アドリブでセリフをいくつも加えたそうです。

準備に3時間!

マーティの両親、ジョージとロレインを当時若手俳優だったクリスピン・グローヴァーとリー・トンプソンが47歳バージョンも演じたことも話題を呼びました。

当時23歳のリー・トンプソンが47歳のロレインになるために必要としたメイクアップには3時間もの時間を要したそうです。

声が出なくなってしまった!

ジョージ・マクフライ役のクリスピン・グローヴァーはのちのインタビューで、映画の撮影の際、あまりの緊張から声が出なくなってしまったことを告白しています。


撮影の際、ジョージのセリフを発する場面で口は動いているものの、全く声が出なかったシーンがいくつもあったそうです。

そのため、撮影はそのまま続けられ、撮影後、声だけ吹き込む作業をして修正をしたのでした。

ドッキリに引っかかったマイケル・J・フォックス

DVDのボーナス映像の中には、撮影スタッフがマイケル・J・フォックスにいたずらを仕掛けたことが、ドッキリ映像として加えられていました。


それはマーティがロレインをダンスパーティに到着した駐車場でシーン。

お酒を隠し持って飲んでいるロレインを見つけてそのボトルを取り上げ、それを飲んだマーティが、たばこを吸っているロレインをみて口に含んだお酒を吐き出すシーンです。


当然撮影ではボトルの中は水になっていたのですが、あるテイクで本物のお酒にすり替えてマイケル・J・フォックスに渡しました。

全くそのことを知らないマイケル・J・フォックスはお酒を口にして初めて気が付き、本当に噴き出して、とても驚いた顔をしています。

その映像はこちらです。



続編に出演しないことはわかっていた

パート1でマーティの恋人ジェニファー役を演じたクローディア・ウェルズはパート2とパート3では出演していません。

というのも、パート1の撮影の最中、母親がガンを患っていることが分かったため、続編には出演しないことを決め、母親との残された時間を一緒に過ごすために女優業からも引退したためでした。


ちなみにクローディア・ウェルズはその後1996年に女優に復帰しています。

また、1991年にはロサンゼルスにメンズファッションの店を出し、今でもその会社の英英者という顔も持っているのでした。

デロリアンがタイムマシーンとして選ばれた理由

デロリアンが映画でタイムマシーンとして選ばれた理由は、その外観からでした。

とくに扉が上に開く設計は、1955年にタイムスリップした際に、車を見た人たちが宇宙船だと勘違いしてしまうためにとても重要な決定要素になったのです。


ただ、当初のアイデアではタイムマシーンは車ではなく冷蔵庫を改造して作られたことになっていました。

が、映像的に冴えないことと、映画を見て子供がまねをし、事故が起こる可能性があったため、この案はボツになったそうです。

映画のタイトルが違っていたかも!

実は、当時のユニバーサル・ピクチャーの社長シド・シャインバーグは映画の題名「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が気に入らずに、題名の変更を命じていたという裏話がありました。


「フューチャー」という題名のついた映画には、だれも興味を持たずに映画館に来ることはない、といい「Spaceman from Pluto(冥王星からの宇宙人)」に変更するように命じたのです。

これに加え、映画内でマーティがジョージに放った「私は惑星バルコムから来たダースベーダーだ。」というセリフを「冥王星から来た宇宙人だ。」に変えようともしていたのでした。


しかしこれに対し、スピルバーグが「楽しいジョークをありがとう」と返事をしたことで社長は本気で言っていると言い出すことができず、題名の変更はうやむやのうちに無くなってしまったのです。


が、社長の介入は題名の変更未遂だけではなく、じつはマーティの母親役の名前をメグから妻の名前のロレインに変更させ、ドクのペットを猿から犬に、そしてビフの苗字をタネンに変更させたのでした。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に関するトリビア

最後に撮影が終わった後から映画公開後のエピソードを集めた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に関するトリビアを紹介していきたいと思います。

時間がない!

映画の撮影が終わってから映画の公開予定日まで本の9週間半しか時間がないという、ハリウッド長編映画ではまれにみる差し迫った状況だったそうです。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の試写会は大成功

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の試写会でのエピソード。

試写会に集められた観客は映画がコメディテイストの作品であることを伝えられていませんでした。

そのため、映画が始まってしばらくは、観客の雰囲気はとても重いもので、とくにドクの犬、アインシュタインが車に乗ってタイムトラベルをするシーンに差し掛かったあたりで最高潮に達したそうです。

というのも多くの視聴者がタイムトラベルをさせられた犬に対してとても陰惨な出来事が起きるに違いない、と考えたからだとか。

が、その後は映画のストーリーがどのようなものかがわかり、笑いが起こるシーンもいくつかあったため、雰囲気はガラッとよくなりました。。


最後になり、この時、試写会で上映されたものはエンディングでデロリアンが空に飛び去るシーンが含まれておらず、白黒な画面がしばらく上映されてしまいます。

が、映画の最後が完成していなかったにもかかわらず、観客は大絶賛。最後の数分が白黒画面であったことは全く問題とされなかったのでした。

世界レベルの有名人に

2010年に行われた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの同窓会。

そこに参加したマイケル・J・フォックスが語ったエピソードを紹介します。


マイケル・J・フォックスにとって「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公「マーティ・マクフライ」というキャラクターは間違いなく彼を世界的に有名にしました。

今でも全く知らない人から「マクフライ!」と呼ばれるそうです。


世界レベルで有名なことを思い知らされた出来事としてはヒマラヤ山脈のあるブータン王国に仕事で訪れた時に見かけた僧侶の団体の中から、若い仏教僧に「マーティ・マクフライ!」と言われたことだったとのことだったそうです。


また、マイケル・J・フォックスは映画の主人公マーティについて、スケボーに乗り、恋人がいて、音楽に興味があり、いつか音楽で成功してロックスターを夢見ているというキャラクターはまさに高校生時代の彼自身だった、と感想を述べています。

中国では上映禁止映画だった

映画公開の際、中国では「タイムトラベルは歴史に対して不敬である」という理由で長い間、公開禁止処分となっていました。

今ではこの決定は変更され、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を中国でも視聴することはできるようになっています。

現実世界のデロリアンについて

ロバート・ゼミキスとボブ・ゲイルは映画公開後、ジョン・デロリアンから感謝の手紙を受け取ったことを明かしています。

ジョン・デロリアンとは、タイムマシーンとして映画に登場したデロリアンを製造したアメリカ合衆国にかつて存在した自動車製造会社、デロリアン・モーター・カンパニーを自ら設立した人物です。


また、映画の公開後、デロリアン・モーター・カンパニーは映画でタイムマシーンとなったデロリアンと同じような外観になるように「タイムマシーンキッド」というパーツを制作し、販売してのでした。


そんなデロリアンですが、あまりに高額な値段(2020年の価値にして約700万円)のために販売開始2年目にして売り上げ不振で、実は映画公開以前の1982に生産停止、しかもデロリアンモーター・カンパニーも同年に倒産していたのでした。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のリメイクや続編の可能性は?

気になる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のリメイクや続編のパート4の可能性について紹介しましょう。


「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の3作すべては監督と脚本を担当したのロバート・ゼミキスと脚本と制作を担当したボブ・ゲイルが今でも所有権をもっています。

2015年のインタビューの中で監督のロバート・ゼミキスが語っていることには、彼とボブ・ゲイルが生きている間はリブート作品もリメイク版も許可するつもりはない、とのことでした。


一方で、ドク役のクリストファー・ロイドは個人的にはドクとマーティが古代ローマ帝国にタイムトリップする話を見てみたかったとインタビューで話しています。

映画の中での会話は一度きり

映画の中でマーティを追いかけてドクの家までやってきたロレイン。

そこでドクとロレインは互いにぎこちなくあいさつを交わしています。


実はドク役のクリストファー・ロイドとロレイン役のリー・トンプソンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以外もあせて6作品映画に共演していまるのです。

が、このシーンが唯一、6作品すべての映画を合わせた内でクリストファー・ロイドとリー・トンプソンが会話をしたシーンになるのでした。

ジゴワットって何?

映画内で1955年のドクが、デロリアンのタイムトラベルに必要な電力が「1.21ジゴワット」であることに驚いて叫んでいましたが、この「ジゴワット」は正確には「ギカワット」であり1ギガワットは100万キロワットになります。


1955年当時、そのような電力を発生させることはほぼ不可能であり、「ギガワット」という単位が必要なかったため、「ジゴワット」と読み違えた、という設定かと思われました。

が、実際は映画製作に当たってボブ・ゲイルとロバート・ゼミキスが物理学者にストーリーが正しいかどうか確認に行った際に、訪れたこの学者が「ジゴワット」と発音していたことから、採用されたのでした。


ちなみに1.21ギガワットがどれくらいか、というと121万キロワットとなり、日本の原子力発電所の出力58万キロワットから136万キロワットという資料がウィキペディアに掲載されています。

つまりデロリアンがタイムトラベルを行うには、本当に原子力発電が必要であったということになるわけです。


ちなみに黒四という通称で親しまれている黒部川第四発電所の最大出力は33万5000キロワットという数字になります。

マイケル・フォックスが出演している番組

ハリウッドの映画俳優が所属する全米映画俳優組合の規則の中で、同姓同名の俳優登録は許可されていません。

そのためマイケル・J・フォックスは本名はマイケル・アンドリュー・フォックスでしたが、すでにマイケル・フォックスという俳優がいたため、尊敬するマイケル・J・ポラードにちなみ「J」の字をつけたのでした。


映画の中で1955年のジョージが大ファンだと語った番組「サイエンス・フィクション・シアター」は実際に放送されており、実はそのマイケル・フォックスが出演しているという小ネタが披露されています。

出演者は映画を視聴した?

マイケル・J・フォックスは2015年のインタビューで、10代と20代になっている長男と3人の娘は、一度も「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見たことがないことを明かしています。

一方でドク役のクリストファー・ロイドは、自宅でザッピングをしているときに、偶然「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が映ってしまったら、ほとんどの場合、腰を下ろして終わりまで見てしまう、と答えていました。

ジョージ・マクフライ役で出演したクリスピン・クローヴァーは公開後すぐに一度見ただけで、その後映画を見たことはないと発言しています。

おそらくクリスピン・クローヴァーがパート2以降ジョージ役で出演していないことに関係しているのでしょう。

ビフの歌ネタ

ビフ役のトーマス・ウィルソンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」出演後、熱狂的な「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ファンによく映画について質問をされるようになったそうです。

しかし基本的には毎回同じような質問しかされないので、時間節約のためにQ&Aシートを作っておいて、映画について質問してくるファンにそのシートを手渡すようにしていたのだとか。

そしてついには毎回同じような質問をしてくるファンをネタにした歌ネタを作詞作曲してコメディショーで披露するまでになりました。


そちらの映像がこちらになります。



タイムマシーン映画ならではのエピソード

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は北米では1985年7月3日に公開されました。

そのため映画でマーティが1955年からマーティが帰ってくる1985年10月26日に、「ツインパインモール」が撮影されたロケ地に、本当に戻ってくるのでは、とファンが詰めかけて待っていたという現象が起きたそうです。


また、2015年にはパート2で登場したものが本当に実現したのかどうか、検証する記事がいくつも紹介されました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

こうして見てみると大ヒットした「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も誕生から完成までいろいろとな山あり谷ありの連続だったことが分かります。

そして大ヒットしたからこそのトラブルというか、出来事も起こっていたのでした。


僕個人が一番楽しんだのはビフ役のトーマス・ウィルソンが作った歌ネタです。

とても面白く、声を出して笑ってしまいました。


彼自身、ユーモアのあるとても人の好さげな人物ですが、映画の中のビフはそんなことは微塵も見せず、嫌味で暴力的な人物としてしっかりと演じているのはさすがだと思ってしまいました。












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