カナダ在住20年の筆者が見た映画の感想とふと思った疑問についてを勝手気ままに書いていくブログです。

映画ワンスアポンアタイムインハリウッドのトリビア紹介!フィクションの中のノンフィクション

 
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映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は1969年にハリウッドで起こった出来事をベースにしたクエンティン・タランティーノ監督の作品です。

主人公のリックとクリフは監督の想像の産物で、エンディングも実際に1969年に起った結末とはまったく違うものになっています。

ではこの映画で搭乗するシーンやキャラクターは、まったくの監督のフィクションなのでしょうか?

今回はそんな疑問に答えるべく、映画の中のエピソードやキャラクターがどこまでフィクションで、どこまでノンフィクションなのかをまとめてみました。

さらにトリビアに関しても紹介しています。







Always is always forever

チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーである少女たちが、はじめて映画の中に登場した際に流れたBGM。

この曲のタイトルが「Always is always forever」ですが、実はこの曲、チャールズ・マンソンによって作詞作曲されたもので、チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーがレコーディングで歌っているというおまけ付きのものでした。

その曲の不気味さは、映画の中で初めてチャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーを映し出して紹介するシーンにぴったりだと思います。

さらにこの曲についてのトリビアですが、チャールズ・マンソンが裁判にかけられた際、チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーの少女の幾人かが法廷内で歌ったことが記録として残っているのでした。

デニス・ウィルソンとテリー・メルチャー

デニス・ウィルソンはビーチボーイズのメンバーの一人で、テリー・メルチャーはミュージック・プロデューサーです。

テリーが手掛けた有名な音楽は60年代に人気のあったフォークロックグループ、バーズの最初と2作目のアルバム、

「ミスター・タンブリン・マン」
「ターン!ターン!ターン!」

です。

クリフがリックの家のテレビアンテナを修理していた際に、チャールズ・マンソンを登場させ、ポランスキー監督とシャロン・テートが住む家に入っていって、

「この家にデニス・ウィルソンやテリー・メルチャーは住んでいないか?」

と質問したシーンが有りました。

クエンティン・タランティーノ監督は1969年の時点での有名人の名前を映画内に登場させたくて、チャールズ・マンソンに二人の名前を言わせたのではありません。

実際にテリー・メルチャーは、ポランスキー監督とシャロン・テートがこの家に住む前に、そこの住人として本当に住んでいたのでした。

また、映画内でクリフがプッシーキャットをヒッチハイクで拾って、チャールズ・マンソン・ファミリーの隠れ家に連れていきましたが、実際にはデニス・ウィルソンがクリフがしたように、チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーをヒッチハイクで拾って、隠れ家まで送っていったことがあるのです。

そしてそこで知り合ったチャールズ・マンソンと友人となりますが、その後チャールズ・マンソン・ファミリーのメンバーによってシャロン・テートが惨殺されたことを聞くと、チャールズ・マンソンとそのメンバーとは完全に手を切り、二度と会うことはありませんでした。

フィクションの中のノンフィクション

映画の中でハリウッドの芸能人が多数、登場します。

クエンティン・タランティーノ監督は、多くを実在したスターをそのまま映画に登場させたのでした。

「スティーブ・マックィーン」や「ブルース・リー」は有名どころですが、その他にも、
リックが悪役としてゲスト出演した西部劇ドラマ「ランサー」の主演俳優「ジェイムズ・ステイシー」、そしてリックが人質にとっていた少女の父親として登場した「ウェイン・マンダー」は実在した俳優です。

「ジェイムズ・ステイシー」と「ウェイン・マンダー」だけでなく、この西部劇ドラマ「ランサー」も60年代に実際にアメリカで放映されていた実在のテレビドラマでした。

ですので、「ランサー」の監督として登場したサム・ワナメイカーは記念すべきドラマの第一話の監督を、実際に担当しています。

また、シャロン・テートが夫のポランスキー監督や友人と一緒に参加したプレイボーイ・パーティーの会場で見かけ、「キャス!」と叫んで駆け寄って再会を喜んでいた女性ですが、彼女の名前は「キャス・エリエット」。

「ママ・キャス」として有名な歌手で、はじめはフォークソンググループ「ママズ・アンド・パパズ」のメンバーとして活動し、その後ソロで活躍した実在の有名人です。

しかも現実世界でもママ・キャスとシャロン・テートは友人同士でした。

その他にもシャロン・テートの友人としてワンシーンだけ登場した女優「ジョアンナ・ペティット」も実在の人物で、彼女は実際にシャロン・テートがチャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された日、犯行現場となったシャロン・テートの自宅を訪問していたのです。

ジョアンナ・ペティットは犯行時刻前にシャロン・テートの自宅を離れたため、事件に巻き込まれずに済んだのでした。、




クリフの亡き妻

映画の中でクリフはかつて結婚して妻がいたものの、溺れて亡くなったと語られています。

と同時に妻の名前がナタリーであることも明かされました。

もちろん、クリフ自身が実在するキャラクターではないので、その妻という設定のナタリーも実在した人物ではありません。

が、この溺れて亡くなったというナタリーという名前の女性は、まったくの想像の産物では無さそうなのです。

というのも、

1955年の「理由なき反抗」
1956年の西部劇「探索者」
1961年のミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」

などに出演した女優のナタリー・ウッドが、1981年映画「ブレインストーム」の撮影中に水死体で見つかるという事件がおきました。

そして不審な点があったため、元夫のロバート・ワグナーが重要参考人と見られていましたが、逮捕されることなく事故死として処理されたのでした。

ただし、このことに関してはクエンティン・タランティーノ監督はインタビューでもまったく触れていませんので、ナタリー・ウッドの事故死がクリフの設定に何らかの影響があったかどうかは、正確にはわかっていません。

映画を無料で視聴しよう

映画の中でシャロン・テートが自身が出演している映画を無料で視聴しようと交渉するシーンがあります。

このシーン、じつはクエンティン・タランティーノ監督自身が実際に試してみたことがあるエピソードからヒントを得て、加えられました。

クエンティン・タランティーノが脚本を担当した1993年の映画「トゥルー・ロマンス」

この映画を恋人とのデートで見に行く事になったクエンティン・タランティーノが、ふとした思いつきから自分が制作に携わったことを理由に無料で映画を視聴できるかどうか、試したくなったそうです。

映画館の支配人との直談判になったものの、彼女のほうがこの交渉に夢中になって免許書を見せて証明しようとしたりしていたそうです。

そんな中、上映が終わって映画館を出てきた観客たちの中で、クエンティン・タランティーノのことに気がついた人たちが集まり始め、彼にサインをしてくれるように頼み始めました。

その様子を見ていた支配人は、「なんだ?この人だかりは?」と困惑し始め、それを聞いた彼女は「彼らは私の彼のファンなのよ!」と言って説得を続けたそうです。

結果的にクエンティン・タランティーノと彼女は無料で映画を見ることが出来たのでしたが、その経験を映画に取り入れたくて、このシーンを脚本に加えたのです。

ブルース・リーに関するトリビアとノンフィクション

映画の中で登場するブルース・リー。

クリフと手合わせをして、途中で闘いは中断しましたが、見た目にはクリフのほうが優位だったように感じられました。

その際、クリフはブルース・リーのことをカトーと頻繁に呼んでいます。

これはブルース・リーの出世作、テレビドラマの「グリーン・ホーネット」でリーがカトーという人物の役を演じていたからでした。

また、映画の途中でシャロン・テートがブルース・リーと格闘の殺陣の練習をしているシーンがあります。

ブルース・リーによると、彼は本当にシャロン・テートにカンフーの動きを教えたことがあり、その際に撮影で必要な格闘シーンの殺陣を教えた、と発言していました。

つまり、あのシーンはクエンティン・タランティーノ監督の想像ではなく、実際にブルース・リーとシャロン・テートの間で繰り広げられた一コマだったのです。




チャールズ・マンソン・ファミリーの隠れ家

映画の中でチャールズ・マンソン・ファミリーはスポーン・レンチというかつて西部劇を撮影したセット村に住み着いていました。

これはノンフィクションで、本当にチャールズ・マンソン・ファミリーはこのスポーン・レンチを住みついていたのです。

かつては西部劇のテレビドラマや映画の撮影をしていた場所ですが、やがてこの地で撮影されることはなくなり、乗馬ツアーを観光客相手に行う場所として使われる程度でした。

持ち主のジョージ・スポーンは80歳に近い年齢で、映画の中で語られているように目が見えなくなっていました、

チャールズ・マンソンはそんな彼にスポーン・レンチを維持していく働き手と彼の世話をする見返りとして彼と彼のファミリーをここに住まわせる許可をジョージより手に入れます。

ダコダ・ファニングが演じたリネット・フラムが一番ジョージと親しく、彼女のあだ名である「軋る」という意味の「スクイーキー」はジョージによって名付けられたものでした。

ちなみに彼女は1975年に当時の大統領、ジェラルド・フォードを暗殺しようと企て、銃を突きつけるところまで成功しています。
が、実行する前にSPに取り押さえられ、暗殺は未遂で終わりました。

ポランスキー監督の飼い犬

ポランスキー監督とシャロン・テートが映画の冒頭でアメリカに到着し、荷物とともに飼い犬を回収するシーンがあります。

この犬は二人のペットですが、その名前は「セパースティン博士」。

実はこの名前、ポランスキー監督が有名となった代表作「ローズマリーの赤ちゃん」に登場するキャラクターからつけられたのでした。

ちなみにこの「セパースティン博士」、シャロン・テート殺害事件の前に、殺害事件でシャロン・テートと一緒に犠牲となったボイテック・フランコスキーの運転する車に轢かれて亡くなってしまっていました。

1960年代のヒッチハイク事情

映画の中でヒッチハイクをするシーンが何度となく登場します。

クリフがプッシーキャッツを拾うのもヒッチハイクでですし、シャロン・テートも街で見知らぬヒッピーを拾っています。

1960年代は、まだまだ平和な時代で、人々はなんの疑問も持たず、ヒッチハイカーを拾って車に乗せていましたし、ロサンゼルスのような都会でも玄関に鍵をかけるということは稀でした。

チャールズ・マンソンはヒッチハイクをしている少女を拾うことで彼女らと知り合い、ファミリーのメンバーにはこうして参加した少女が何人かそんざいしていました。

その頃、チャールズ・マンソンはビーチボーイズのメンバーの一人、デニス・ウィルソンと知り合い、少女たちと一緒にデニス・ウィルソンの家に居候を始めます。

そんなある日、デニス・ウィルソンがヒッチハイクで自宅に帰ってきたのですが、その時にデニス・ウィルソンを拾ったのが、のちのシャロン・テート殺害事件で実行犯となる一人、テックス・ワトソンだったのでした。

これがきっかけでテックス・ワトソンはチャールズ・マンソン・ファミリーと知り合いになり、メンバーの一人として行動をともにするにようになるのでした。

このヒッチハイキングは、その後、メンバーが殺人などの犯行をし終わった後にも行われ、ヒッチハイクで犯行現場から逃走する事もあったそうです。

ちなみにヒッチハイキングはチャールズ・マンソン・ファミリーの凶悪事件が明るみになると、ヒッピーは全員がカルトの狂信者であるという考えが広がってしまい、人々はヒッチハイクをしている人を敬遠して拾わなくなってしまうのでした。




クライマックスシーンのフィクションとノンフィクション

映画のクライマックスであるチャールズ・マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺人事件。

ですが、映画ではフィクションとして、実行犯はシャロン・テートの自宅を襲わず、リック・ダルトンの自宅を襲います。

一方で、襲撃犯としてクエンティン・タランティーノ監督は、

テックス・ワトソン
スーザン・アトキンス
パトリシア・クレンウィンクル

を選びましたが、彼らは実際の実行犯でもありました。

映画の中で4人目の実行犯として他の三人と一緒に来て、車の鍵を入手したことで現場から逃げ出したのはリンダ・カセービアンです。

が、この「リンダが車で逃げ出した」という行為はフィクションで、実際には見張り役として殺人は侵さなかったものの現場にとどまって犯行の一部始終を目撃していました。

それが後の裁判での目撃証言となったのですが、その際にリンダはその場から逃げ出したいと思い続けていたことも明かしています。

ちなみに、スーザン・アトキンスは2009年に獄中で亡くなり、終身刑のパトリシア・クレンウィンクルはカリフォルニア州で最も長い間、刑務所に収監されている女性受刑者となっています。

「俺たちは悪魔で、悪魔の所業をしにやってきた」

このまるで映画のセリフのような「俺たち悪魔で、悪魔の所業をしにやってきた」というテックス・ワトソンが発した言葉ですが、じつはクエンティン・タランティーノ監督が考えたセンセーショナルなセリフではなく、テックス・ワトソンが被害者の一人、ボイテック・フランコスキーに対して銃を突きつけて言い放った言葉でした。

その他にもチャールズ・マンソン・ファミリーの中でよく使われている言葉、「魔女」や「ブタ」という言葉も、実際にメンバーの中で頻繁に使われていた言葉であって、映画のために考えられた言葉ではありません。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

こうしてみてみるとかなりのシーンやキャラクターが実際に起ったり、実在した人物であったりということがわかります。

映画を見ていると1969年のロサンゼルスの風景を見事に再現していることに驚いてしまいました。

特に車が走っているシーンはよくもまあ、そんな数のクラシックカーを集められたものだ、というくらい右も左もその当時の車がさっそうと走っています。

それほどの思い入れで作り込まれているだけに、映像の美しさを楽しむだけでも視聴の勝ちがあるのではないか、と思わざるを得ませんでした。

ストーリーも舞台となった1969年の時代背景を詳しく知れば知るほど、楽しめる映画だと思います。

ぜひ、予備知識を入れた状態で視聴することをおすすめします。











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