映画「最後の決闘裁判」は映画の冒頭に「史実を基にして作られたお話」と明記されています。
つまりこれは、史実にあった出来事を題材にした作品であり、映画で表現されている物の中には実話として起こっていない描写もある、ということを意味しているのでした。
では、実際に映画「最後の決闘裁判」はどこまで史実通りに描かれ、実話と違う創作の部分があるのでしょうか?
今回はこのことに関して調べてみましたので、紹介していきましょう。
映画「最後の決闘裁判」は結末も含め、75%以上史実通り
映画「最後の決闘裁判」の監督を務めたリドリー・スコット氏は映画の内容は史実に忠実に再現しており、結末も含め、75%以上、実話に沿ったストーリーにした、と発言しています。
ただし、記録として残っているものは実際に起きた結果として書かれているだけ。
ですので、特定のシーンで、特定の人物にどのようなふるまいがあったのか、ということは、その時代の価値観などを十分に考慮して映画化するしかありませんでした。
例えばジャンとル・グリが仲直りをしたパーティーに出席したマルグリットの髪型。
文献に1380年代にあのような髪形をした女性がいたことは記録として残っています。
が、あの席でマルグリットが本当にあの髪型で参加したのかは、当然、記録に残っていませんので、証明の仕様がありません。
そういう意味で映画に登場するもの全部が全部、史実通りである、というわけではない、と言えるでしょう。
マルグリットが領主のようにふるまったのも史実通り
「マルグリット」の章で、夫のジャンがスコットランドに遠征に行った際、領内の管理を多方面にわたって行っている描写がありました。
歴史の文献にはあの当時の領主の妻が、夫の不在の際、夫に代わって領内の管理をしていたことが、はっきりと記されています。
ですので、マルグリットが領主のようにふるまっていた描写は、歴史的に正しく、史実通りと言えます。
とはいえ、映画の中で描かれていた、マルグリットが行った具体的な行動や命令は、上記した髪型と同じく、記録には残っていません。
そういう意味では本当にマルグリットが映画で描かれていたようなことをしたのかどうか、はフィクションである、と言えなくもないのでした。
映画と実話の違う点
映画「最後の決闘裁判」は入念な時代検証が行われて撮影された作品です。
しかし映画というエンターテイメント性を有する媒体である以上、ただただ史実通りに描いていればいい、というものではありません。
ドラマ性を持たせたり、視聴者が当事者意識を持って視聴できるような演出が必要となってきます。
そしてそれは、実話とは違ったストーリーや設定を作り出すことになるのでした。
マルグリットの性格&人物像
歴史的記録というものは、ほとんどが男性が行ったことの記録になってしまいます。
マルグリットも過去に生きたほとんどの女性同様、どういった家系の出身か、そして決闘裁判においてどのような立場に置かれたか、という記録以外は、全く残されていませんでした。
自画像すらも古すぎて、はっきりと分からなくなってしまっており、どのような容姿をしていたのかも分かりません。
そのため、スタッフはマルグリットという女性のほとんどの部分を作り出さなければなりませんでした。
マルグリットのことを調べて分かったことは、彼女が才女で教養もある、ということだけでした。
そのため、マルグリットのパートの脚本を担当したニコール・ホロフセナーは、その当時の女性の置かれた立場や一般的に考えられていた女性像などを十分理解したうえで、マルグリットのキャラクターを作り上げていったのです。
一番特筆すべき場面は、審問が終了した後、ジャンとマルグリットが口論をするシーンでした。
ジャンはとても短気で暴力的な夫であり、マルグリットに手を挙げることは彼にとって自然なリアクションです。
しかもこの時代、夫に口答えする女性が本当にいたのか、いたとしたらどのような扱いを受けていたのか、を深く考える必要があったそうです。
しかもそれは、家庭の中だけでなく、友人や知り合いといったマルグリットが生活している社会の中で、どのような反応をされるのかまで、考える必要がありました。
その結果、生まれることになったのが、マルグリットの友人ながら、審問の場では彼女を裏切ったマリーというキャラクターであり、また、自身も若いころ、レイプされましたが声を挙げることはせず、今まで生きてこれたジャンの母親ニコールだったのです。
最後に紹介しておきたいのが、遠征から戻ったジャンを喜ばすためにマルグリットがマリーと一緒に市場に買いに行って手に入れた、大きく胸の開いた新流行のドレス。
この時代、女王が着用するドレスとして流行っていたもので、文献によると映画の中で語られていたように女性の乳首が見えるほど開いていたそうです。
しかもこのタイプのドレスを着用する女王は乳首にピアスをして、わざと見せびらすように着用するのが流行だったとか。
このドレスをマルグリットが本当に着用したのかどうかは記録になく、創作といってもいいかと思います。
レイプシーン
レイプシーンも記録に残っている実話と映画の中での描かれ方に違いのある場面でした。
裁判記録を調べると、ル・グリがマルグリットを襲ったとき、彼の従者であるアダム・ルヴェルが一緒にいて、彼女を二人係で床に押し付けた、と記載がありました。
しかもル・グリはマルグリットの口に彼の帽子を押し当て、声が挙げられないようにし他のです。
つまりル・グリがマルグリットに乱暴をした際、映画で描かれている以上に暴力的で、おそらくはマルグリットはあざなどの傷跡を負ったものと考えられていました。
しかし映画ではマット・デーモンとベン・アフレックの意見によって、本当にレイプをしたのか、灰色に近いと感じさせる描写に代えられたのでした。
というのも、ここは史実通りなのですが、ル・グリはマルグリットを愛しているが故の行為であった、と深く信じていたのです。
そしてル・グリがそう信じ込むことで、自己中心的なキャラクターであるという印象を視聴者が持たないようにするために、レイプシーンから暴力的な描写をできるだけ省いたのでした。
確かに例えば、ル・グリがマルグリットに殴る蹴るの暴行を加え、動けなくしてから乱暴を働いたのであれば、いかにル・グリがマルグリットを愛していて、行動に移したのは仕方ないことなのだ、と主張しても誰も納得しないでしょう。
決闘裁判で死んでも罪を認めなかったル・グリは本当にあの行為はレイプではない、と心の底から信じていたことを視聴者にも納得してもらうための、変更だったのでした。
決闘シーン
楔帷子を着込み、フルプレートで体を覆った騎士が決闘を行った場合、実際に勝者が決まる理由は至極単純でした。
敗者は転んで、起き上がれなくなった、だけなのです。
フルプレートの重量は30キロあったといわれており、その重りをつけた状態で、地面に横たわってしまったら、起き上がるまでにかなりの時間がかかることは容易に想像がつくと思います。
一人であれば、時間をかけて起き上がることもできるでしょう。
しかしすぐ近くにナイフを持った敵がいたとしたら。
大した抵抗もできないまま、首を掻っ切られて終わり、でしょう。
実際にはル・グリは首を切られて死亡したと記録に記載されていました。
が、それでは映画としてあまりにもみじめで盛り上がりに欠けてしまいます。
そのため、まずは馬上でランスを持っての激突。
続いて長剣をふるっての決闘。
最後はナイフを持って寝転んだ状態での組打ち、というアクションシーンになったのでした。
また、決闘のシーンで非常に興味深いのは、ル・グリがジャンに罪を認めろ、と言われてもそれを拒否した場面です。
実はこのやりとりは記録に残っており、史実を再現したシーンでした。
が、この時代に生きた人たちの価値観を深く考えるとル・グリが認めなかったのはかなり意味深になってきます。
というのも、この時代の人々の価値観はキリスト教にありました。
全てのことは神の思し召しであり、神様が行うことに反対をすることなど、考えもつかなかったはずです。
決闘裁判も、決闘で決着をつけるのですが、それは神様が正しいほうを生き残らせると信じて戦っていました。
つまり、勝者は戦闘スキルが長けていたから決闘に勝ったわけではなく、神がその人物の言い分が正しい、と判断したからこそ、決闘に勝てるわけです。
となれば、地面で身動きが取れなくなり、とどめを刺されることを待つだけの状態になったル・グリは、弱いから負けたのではなく、神がル・グリの主張する言い分が正しくない、と判断したからなのです。
つまりは、神によってル・グリは有罪で、マルグリットに対して行ったことはレイプである、と結論付けられたことになり、それをル・グリが認めないと叫ぶのは、神の判断が間違っている、と叫んだに等しいのでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
映画を作成するにあたって、かなりの時間をかけて時代考証をしてきただけはあり、監督をして75%以上が史実通りである、と言わしめている作品です。
ただし細かいところは本当に起こったかどうかは想像するしかなく、その時代にしていた髪形、着ていた服装は再現できたとしても、映画に登場するキャラクターが本当にしていたりきていたりしたのかは、証明することができません。
ですので、その部分に関しては作り話といえるでしょう。
また、映画の主題となっているレイプシーンや決闘シーンは記録に残っている史実を忠実に映像化するより、よりドラマ化させるために、わざと変更していることを、インタビューで明かしています。
だからこそ、「75%以上が史実通り」という監督の発言になったのでしょうね。
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