映画「ステージ・マザー」は、今はやりのLGBTを題材にしたヒューマンドラマ作品。
この映画を見るまでBLTGと言われている人たちを、同じひとくくりで考えることがどれほど間違っているのか、ということに気が付きませんでした。
「ゲイ」という一言で一緒にしてしまうのはとても失礼なことだったのです。
僕の近しい周りにLGBTである人はあまりいません。
そんな環境であることもあって、正直、なかなか同性愛者という人たちのことを、特異な目で見てしまう部分が消えないわけではありません。
が、この映画を通して、彼らが抱える寂しさや問題を見ることができ、これまでの考えを努力して改めなくては、と実感できました。
ストーリーはある意味ありきたりで心温まるハッピーエンディングで終わっていますが、楽しく見ることのできた映画でした。
映画「ステージ・マザー」のネタバレあらすじ!メイベリンもカミングアウト!?
それでは映画「ステージ・マザー」のあらすじをネタバレ込みで紹介していきましょう。
あらすじ 起:息子リッキーの死と初めて知った息子の近況
サンフランシスコの一角にあるゲイバー「パンドラの箱」
閑散とした客の前でドラァグクイーンたちによるショーが催されていました。
自分の出番ために準備をしているリッキーは、その傍ら、怪しげな薬物を摂取します。
そして、舞台に向かうのですが、その足元はおぼつかなく、まるで千鳥足でした。
舞台に上がってからのパフォーマンス中も、ふらつきは止まらず、ついに舞台に突っ伏してしまいます。
マネージャーのネイサンや他の従業員たちが駆け寄りますが、リッキーは息をしていない様子。
クラブ内は騒然となるのでした。
主人公のメイベリン・メトカーフはテキサス州の故郷で、教会の聖歌隊リーダーをしている他は、夫のジェブの世話や時折訪問してくれる妹のベベットと過ごしていました。
そんな彼女に見知らぬ番号から電話がかかります。
電話の主はリッキーのパートナーであるネイサンからで、息子が薬物の過剰摂取から志望したことが伝えられたのでした。
落ち込むメイベリンは息子の葬式に出席するためにサンフランシスコに旅立つことを決めますが、夫のジェブは賛成せず、出席もしませんでした。
ジェブが息子の葬式に出席しなかった理由は、息子のリッキーがゲイでドラァグクイーンであったことです。
メイベリンも息子がゲイであることを受け入れきれずに、リッキーが家を出た日より、会うことも話すこともありませんでした。
サンフランシスコでのリッキーの葬式は、ドラァグクイーンのパフォーマンスを取り入れた者であり、おおよそ普通の式ではありませんでした。
メイベリンはその内容に耐え切れず、式の途中で教会を後にしてしまいます。
次の日、メイベリンはリッキーのアポートを訪ねます。
そこにはリッキーのパートナーであったネイサンも住んでいました。
ネイサンはメイベリンを敵視しており、彼女を全く受け入れません。
メイベリンは何とか話をしようとしましたが、ネイサンに遺産目当てのハゲワシだとののしられ、追い帰されてしまいます。
困惑するメイベリンですが、アパートの外でリッキーやネイサンの友人であるシエナに出会います。
シングルマザーで幼い赤ん坊を抱えたシエナでしたが、メイベリンとすぐに親しくなり、リッキーのことを話してあげた上、ネイサンとの間も取り持ってくれたのでした。
シエナのおかげでネイサンと話をすることができたメイベリンは、なぜネイサンがメイベリンのことを目の敵にしていたのかを知ることになります。
リッキーとネイサンは付き合っており、同棲も2年以上という時間を過ごしていました。
ネイサンはリッキーと結婚したがっていましたが、リッキーは母であるメイベリンに許しをもらってから出ない限りできない、と話していたのです。
加えて、二人が住んでいたアパート、一緒に経営していたゲイバー「パンドラの箱」も法的にリッキーだけの名前が記載されており、ネイサンに一切、権利がありませんでした。
リッキーが急逝した結果、ゲイバーは彼の両親に相続する権利が発生し、アパートはネイサンが再契約しない限り、退去しないといけないわけです。それも数日のうちに。
ネイサンはリッキーと一緒に住んでいたことでアパートに住めたのですが、一人の収入ではとても賄いきれないので、再契約したくてもできない状況でした。
以上のような状況であることを知ったメイベリンは、自分にゲイバーの経営はできないと困惑します。
そして純粋にリッキーが彼と仲間の力で作り上げゲイバーを見てみたいとネイサンに申し出るのでした。
「パンドラの箱」はメイベリンにとってリッキーの個性が強く感じられる作りとなっていました。
とくにシャンデリアは、昔から実家にあったものと一緒のものが使われています。
そんな中で、メイベリンはこの「パンドラの箱」の経営状態が思わしくないことも知るのでした。
あらすじ 承:ゲイバーの再建に乗り出すメイベリン
メイベリンは、リッキーが作り上げたゲイバーをネイサンの手から奪われてしまうことに耐えられなくなっていました。
そこで、ゲイバーでのドラァグクイーンショーも教会での聖歌隊も同じパフォーマンスによるエンターテイメントであると割り切り、再建に乗り出す決意をします。
ただし、ビジネスの上でパートナーであり、個人的にもパートナーであったリッキーを突然失ったネイサンの混乱は想像以上のものでした。
その結果、メイベリンがゲイバー経営の決意をする前に、ベストパフォーマーと演出家の二人が「パンドラの箱」を止めてしまっていたのです。
そんな逆境の状態でしたが、メイベリンは考えがありました。
リッキーの葬式で歌声を披露したドラァグクイーンの若手3人に目を付け、彼らによる生歌&コーラスをクラブの売りにしようとしたのです。
地元のリピーターだけでなく、サンフランシスコを訪れる観光客を呼び込めるだけの質の高いエンターテイメントを目玉にするという戦略でした。
ドラァグクイーンでゲイである3人のパフォーマー、チェリー、ジョーン、テキーラにコーラスハーモニーを教えるメイベリン。
3人はみるみる力をつけ、ステージパフォーマンスの稽古を詰んでいきます。
メイベリンは3人や他の従業員、そしてサンフランシスコ滞在中に泊めてもらっているシエナと親密になって友情を深めていきます。
が、楽しいひと時とは裏腹にそれぞれ問題を抱えていることにも、メイベリンは気が付くのでした。
リッキーとも親しく兄弟(姉妹?)のような付き合いをしていたジョーンズは、常に孤独感を払しょくすることができず、リッキーからの影響からか違法薬物に依存していました。
チェリーは、過去に結婚していて妻が存在しており、妻に自身がゲイであることを告げずに家出していたため、離婚手続きも終わっておらず、それが理由で性転換手術を受けることができないでいました。
が、今まで賭けてきた妻への迷惑や、自身がゲイであることを妻がきちんと受け止められるかどうかが不安であるため、彼女ときちんと話すことができずにいたのです。
テキーラはクラブの近所に実の母親が住んでおり、母親は息子がゲイであることを受け止めきれず、壁を築いてしまっていました。
シエナはいわゆるダメンズウォーカーで、彼氏にする男は浮気性であったりDV気質であったりしていました。
だからこそ、シングルマザーで幼い赤ん坊を抱えており、メイベリンが滞在している最中の彼氏はDV気質のある男性だったのです。
メイベリンはジョーンズには、息子リッキーにできなかった依存症克服のサポートを、心を鬼にしてすると伝え、実際に薬を取り上げます。
チェリーには、彼の妻との面会を勧め、一人でできないと尻込みするチェリーのサポートとして、面会の場まで同行します。
テキーラには、彼の母親に個人的に会いに行って、メイベリンが犯した過ち、後悔してもすでに手遅れになった実体験を話して聞かせ、テキーラのショーを見に来るように強く勧めるのでした。
後日、テキーラの母親は、息子のパフォーマンスをバーで鑑賞し、その質の高さ、そして歌に乗せたテキーラのパフォーマンスにかける情熱を知って、息子をより理解することができたのです。
シエナの問題ですが、ある夜、メイベリンは物音で目が覚めます。
それは言い争っている声と誰かが殴られる音でした。
メイベリンはカバンから銃を取り出し、シエナの部屋に踏み込みます。
そして暴力をふるっている彼氏を追い出し、シエナを救うのでした。
傷付いたシエナは精神的にもダメージを受けており、メイベリンはそんな彼女の隣で優しく慰めます。
メイベリンはクラブのパフォーマンスを宣伝するためにショーのチラシをもって環境客が宿泊するホテルを回ります。
その一つで、マネージャーの一人、オーガストと知り合います。
オーガストはメイベリンに好意を持ち、ショーに関しても興味を持ってくれました。
そこで、メイベリンはオーガストをクラブに招待し、彼自身でショーを見てもらって、宿泊客に進めることができるだけの質があるかどうか、確認してもらいます。
結果、オーガストはショーを気に入り、ホテルで公式に観光客に進めることを約束するのでした。
そんなきっかけで知り合ったオーガストとメイベリンはデートをします。
お互いに惹かれあうものの、メイベリンはすでに既婚者であることをオーガストに告げることができず、クラブのドラッグクイーンショーが有名になって利益も出始めたころ、戻ってこないメイベリンを心配してサンフランシスコにやって来たジェブと一緒にいるところを見られてしまう形で、メイベリンとオーガストのロマンスは終わってしまうのでした。
テキサスに戻ってくるようにいうジェブに対し、メイベリンはいくつかの条件を出します。
その一つは、クラブをネイサンに譲渡するというもの。
クラブを売却して現金を得たいとしていたジェブに、リッキーは両親の助けを借りず、ゼロから作り上げたこのクラブは、そんなリッキーを支えたパートナーたちのものだ、と条件を飲ませ、クラブが安定して利益を出せるようになることを見届けて、メイベリンは故郷テキサスに帰るのでした。
あらすじ 転:故郷に帰って気が付くメイベリン
故郷に戻ったメイベリンを教会の聖歌隊所属の友人が迎えます。
そしてサンフランシスコで何をしていたのか、と聞くのですが、そばにいたジェブは息子が経営していたレストラン&バーの処理に時間をかけていた、と答えるのでした。
また、メイベリンがサンフランシスコを去る際に、ネイサンは1枚のDVDディスクをメイベリンに渡します。
それは、リッキーのパフォーマンスを録画したもので、メイベリンがじかに見ることのできなかった、リッキーが情熱を燃やしていたドラッグクイーンという夢が映っているものでした。
その映像を楽しんでいたメイベリンですが、ジェブは息子が女装している姿など、見たくはありません。
メイベリンが視聴しているにもかかわらず、テレビを消してしまいます。
既にいなくなったリッキーの過去を見たところで何も変わらないから忘れるべきだ、と主張するジェブですが、そうやって自分の思い描いていた息子像から離れていき始めたころから、リッキーのことを理解しようとせず、自分の期待を押し付けて、本物の息子を見ようとしなかったとジェブのことを指摘します。
リッキーはパフォーマンスを通して人に喜ばれたいという思いを母親のメイベリンから受け継いでおり、メイベリンもクラブ「パンドラの箱」でそれに携わったことで、自分の中に眠る情熱に気が付いたのでした。
メイベリンは夫の元を離れ、テキサスを後にし、サンフランシスコに戻ることを決意します。
あらすじ 結:ステージに立つメイベリン
サンフランシスコに戻ったメイベリンは、騙す形となったオーガストのもとに出向き、謝ります。
オーガストは彼女の謝罪を受け入れ、二人は高裁をすることになるのでした。
また、メイベリンは「パンドラの箱」のステージに初めて立つことになります。
そこで、リッキーの思いとともに、リッキーが子供のころに教え、2人で楽しんだパフォーマンスをステージの上で思いっきり披露するのでした。
映画「ステージ・マザー」のネタバレ感想
続いて映画「ステージ・マザー」の感想をネタバレ込みで紹介していきたいと思います。
基本的にはとてもかわいらしくて心温まる映画でした。
そんな中でもやはりマイノリティーといわれるだけあって、少数派であるが故の悩みや孤独を抱えていることも切実な悩みとして描いていたので、作品中のクラブでの成功は、ことのほか、良かったなぁ、と感じられるものだったと思います。
それでは一つずつ、細かく見ていくことにしましょう。
ドラッグクイーンの華やかさとゲイとしての孤独さ
ドラァグクイーンというのは着飾って、メイクもばっちり決め、舞台の上で女性よりも美しく見えるパフォーマー。
その華やかさから、芸能人のひとつの形として、うらやましがられるような存在だと感じました。
有名になればなるほど、ファンもでき、マスコミからの注目も増すことでしょう。
しかし一人の人間としてオフの時間を迎え、一人ぽつんと部屋の中に座っていることに気が付いた時、その落差が激しいがゆえにとても寂しいのではないでしょうか。
ドラッグクイーン全員が全員、親兄弟といった家族に理解され、ドラァグクイーンとしての活動を応援してもらえているわけではありません。
リッキーのように、死ぬまで親に会えなかったということも珍しくなく、死んだ後でも親が引き取ってくれない、葬式に参列してくれない、ということもあり得るでしょう。
だからこそ、ジョーンのように薬に手を出してしまって、寂しさを紛らわせたいと思ってしまうのだと感じました。
家族の一員にゲイがいたとしたら
リッキーの母親であるメイベリンは、ゲイとして、ドラッグクイーンとしてのリッキーのことを理解することができました。
しかし一方で父親であるジェブは、最後までリッキーのことが理解できず、ゲイであった息子を恥だとしか思えませんでした。
LGBTの存在がより認められてきている近年ですが、それでも個人的に兄弟や姉妹、息子や娘がレズビアンやゲイであった場合、どういう反応をし、どういう接し方をしているのか、今一つ想像ができません。
一方でテキーラの母親と会ったメイベリンが、テキーラのことについて言及したセリフは、まさにその通りだと思います。
ドラッグクイーンとして自分が表現したいものを舞台の上で表現し、それを芸術のレベルまで高めようとしている。
犯罪を犯しているわけではなく、これまであまり見られなかった表現の仕方であるだけで、一度そのステージを直に見てみれば、テキーラが目指しているものが容易に理解できます。
おそらく理解するまでに時間がかかるとは思いますが、その人にとって最も自然な姿をで、それが他の人に実害を与えないというのであれば、僕はその人にゆっくりと慣れていけばいいのだろうな、と感じました。
この映画にメイベリンのロマンスは必要だったのか?
最後にメイベリンとオーガストのロマンスについて触れておきたいと思います。
果たしてこの映画に、二人のロマンスは必要だったのでしょうか?
メイベリンがサンフランシスコに移り住み、友人だけでなく、恋人もいる、というシチュエーションは、彼女にとってよりいい環境なわけですが、ゲイであった息子をついに理解し、彼が築き上げようとしてきた夢を仲間とともに引き継いで成功させる、という主題にはあまり関係がないように描かれていました。
オーガストの助けによって成功への道が早くなったのは確かですが、オーガストがメイベリンに惹かれたのは、亡き息子の夢をかなえようとしているからではありませんでした。
映画を見終わったあと、もしオーガストとメイベリンのロマンスがストーリーに含まれていなかった場合、どれほど違った物になっていたのか、を考えてみました。
が、個人的な感想では、それほど大きくストーリーが変わったとは思えなかったのです。
だからこそ、このロマンスがストーリー上、必要だったのか、という疑問が湧いたのでした。
ドラッグクイーン役俳優の紹介も!
メインスターとなった3人のドラッグクイーン役俳優の紹介
最後に簡単にですが、新生「パンドラの箱」でスターパフォーマーに上り詰めた人のドラァグクイーン、ジョーン、チェリー、テキーラを演じた俳優について紹介したいと思います。
チェリー・ポピンズ役マイア・テイラー
チェリー役を演じたのはマイア・テイラー。
2015年に北米公開され、日本では2017年に公開された映画「タンジェリン」で映画初出演しました。
その見事な演技により、
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・第25回ゴッサム・インディペンデント映画賞 ブレイクスルー演技賞
・第31回インディペンデント・スピリット賞:最優秀助演女優賞
・2015年サンフランシスコ映画批評家協会賞:最優秀助演女優賞
を受賞しています。
このマイア・テイラーの受賞はトランスジェンダー俳優として初の公式大賞でした。
その後、ショートフィルムやテレビドラマ等に出演するようになり、今回の映画「ステージ・マザー」でも出演することになったのでした。
マイア・テイラーのインスタグラム
ジョーン・オブ・アーカンサス役アリスター・マクドナルド
ジョーン役のアリスター・マクドナルドはカナダ出身の新人俳優です。
この映画「ステージ・マザー」が撮影されたカナダ・ハリファックス市のあるノバスコシア州出身で、同州で最大都市である州都ハリファックス二も住んでいた時期がありました。
インタビューでは、そこでドラァグクイーンとしての活動を始めた思い出の地だと語っています。
2020年にカナダの映画賞であるACTRAアワードにて主演男優賞をジョーン役で受賞していました。
ちなみにACTRAは 「Association of Canadian Television and Radio Artists」の略で、カナダ内に、
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トロント
モントリオール
オタワ
ブリティッシュ・コロンビア(バンクーバー)
アルバータ
サスカチュワン
マニトバ
ニューファンドランド & ラブラドール
マリタイム (ノバスコシア、ニューブランズウィック、PEIの3州)
の9個の支部に分かれており、それぞれの支部が対象となる芸術家(俳優に場合は出身地)をノミネートして大賞を選んでいます。
受賞した際の発表の瞬間とそれに対するアリスターのスピーチ動画がありましたので、英語のみ・日本語字幕なしですが、紹介しておきます。
テキーラ・モッキングバード役オスカー・モレノ
テキーラ役を演じたオスカー・モレノはコロンビア出身。
その後、家族はアメリカのニューオリンズで3年ほど暮らした後、2003年にカナダのロンドン市へ引っ越します。
大学進学のためトロントに移り住み、大学で演劇を専攻。
2013年に卒業して、演劇の世界に入ったのでした。
主に舞台をメインの活動の場にしていましたが、同時に短編作品にも出演していたそうで、今回の映画「ステージ・マザー」が長編映画のデビュー作となります。
オスカー・モレノのインスタグラム
「ドラァグクイーン」と呼ばれる由来について
最後に「ドラッグクイーン」ですが、正式な日本語表記は「ドラァグクイーン」となるそうです。
これは「ドラッグ」という単語が違法薬物を指す隠語である「ドラッグ=薬物」を連想させることと区別するために考え出されたもので、「ドラッグクイーン」の「ドラッグ」は「引きずる」という意味の別の単語から取られたものです。
ではなぜ「引きずる女王様」という意味の「ドラァグクイーン」と呼ばれるようになったか、というと、一番有力な説として、
演劇界の隠語だとするもの。1870年に初出の記録がある。
当時舞台上で女性の役を演じる女優が不足した時は、子役や背の低い若作りの俳優が女装してこれを務めたが、無骨な脚が観客に見えないようにロングスカートを履いた。
ところがスカートの履き方に慣れていなかった彼らは裾を床に引きずっても平気な顔をしていた。本当の女性であれば決してしない行為であるのにもかかわらず。
それが滑稽だったのでこの名がついたというもの。
英語の名詞 drag の本来の意味は「引きずる」ということで「Drag Queen」と呼ばれるようになった。というものです。
引用:ウィキペディア
「ドラァグクイーン」と「ゲイ」の違いについても簡単に紹介しておきましょう。
「ドラァグクイーン」はどちらかといえば女装をすることに重きを置いています。
近年では男性の同性愛者ではなくて、女性のドラァグクイーンや、男性でも異性愛者でドラァグクイーンである人々も存在するようになってきているそうです。
一方で「ゲイ」は男性の同性愛者。
常に女性の衣服を着用していたり、女性のように化粧をしていたりしているわけではありません。
まとめ
映画はLGBTというとてもデリケートな問題を扱った内容ながら、マイノリティーとして、時には家族にも受け入れられないかもしれないドラァグクイーンの夢を追いかける姿と、お互いに助け合う友情を現実的でありながら美しく見せてくれる作品でした。
ストーリー展開は、ある意味お約束と感じる部分もある、「努力・友情・成功」を体現した嫌いはありますが、それくらいのほうが、エンターテイメントとして楽しむことができるのではないか、と思いました。
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