映画「ベイビー・ドライバー」はカーアクションと音楽を融合させた非常に爽快感のある作品に仕上がっていました。
どうしてもカーアクションでメインになるのが「逃げる」という行為、追跡をかわすためにいろんなテクニックを披露しやすいという事があるので、主人公のベイビーが犯罪組織の一員という設定になってしまっています。
ですので、出て来るサブキャラの冷徹さとか暴力的な行動が強調されることによって、「ベイビー頑張れ!」という感情移入が強くなる反面、特に暴力的な描写がちょっと強いかな、という感想を持ちました。
ですが、音楽とアクションの一体感から来る爽快感はとても快感で、おすすめの映画です。
映画「ベイビードライバー」のネタバレ感想
それでは、映画「ベイビードライバー」を視聴して僕が感じた感想をネタバレ込みで紹介していきましょう。
新しい感じのカーアクション映画
カーアクション映画で有名なのは「ワイルド・スピード」シリーズがあるかと思いますが、「ベイビー・ドライバー」では高度な走行テクニックを駆使したカーチェイスに音楽を絡ませている映画です。
その徹底ぶりはBGMで流れている音楽に合わせたかのような俳優たちの動き。ドアやトランクを閉める音、ワイパーの音や挙句の果てに銃声までもキチンと合わせているのです。
設定では音楽を聞くことでベイビーが凄腕のドライブテクニックを駆使することができる事になっており、それを知ったバディは、ベイビーを追い詰めるのに彼のアイポッドを奪ったり、壊したりしています。
初老の女性を銃で脅して奪った車の中でも、すぐに逃走を始めるかと思いきや、必死にアップビートの音楽が流れているラジオにチューニングを必死にあわせ様としている姿など、思わず吹き出してしまいました。
映画初めの6分間でスバルのインプレッサが使われます。一番初めのシーンで襲おうとしているターゲットの銀行を外から撮影した一コマへ車の前輪が止まるのですが、そのブレーキパッドに「SUBARU」の文字が大写しになります。
スバルは北米でも人気の車種ですが、「SUBARU」の文字が画面いっぱいに移った瞬間は気持ちよかったです。
その後はカーチェイスシーンだけでなく、ベイビーがコーヒーを買いに通を歩いているシーンでも音楽に合わせていましたし、走って逃げているシーンでもBGM音楽に合わせていて、徹底しているな、と関心したものです。
カーアクションとしては車自体の性能だとか改造とかいった側面はまったくフューチャーしておらず、純粋にドライブテクニックだけで勝負していました。
それでも逃走中にヘリからの追跡をかわすシーンなどもきちんと考えられていて、アメリカならではのリアリティーをきちんと追求しているところにも好感が持てます。
映画のエンディングから続編は作られそうもない雰囲気でしたので、もし次作があるとすれば、時間を遡ってドクの仕事をしている頃の話になってくれたらいいな、と思います。
これを無理に西海岸でも同じような逃し屋としての話にすれば、デボラは死んでしまった、みたいな話にしないと説得力がないと思います。が、そうなったらこの映画を気に入っている人達の内、どれだけの人が映画館に行って見ようと思うでしょうか。
僕はそんな続編は見たくありません。
ケビン・スペイシーの演技と気になった暴力シーン
映画の内容上、悪役がたくさん出てきます。
ケビン・スペイシー演じるドクですが、ほとんど表情を変えずに常に淡々と話していますが、それだけに冷徹な雰囲気がひしひしと伝わってきます。
逆に怖いですよね、起こっているかどうかわからないポーカーフェイスで、本当にそう思っていての発言なのか、逆説的に言っているのかを考えないといけないのは。
真意を知ろうと不安になるからこそ、余計に恐怖を感じることになるのでしょう。
ただし、ひとつだけ違和感があったシーンが有りました。
それは助けを求めたベイビーを最初は断ったのに、デボラと一緒に頼みに来たときには、最終的に助けることにしたシーンです。
心変わりした理由が、ベイビーとデボラが本当に愛し合っているから、という理由では説得力がないでしょう。暗黒街のボスがそんなことに心動かされているようでは、ボスでいることはできないと思うのは僕だけでしょうか?
心変わりを匂わせるような伏線にも気が付きませんでしたし、あそこだけは不満でしたね。
愛し合っていると言うなら、ベイビーとデボラの愛とは色合いが違うかもしれませんが、バディとダーリンの愛も本物だと思います。見せつけ方はどぎついですけど。
ドクは彼らの愛には何も感じなかったのでしょうか?
(感じた風には描かれていませんでしたけど。)
あと、もう一つ不思議に思ったのは暗黒街のボスなのに手下が一人も出てきませんでした。
犯罪組織を本当に持っているのでしょうか?
出て来る犯罪者は誰も一癖も二癖もある感じの人ばかりでしたね。あと、小物というか重要でない犯罪者に限ってベイビーに絡んだり、大きく見せようと脅してきたりしていたように思えました。
そんな中で、バッツのぶっ飛び具合は抜きん出ていて本当に危険な人物です。気に入らない、虫の居所が悪いという理由だけで平気で人を殺しそうな人物で、実際、殺していますし。
そこまで必要なのか、と思えるくらい少し暴力シーンが多めに感じましたが、逆にそれだからこそ、ベイビーのやっていることがそんなに悪いことではない、と思えてしまうのかもしれません。
ラスト結末でドグはベイビーをなぜ助けたのか?理由を考察
映画「ベイビードライバー」を見ていて不思議に思うのは、ドクがベイビーを助けたのか?ということではないでしょうか。
ところがこの疑問の答えを探るべく、もう一度映画を見返してみると、ベイビーはドクの助けを必要としたのか?という疑問のほうが、実は大きいような気がしてしまいました。
ベイビーはレストランでデボラを人質に取って待ち伏せしているバディをやり過ごした後、赤いスポーツカーを手に入れています。
二人して街を離れるには、十分な車ですし、現金も自宅に戻って回収しているので、逃亡資金の心配もないはずです。
ドクの元に戻った理由はただ一つ、形見の母親のテープを取り返すだけであり、ドクの助けが必要だからではありませんでした。
そのドクが「テープを返さない」、「どこにでもいいから消え失せろ」といった時点で、ベイビーはドクに用はなく、ましてや助けを得ないと命が危ないわけでもありませんでした。
まぁ、ドクが助けてくれる、というのであれば、今から逃げ出すのに好都合なコネクションや安全な逃亡先を紹介してもらうくらいは期待できたかもしれません。
ただ、どうしてもドクに助けを求めないと命がない、という状況ではなかったことははっきりしていると思います
何はともあれ、ドクがベイビーを助けたとみていいと思いますが、その理由というのはキチンと語られていません。また調べてみても監督らスタッフから明確なコメントは発表されていないようです。
ですので、「なぜドクがベイビーを助けたのか」については考察する以外にありません。
ドクがベイビーを助けて理由を考えてみると
このシーンを見てみると、ベイビーはドクのもとにやってきてテープを返してほしいと頼みます。
しかしドクは仕事を失敗しただけでなく、今や街中で警察がベイビーを追いかけまわしている状況になったことで怒り心頭。顔も見たくない、助けるなんてまっぴらごめんだ、さっさとどっか行け、という対応です。
それが口だけでないことにショットガンを手にして、いつでも撃てることを見せつけるのでした。
が、デボラがやってきてベイビーと二人で逃げることが分かると、態度を変え、テープを返し、逃避行に手助けすることに。
そのコメントの中に「自分もかつて昔に好きな人がいた」というものがあり、デボラの存在が心境の変化に大きく影響を与えたことが分かります。
とはいっても、あまりにこれだけではドクの心変わりの説得力には物足りないとしか思えません。
何か他のことがドクの心の中にあるから、と考えたりしてしまいます。
例えばドクは犯罪を計画し、その都度異なった実行犯を用意して2度と一緒に仕事はしないというポリシーを持っていますが、なぜかベイビーだけは毎回、逃走用ドライバーとして実行犯チームに加えていました。
だからこそベイビーは特別な存在で、ドクにとって息子のように思っていたのでは、と考える人も多いようです。
ただ、息子のように思っていたのであれば、映画の他のシーンでのベイビーに対しての接し方に少し違和感を感じる部分もあるように個人的には思います。
こういった部分の詰めの甘さや、他にもデボラがベイビーに恋して入れ込む理由がはっきりしないことで、一部で
-
映画「ベイビードライバー」はつまらない
といわれているのではないか、とも思ってしまいます。
ドクがベイビーを助け、バディに殺されるシーンは必要あったのか?
それまでの映画のストーリー上、ベイビーがデボラと一緒に街から逃げ出すために必要なのは、
-
・ジョセフの今後の生活
・母親の形見のテープ
のふたつだけです。
別にベイビーの立場上、ドクにさよならを面と向かって言う必要はありませんし、逆に今後の居場所が分かれば、また悪事に手を貸すように脅される可能性もあります。
逃げる前にドクに会いに行った理由はたった一つ、母親の形見のテープを取り返すためだけでした。
ただ、それまでベイビーが類まれなる運転技術を駆使してきた理由であり、その特技があるからこそ映画が作られたという背景があります。
そしてこの映画のストーリーの中心となる設定の中でドクという存在はとても大きいため、彼とベイビーとの関係の中で、どう終わりを迎えるのかを描かないことはもっと大きな問題になってしまうことでしょう。
さらに見方を変えて、ドクがベイビーを助けたシーンが入ったことで、もしも映画にこのシーンがなかった時との違いを考えてみたいと思います。
ベイビーを助けたことでベイビーはドクにとって特別な存在であった、という印象をつけることができます。
冷徹で犯罪の成功とそれにともなう違法な稼ぎだけにしか興味のないような存在のドクにも人間らしいところがある、という一面を視聴者に見せることもできます。
それはドクというキャラクターの深みを出させる効果はあるでしょう。
また、それまでにそんな感情をおくびにも出さなかったことのギャップから、ドクを見る目を変える効果もあったと思います。
ただ、惜しむらくはそれまでに伏線らしい伏線もなく、唐突感も感じずにはいられないほどで、ストーリーの整合性のほうが気になる人がある一定数、いたことは否定できないでしょう。
そういう意味では、脚本の段階でもう少しうまくすることはできなかったのかな、と思わないこともありません。
また、大人の事情ですが、この映画の後、毒を演じたケビン・スペイシーはスキャンダラス問題を起こして表舞台に出なくなってしまっています。
ですので、たとえ「ベイビードライバー2」が制作されたとしても彼の参加はあり得ないでしょう。
この状況を予見したわけではないでしょうが、ドクを死んだことにしておいたのは、結果オーライだったといえると思います。
おまけ・ベイビーは運転能力を失ったのか?を考えてみる
映画の後半、バディによってベイビーの武器である運転能力を無力化させるために、聴覚にダメージを与えました。
それによってあの高度な運転技術が失われたかどうか、その描写がベイビーがダメージを受けた後に運転をしていないため、はっきりとしません。
ただ、デボラとの逃避行の際、耳鳴りを抑えるための音楽を聴いていないところを見ると、耳鳴りは亡くなったのかもしれない、と感じました。
そして耳鳴りが無くなったのであれば、運転技術も失われた可能性があるのでは、と思ったのです。
が、映画のヒットにより続編の構想がなされ、2019年に脚本が出来上がった、というニュースが出ました。
そのことを考えると、この映画の一番の売りであるあのベイビーの運転技術とノリノリのBGMがない、ということは考えにくく、運転技術を失くしたという設定にはならないと思われます。
すでに脚本は完成!続編の内容は?
2019年7月の下旬に取り上げられましたが、すでに「ベイビードライバー2」の脚本が完成しており、主演を務めたアンセル・エルゴートがそれをすでに読んだ、と伝えられました。
その時点ではまだ撮影時期など、全く決まっていないようで、全く情報は出ていませんでしたが、2020年における新型コロナウイルス症候群の影響で、全くのスケジュールに関しては白紙になってしまったのではないか、と考えられます。
そこで、全く情報が出ていない続編の内容について、勝手に考察してみたいと思います。
映画のストーリー上、バディに両耳の至近距離で銃を撃たれたことに寄るダメージを受けたのは確実です。
刑務所内でも耳の検査をするシーンが有りました。
そこから考えるに、あの驚異的なドライブテクニック能力は失われたかもしれません。
そちらのほうが、デボラとのこれからの生活にも良いと思います。
映画全編を通して犯罪から抜け出したいとしていたベイビーですので、デボラと新しい生活を始めることに、喜んでいる視聴者が多いと思います。
それなのに、落ち着いた先でも同じことをしているとしたら、がっかりするでしょう。
あえてデボラとの生活の中で、あのドライブテクニックを有効に利用するとしたら、ハリウッドでカースタントとして生活していたら、昔のことを知っている悪人に存在をきづかれて、みたいなストーリーが考えられます。
もし犯罪者として逃し屋に舞い戻っているというストーリーでは、デボラの存在をどうにかしないと説得力がないので、死んだことになっているというくらいしか方法はないのではないでしょうか。
それよりもケビン・スペイシーをもう一度見たいと個人的に思いますので、時間を遡ってドクのために働いている、もしくはドクの車を盗んで逃し屋を始めることになったところから始まるようなストーリーのほうがいいのではないか、と思います。
が、彼に関するスキャンダルのせいで、おそらく続編に参加することはないでしょう。
ですので、過去の話を持ってくることは大人の事情で不可能でしょうね。
映画は見事に完結しているので、個人的には続きが見たいとは思いません。
どちらかといえばスピンオフで時代を遡っての作品は是非見てみたいと思っています。しかもノリノリのナンバーをもっと加えて。
今となっては無理でしょうけど。
あと、スローテンポのBGMでベイビーがどんな運転をするのかのパロディーも見てみたいな。
コメント