アニメ「逃げ上手の若君」で時行の郎党に加わる風間玄蕃は盗人である、と諏訪頼重から言われています。
盗みを働くための技術を磨いた父から技術を学び、ついでに「武士に無用の卑劣な技」と言われて追放された恨みも引き継ぎます。
その父の教えから、金鹿信用せず、時行の家来になったのも出世払いで一国をもらい受ける約束を交わしたためでした。
そんな風間玄蕃ですが、忍び込む術と、逃走術に加え、敵を欺いて情報を収集する術など、戦に勝つためにはとても有益な技を身に着けています。
その姿は、ともすると忍者のようにも見受けられますが、風間玄蕃は一体どういった人物なのでしょうか?
アニメ「逃げ上手の若君」の風間玄蕃は忍者?
風間玄蕃が時行を連れて、小笠原貞宗の屋敷に忍び込む手際、目的の綸旨がしまってある宝物庫への侵入、そして侵入が知れ渡った後の逃走術を見ていると、一流の技の持ち主と感じ入ってしまいます。
その姿は、忍者を彷彿させるのですが、なぜ風間玄蕃は「盗人」として名前が知れ渡っていて、忍者として認識されていないのでしょうか?
この疑問の答えをさぐるには、忍者の歴史を調べてみる必要があります。
忍者の歴史
忍者の歴史は古く、聖徳太子が大伴細人という忍者を使っていた、という記述が最古のもの、とされています。
とはいえ、この時代の忍者は忍者というよりもスパイと解釈したほうが正しく、朝廷内の情報収集をメインに行なっていたと考えられています。
日本以外の国、特に日本より歴史の古い中国やインドでも間者と言われるスパイを使った情報収集が重要視されていました。
情報を取ることによって、後でおこる戦争を有利に進めたり、逆に戦争時に虚報などを流して騙し討にしたり、といった計略は使われてきました。
忍者もこの流れに外れない存在で、強靭な体力をつけるために鍛えるのも、この情報収集を円滑に行い、集めた情報を無事、依頼主に届ける必要があったからです。
また、忍者という言葉は実は昭和30年以降に、小説などに使われて普及した呼称で、いわゆる忍者が存在した時代には「忍び」と呼ばれたほか、異名として「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ)」「草」「奪口(だっこう)」「かまり」などと呼ばれていました。
この中でも「乱破」と「素破」という呼び名は有名ですが、こちらを調べると更に面白いことが分かったのです。
乱破と素破
乱破と素破はともに、一般的に忍者のことだ、と理解されています。
ですが、乱破と素破には、より厳密にどのような人間であるかを表す意味が付随していたのでした。
乱破は他国に忍び入り夜討ちなどをする集団のことを指す言葉だったようです。
一方で、素破は野武士や強盗から間者に転じた者のことを指していました。
もともとは「窃盗をはたらく者。泥棒、スリ師。」という意味があったのです。
情報収集という目的もあったでしょうが、どちらかというとゲリラ的に敵の領土内で混乱を起こさせる人々、という意味でした。
情報収集という技術になると、ある程度専門的な知識を身に着けないとできない専門職と言えます。
素人でもできることといえば、密かに忍び込んで騒ぎを起こす、といった撹乱となるため、初期の忍者は、むしろこちらの任務を行っていた、と言えそうです。
盗人と盗賊の違いについても
現代社会のように警察によって日本全国どこでも治安が維持されている訳では無い、鎌倉末期の時代。
土地を所有しない団体は盗賊団を結成して、略奪を行うことで生計を立てていました。
その場合、どうしても数を集めて、盗賊団として、活動することになります。
そのほうが、略奪の成功率も上がりますし、討伐隊を返り討ちにすることも、しやすいというわけです。
一方で風間玄蕃は盗人と言われていました。
つまり一人で盗みの仕事をする、ということです。
この時代、なかなか一人で生きていくのは難しいと言わざるを得ません。
集団で協力し合わないと生存確率が極端に低くなってしまうのでした。
日本の歴史の中で有名な盗人といえば、石川五右衛門と鼠小僧次郎吉ではないでしょうか。
石川五右衛門は豊臣秀吉次第の盗賊ですが、仲間を連れて集団で盗みや強盗を働いていた、という記録があります。
石川五エ門以前の、歴史に名を残している盗人は盗賊団の親分であり、単独行動で生き抜くことはむづかしいと言えるでしょう。
鼠小僧次郎吉は、江戸時代の中期以降の人物で、江戸という都会が発展してその生活様式も固まりつつ会った時代でした。
ですので、一人で盗人をやっていてもやっていけたわけです。
一匹狼の盗人が生存するには、都市の形成が必須となるのでした。、
まとめ
アニメ「逃げ上手の若君」に登場する風間玄蕃は盗人として紹介されていました。
一匹狼で幻獣な警備をされていても、それをかいくぐって目的地まで侵入することができ、たとえ見つかっても逃げおおせる逃走術もマスターしています。
その能力は、いわゆる情報収集を生業とする忍者のそれとかぶるものがありますが、風間玄蕃の場合は、彼の技術を盗みのために利用しているため、忍者というのははばかられるでしょう。
また、忍者と言っても情報収集というタスクはかなりレベルの高い技術を習得したものでないと難しく、それよりは撹乱を目的としたならず者集団、という方が、素人にもできる仕事でした。
これらを専門的にするならず者集団が雇われ、敵国に送り込まれるということは、日本各地で歴史の事実として残っています。
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