映画ファーザーでアンソニーの体験は真実か考察!ローラとルーシーは同じ人物?

映画考察

映画「ファーザー」はアンソニー・ホプキンスが主演し、アカデミー賞の最優秀男優賞を受賞した作品です。

認知症を発症してしまった老人が体験する、あいまいな記憶がもたらすミステリアスなサスペンス調のストーリーの展開が、これまでになかった映画だったと、とても面白く感じました。


そんな映画「ファーザー」ですが、主人公アンソニーが体験した、摩訶不思議な経験は、一体何が真実で何が正しくないのか、見ていてとても混乱してしまいます。

そんな映画の中で繰り広げられた、真実なのか、真実ではないのか、訳が分からなくなってしまうアンソニーの体験について、一つ一つ考察していきたいと思います。










映画「ファーザー」でアンソニーの体験は全て真実?



映画「ファーザー」では、認知症を患ったアンソニーの視点で物語が進行していきます。

そのため、何が真実で何が真実でないのか、また時間的に何が先におこって、何がその後に起こったのか、視聴者にもわけがわからなくなってしまうのでした。

それは下手なサスペンス映画よりものめりこんでしまうほどの出来となっていたと思います。


が、本当に何がどの順番で起こっているのかが、分からないと、余計に混乱してしまうため、まずは、映画を見てこれが真実であろうと思われた、一連の流れをまとめたいと思います。

アンソニーが本当に体験したと思われる真実



映画をすべて見て、おそらくアンソニーに起こったと思われる真実は「こうではないか」という考察を、まずは明らかにしておきたいと思います。


アンソニーにはアンとルーシーという娘がいたことは間違いないでしょう。

そしてルーシーが、交通事故で無くなってしまったことも真実です。


アンが結婚したものの、すでに離婚しており、アンソニーの健康状態、特に認知症に対する不安が大きくなってきて、同居することになった時点で、離婚してから5年という月日が経っていたのでしょう。

そしてそのころには新しい恋人のポールがおり、アンがアンソニーと同居を始めた最初のころは、ポールもアンのサポートをしていたと思われます。

が、アンソニーの症状がどんどんひどくなっていき、それに合わせてアンへの負担が大きくなっていく過程を見ていたことで、ポールはアンソニーを施設に預けたほうがいい、という考えになっていきました。


その後ポールは、何らかの事情でパリに引っ越すことになり、アンもポールの後を追う決心をすることになります。

おそらくそのころには、アンも彼女一人でアンソニーの世話をすることは不可能であると、判断したのでしょう。

プロの介護士に任せないといけない段階まで来ていたアンソニーを施設に預け、パリへと引っ越し、数週間に一度くらいのペースで週末にロンドンへ戻ってきて、父娘として一緒に過ごす、という生活を送っているのでした。


映画のストーリーは、時系列で実際に起こっていたことを視聴者が見ていたのではなく、アンソニーがすでに施設に入って数か月が過ぎた後、彼があやふやな記憶を手繰り寄せて思い出していた話、という形でスクリーンに映し出されていたと思われます。


それではアンソニーが自身では自覚していないまま、過去のことを思い出していた映画のストーリーの中で、一体何が真実なのかが分かりずらい物について、一つ一つ考察していきたいと思います。

アンとキャサリンが入れ替わっていたのはなぜ?



映画を見ていて一番最初に違和感を感じるのが、アンソニーの見ず知らずの男性がアンの旦那であると主張し、帰ってきたアンの顔が別人になっているシーンではないでしょうか?

果たしてこれは、一体どういう事なのでしょうか?


おそらく認知症のせいで、本当にアンソニーは自分の娘のアンの顔を忘れてしまい、自分の娘ではない、と言ってしまったのだと思います。

その証拠に、映画が進んでいくとアンが父親が自分のことを実の娘であることを忘れてしまっていたことにショックを受けて、ポールにそのことを話しているシーンがあるからです。


ではなぜ、介護士のキャサリンとビルがアンとポールとしてアンソニーの前に登場したのでしょうか?

おそらくこの事件が実際に起こった時には、アンソニーは実の娘アンを見て、他の誰かの顔を認識していたと思われます。

なぜなら、キャサリンは施設に入ってからしか出会っていないから、です。

が、認知症の症状が進んでしまっているアンソニーには、その時の記憶を正確に思い出すことはできないのでしょう。

ですのでこの時のことは、アン本人を前にしているにもかかわらず、見ず知らずの誰かがやってきたと思った部分だけ正確に覚えており、その人物がどのような顔をしていたのかは、施設で世話をしてくれているよく知ったキャサリンの顔が不足の記憶を補う形で、覚えているのだと思います。


では、ポールに関してはどういう説明ができるでしょうか?

ポールは台所に買い物した荷物を持っていくといってアンソニーの視界から消えた後、台所だけでなくアパートのどこからもいなくなってしまいました。

ですので、おそらくアンソニーがアンのいない時にポールに遭遇して起こった出来事は、もっと前に本物のポールとの間で起こったことだったと思われます。


そして結婚して10年以上になる、というコメントは、おそらくすでにアンと離婚したジェームズとの関係についての記憶がごっちゃになっているのでしょう。

ジェームズとの結婚生活は、最終的に離婚を迎えたとはいえ、10年以上一緒にいた可能性は十分にあります。

そしてその記憶が混ざり合って、ビルの顔をしたポールと名乗る男性と話した、という間違った記憶ができてしまったのだと思われます。

介護士ローラとルーシーは同一人物?



自宅でのアンソニーの世話ができないかどうかを試すため、アンが雇った介護士ローラ。

イモージェン・プーツが演じる若い女性でしたが、映画の最後のほうではキャサリンの容姿を持つ女性が、ローラである、とアンソニーの前に現れます。


また、アンソニーはすでに死んでしまった娘ルーシーが、まだ生きていて世界中を回って活躍している、と信じ切っています。

が、それも映画の後半に、病院でルーシーを看取った記憶を思い出すシーンが映し出され、ルーシーがすでに亡くなっている真実がわかるのでした。


そこで疑問に思うのは、ローラはルーシーなのか?という事でした。

つまりイモージェン・プーツが演じる女性は、本当はアンソニーが亡くしたルーシーではないのか?ということです。


病院でのシーンではルーシーは大けがを負い、治療のための包帯などが顔の一部を隠し、しかも薄暗い中で治療用器具を身に着けていたため、ローラとして現れたイモージェン・プーツが演じていたのかどうかは、はっきりと分かりませんでした。


が、ローラを見てからずっと娘のルーシーにそっくりだ、と繰り返すアンソニーの言動から、ローラのことをルーシーの顔持つ人物として記憶されていた可能性は大いにあると思います。

つまり記憶の中ではローラという若い介護士がいたことは覚えているものの、その女性の本当の容姿は忘れてしまっており、その忘れた顔の記憶を補うために実の娘ルーシーの顔に書きかえてしまっている、というわけです。

そしてアンソニーはもう、本当のローラの顔は覚えていないのではないでしょうか。


最後にローラとしてアンソニーの前にやってきた女性が、キャサリンとなっていて驚いていたのは、あの時点でルーシーの顔と認識せず、初めてローラ本人の顔を認識したのではないか、と思えるのです。

そして全くの別人の顔になっていて驚き、狼狽したことは記憶の中で強くのこったため、時折思い出すのですが、介護士の本当の顔は覚えることができず、キャサリンの顔として「別人」と認識しているのでしょう。

アンソニーはポールに殴られたのか?



認知症がひどくなっていくアンソニーとその彼を献身的に介護するアンですが、アンソニーの症状はどんどん酷くなっていきます。

さらにつらい事にアンソニーは自身が認知症に冒されていることを認識できていません。

そのことはアンにとってより介護をつらいものにしているのでした。


そのことを見ていたアンの恋人ポールは、アンに施設に預けることを勧めます。

ポールはアンがアンソニーを世話することで、二人とも幸せにはなってないし、これからもなれない、という結論にたどり着いたのでした。


そんなポールですので、アンとの口論も実際に起きたと思います。

その結果、イラついた感情のまま、アンソニーに対してもきつい言葉、アンソニーがアンを不幸にしているし、それだけでなく周りの人たち全員を不幸にしている、といったとしても不思議ではありません。

が、ビルの姿をしたポールがアンソニーに詰め寄り、口撃だけでなく平手打ちを何度もするような行動を、本当にしたのでしょうか?


おそらくですが、アンソニーがそのことを記憶としてとどめている、というのは、ビルが施設内でアンソニーに体罰を加えたのではないか、と考えました

そのことがポールに強い口調で責め立てられた時の記憶と混じりあい、平手打ちをされて責められた、という誤った記憶が作り上げられたのではないでしょうか。


というのも、もし本物のポールが手を出していたのであれば、きっちりと覚えていると思うのです。

それが、ビルの姿のポールがしていたというのは、実際にビルがやっていた、と考えるほうがしっくりいくのではないでしょうか。

考察のまとめ



映画「ファーザー」は認知症を患ってしまったキャラクターの視点で描かれた作品です。

ですので、わけのわからない、何が真実で何が真実でないのか、分かりずらいストーリーとなっていました。


が、80を超えた老人のお話ですので、全てが空想、ということはないと思います。

それよりも実際に起こった出来事が、昔のしっかりと物事を覚えている記憶に書き換えられてしまった、と考えるほうが正しいのではないか、と思いました。

そしてその考えを根底にして、映画を視聴していてわけがわからない、と感じた事象について考えると、以上のような真実があったのではないか、と思うのです。


にしても、これからも老いに関する諸問題は減ることはなくても、増えることはあり得ます。

自分にはまだ関係ない、と思ってしまいますが、いずれはアンソニーのようになってしまう可能性もあるので、他人事としてみていられない、重い内容の映画であったと強く感じました。












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