アニメ推しの子2アクアの方法でセクシー田中さん問題も解決していたかを考察

アニメーション

アニメ「推しの子2」でアクアがリアリティ・ショーの次に得た仕事は演劇「東京ブレイド」でした。

メインキャラの一人という抜擢で、これまで映像ばかりをやってきたアクアにとっても初めての分野でした。

しかし始まって稽古に励んでいる最中、原作漫画の作家鮫島アビ子よりクレームが入ってしまいます。

原作者がどうしても守ってほしい作品のクオリティが、演劇用の脚本では担保されていないということが原因でした。


これで思い出されるのは、2023年末から2024年はじめにかけて世間を騒がせた「セクシー田中さん」問題。

ドラマ化した「セクシー田中さん」でしたが、原作者と脚本家が揉めてしまい、いろんなすれ違いも加わって、不幸にも原作者が自死されてしまうという結果になってしまいました。

ただ、今時点で原作者の自死の理由は明らかにされていませんが。


アニメ「推しの子2」で扱われているこの問題、かなりタイムリーであると感じますが、原作のマンガは2021年8月の発行。

もともとヤングジャンプで連載していた作品ですので、2021年のはじめにはこの話を手掛けていたわけですので、目の付け所がいいというよりも、以前から表面化しなかったものの多くの問題を、関係者の間に残してきたのだと思います。


今回、「推しの子2」でアクアの尽力もあって、「東京ブレイド」の脚本家と原作者は誤解を解き、同じ方向をむいて作品を良いものにするための協力関係を作ることができました。

同じ様に、アクアがとった方法で、「セクシー田中さん」問題も解決していたかどうかを、考察してみたいと思います。







アニメ「推しの子2」アクアが取った東京ブレイドのシナリオ問題解決方法

アニメ「推しの子2」で演劇「東京ブレイド」にアクアの出演が決まりました。

この「東京ブレイド」という作品、現時点で連載が続いている国民的人気漫画が原作、という設定です。

その漫画作品の前半の山場というべき部分を2時間程度の演劇にする、というのが今回の企画でした。


そこで、原作者が守ってほしい作品の世界と、演劇の脚本家とプロデューサーが劇場で表現できる世界との間にズレが生じてしまいます。

さらに、両者のコミュニケーションがまったく機能していない環境が出来上がっており、原作者が持っている作品の世界観と、脚本家が演劇として落とし込んだ世界観は、ものの見事に違ったものになってしまったのでした。

鞘姫役の黒川あかねも、原作のキャラクターと舞台のキャラクターとの人物像のギャップに大きく戸惑いを見せているほど。

しかし、マンガと演劇という全く異なる見せ方のエンターテイメントでは、劇場と役者ででできること、できないことを理解したうえでストーリーを作っていく脚本家と演出家の意見は、現実的であり、的を得ているのでした。


しかし大前提として原作者の許諾がなければ、劇の上演はできません。

そして原作者の鮫島アビ子先生は、脚本に全く納得がいっておらず、採算にわたって改定を申し入れていたほど。

ただ、原作者と脚本家の間に5名もの中間者がいる、伝言ゲームでは、原作者の意図している方向性は、とんでもなくぼやけて脚本家に伝わってしまうのでした。

そのため、原作者の意向は全く脚本に反映されず、最終的に許諾権の撤回、という最悪の事態に陥りそうになり、それを回避するために、原作者が脚本を執筆することになってしまいそうになります。


そこでアクアは、問題が発生している根本的な原因に焦点を当て、プロデューサーの雷田に動きやすいよう、助け舟を出して事態の解決を図ります。

つまり、原作者の鮫島アビ子先生と脚本家のGOA氏と直接話す機会を設け、鮫島先生が持つ、どこまで世界観を保ち、どこまでなら変更可能かのラインを、明確にすること、でした。

さらには、GOA氏から鮫島先生に対して、演劇でより強く表現できるものを伝え、それを活かすための方法を伝えます。

こうして、両者が大満足した脚本ができあるのですが、それはとても尖った作品、つまり状況説明のセリフがまったくない、演者の表現で観客に必要な情報を知ってもらうという、役者に責任を丸投げしたような脚本だったです。

同じ方法で「セクシー田中さん」問題も解決していたかを考察

アニメ「推しの子2」での「東京ブレイド」での脚本問題は、突き詰めれば、原作者と脚本家の間で、作品に対しての捕らえ方の相違が埋まらずにできたものでした。

そのため、両者が顔を突き合わせて話し合えば、解決が可能という問題でもあったわけです。

もちろん、鮫島先生がGAO氏と話し合いを持つ前に、鮫島先生の先輩で支障に当たる、吉祥寺頼子先生のアドバイスをもらい、さらにGAO氏が脚本を担当した劇を視聴し、その作品を気に入っていたという下地が有ったことは非常に重要でした。

だからこそ、お互いが原作のどの部分を大切にし、それさえ守られるのであれば、オリジナルストーリーであっても問題ない、という許容範囲も理解できたわけです。

さらに言えば、大切にしている部分をより強く見せるため、オリジナルストーリーで補完することで、マンガでは描ききれなかった思いを表現できるという相乗効果も生まれたわけです。


そこで2024年5月末に、日本テレビや小学館から報告書がまとめられ、相次いで発表されている「セクシー田中さん」問題も、アクアが取った原作者と脚本家との直接対話さえあれば、回避できたのか、に付いての考察をしていきたいと思います。

まず第一に、「セクシー田中さん」問題はメディアミックス相手が演劇ではなく、テレビ局であったという違いが有りました。

考えるにこの違いはかなりの大きな差異になると思います。


演劇は、いってしまえば全国区では有りません。

マンガ家や発行している会社と演劇を運営している会社との間の力関係は、明らかに漫画家サイドが大きいでしょう。

鮫島先生が許諾権の取り下げを盾に思いを押し通そうとしたのも、彼女の性格が、という面もありますが、両者の力関係もあると思います。

同じことをテレビ局相手にしようとすると、今後テレヒ局を敵に回すことになり、メディアミックス戦略に大きな傷を残してしまうことは容易に想像できます。

また、他局も今回の騒動を見て、その出版社とのメディアミックスに及び腰になる可能性も考えられます。


その一方、テレビ局が相手であったということで発生した問題点も有ったのではないでしょうか。

テレビ局という巨大企業

テレビ局が相手であったことで、局内の担当部署のやり取りがどこまでスムーズにいっていたのか、に疑問が残ります。

メディアミックスを行うため、テレビ局側の営業部門が出版社に話を持ちかける、もしくは出版社から営業部門に話を持っていく、ということが起こります。

そこで合意がなされた後、制作部によって作品が作られる、というのがざっくりした仕事の流れです。


テレビ局という巨大企業において、この営業部と制作部との間の意思疎通がどこまできちんとできていたのか、という点です。

「東京ブレイド」の場合、雷田氏が総責任者として動いていました。

つまり雷田氏がまとめ上げれば話がスムーズに進むという利点が有ったのです。

しかしテレビ局の場合、営業と制作を同時に束ねる責任者がいたとは思えません。

もちろん営業が話を持ってきて、決まりそうになる頃には制作の人間も交えて話し合いが行われていたとは思います。

しかし発行社の担当が、原作者が作品のメディアミックス化に際して、どのような意向を持っているのかを説明するのは、営業担当です。

そこで合意できたとしても、営業担当が、原作者の意向を一語一句間違いなく制作に伝えるのは、やはり無理があるでしょう。

社員が多くなる大企業となれば、この手の伝言ゲームはより難しく、ここで原作者と制作の間に溝が生まれかねません。

原作者の意向

「セクシー田中さん」問題に関しての報告書を見てみると、ドラマ化に際して原作者の意向は、

    「作品が持つメッセージ性を変えないこと」

であったように感じました。

そしてそのメッセージ性をより明確にするために、マンガではいろんな伏線が張られていたのです。


原作者のこのこだわりはかなり強いものであったように読み取れます。

が、テレビ局側はそのこだわりをきちんと理解せず、ただ漠然と、原作者は

    めんどくさい作者

と取られている様に感じました。

そこにはよく言われる、テレビ局側の傲慢な態度、「我々が放送してやっている」というものを、根底に感じることができます。

そしてその態度は脚本家にも伝染していったように思えました。

脚本家に届いていなかった想い

脚本家も新人ではなくベテランで、経歴の長い名のしれた人物でした。

だからこそ、「原作は必要だが原作者は必要ない」といった発言が飛び出してしまうのでしょう。

確かに原作者である漫画家はテレビドラマの制作場面を知りません。

ですので、どのような見せ方がテレビでは映え、受けるのか、といったことも理解できないでしょう。


だからといって、原作が持つ雰囲気や原作者が原作に託したメッセージまでを変えてしまうのはどうかと思います。

そうしたいのであれば、オリジナルを書けばいいだけ。

あくまで原作ありきの作品なのですから、リスペクトするところはきちんとリスペクトしないといけないはずです。

ただ、報告書を読むと、原作者が原作のドラマ化に際して守ってほしいことの詳細は、脚本家には、原作者の自死の後、知ることになったようでした。

ディスコミュニケーションとその解決を図らなかったゆえの悲劇

この「セクシー田中さん」問題はコミュニケーションが全く機能していない、ディスコミュニケーションの状態で起こった悲劇だったと思います。

そういう意味では、アクアの取った、原作者と脚本家の面と向かっての対話があれば、原作者の自死という悲劇が回避された可能性は大きいでしょう。

お互いがお互いのことを疑心暗鬼となり、遂には権利関係を持ち出して争いにまで発展。

さらに言えば、SNSを通して世間という力まで介入させる、最悪な展開になってしまったわけです。


原作者と脚本家が対面して作品についてのすり合わせを行っていれば、結果は違っていたでしょう。

ドラマが成功していたか、失敗していたかについての言及は難しいものがあると思います。

ただ、最低でも原作者が自死を選んで亡くなってしまう、という結果だけは回避できたのではないかと強く思う次第です。

まとめ

アニメ「推しの子2」で起こった舞台「東京ブレイド」の脚本家と原作者の間で起こった問題は、アクアの尽力も有り、両者が対面してシナリオを作り上げるという方法で解決しました。

お互いが、お互いの世界をきちんと理解していない状態で、自分の世界観だけで都合よく劇を作り上げようとしていたことで、できた溝だったわけです。

原作者がどこまで原作の雰囲気や世界観を守りたいのか。
演劇で表現できることでよりエモーショナルになる可能性に納得してもらえるのか。

これらのことがお互いの理解の上、出来上がれば、よりエキサイティングなエンターテイメントになるというわけです。


同じく「セクシー田中さん」問題も原作者と脚本家の間のすれ違いが発端となり、権利関係やSNSによる世間という外部意見の参入によって、どんどんと大きな問題となってしまいました。

挙句の果てに、この事件が直接の原因であるかは、はっきりとはしませんが、原作者の自死という最悪の結果となってしまったわけです。

演劇ととテレビドラマという違いが有り、力関係や関わっている人の人数、組織の大きさなど、一概に比べることはできないと思います。

ただ、原作者と脚本家ば早い段階で顔を合わせる機会を持ち、お互いに作品に対して守るべきラインを理解していたのであれば、同じ結果にはならなかったのでは、と強く思います。

ドラマが成功したか失敗したかについては、言及しにくいですし、個人的に好き嫌いが出てしまうのもでしょう。

実際に8話までと9話と10話で脚本担当が異なったドラマも「駄作である」というはっきりした評価は聞こえてきていません。

唯一言えることは、もし原作者と脚本家の話し合いが設けられていたのであれば、原作者の自死という結末を迎えることはなかったのではないか、ということです。









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