映画「キングスマン: ファースト・エージェント」は非政府機関としてのスパイ組織「キングスマン」が出来上がった理由がストーリーの作品です。
時代背景は第一次世界大戦。
日本も参戦しているものの、主戦場がヨーロッパであったため、今一つなじみの薄い世界大戦ではないでしょうか。
そんな映画の中で主人公のオックスフォード卿とコンラッドの敵となるのがロシアの怪僧ラスプーチン。
いかにも悪役という容貌の上、スピリチュアルで怪しげな能力を使いそうなキャラクターです。
が、このラスプーチンというキャラクター。
実在した歴史上の人物であることはご存じでしたでしょうか?
今回は実在し、ロシアのロマノフ王朝を滅ぼしたといわれるラスプーチンの実際の姿について紹介していきましょう。
映画「キングスマン: ファースト・エージェント」の敵ラスプーチンとは
ラスプーチンはロシアのロマノフ王朝で時の皇帝ニコライ2世とその妃のアレクサンドラ皇后に重く用いられた僧侶です。
ロマノフ王朝滅亡の原因であるともいわれ、「怪僧」というあだ名もつけられており、後世の多くの作品で敵役として登場する人気のあるキャラクターですが、実際に調べてみると、意外な真実が分かってきました。
現実のラスプーチンはこんな人物
確かにラスプーチンはロシア皇帝とその皇后に気にいられたことで、政治中枢の中に入り込み、私利私欲的な政策をしたことはあります。
が、実際に調べてみると、「怪僧」と呼ばれ、ロマノフ王朝を滅ぼした人物としてのイメージとはかけ離れた事実があったのでした。
それらを見ていく前に、ラスプーチンが皇帝に取り入り、お気に入りになるまでを簡単にまとめてみましょう。
ラスプーチンはシベリアの農家の家に生まれます。
学校に行かなかったため読み書きができませんでしたが、彼が生まれたことのロシアでは多くの人々が学校に通っていませんでしたので、彼が特別なわけではありません。
不良青年で粗暴な若者時代を過ごしましたが、ロシア正教会の一派に属すようになり、そこでリーダーとしての頭角を現すのでした。
その後、宗教家として村を捨て、ロシア中をめぐります。
そして宗教活動を熱心に行って人気を得つつ、ついには首都サンクトぺテルブルグで人々に病気治療を施してさらに有名となり、貴族とのつながりを持つようになるのでした。
そのころ、ニコライ二世とアレクサンドラ皇后の息子アレクセイ皇太子は血友病という、当時は不治の病を患っていました。
この血友病というのは、
血液凝固因子の不足により血液の凝固異常が起こる。出血様式は深部出血が中心で、特に関節内や筋肉内で内出血が起こりやすく、進行すると変形や拘縮を来たす。また、一度止血しても、翌日から一週間後に再出血を起こすことがある。稀に頭蓋内(帽状腱膜と頭蓋骨骨膜との間)で出血を起こす場合があり、放置すると大脳を圧迫し重症化する。
(引用:ウィキペディアより)
という病気です。
この血友病に苦しめられていたアレクセイ皇太子ですが、1907年4月にラスプーチンよって行われた祈祷治療によって症状の改善が見られたのでした。
この時にラスプーチンが行ったのは当時流通し始めたアスピリンによる鎮痛治療ではなかったか、という見方があるそうです。
しかし、この時にはそのようなからくりがあったことなど分かるはずもなく、ニコライ二世夫婦が神秘主義を信じるスピリチュアルな性格であったこともあり、その信頼度はこの時を契機に絶大なものとなったのでした。
「怪僧」と呼ばれたわけ
このようにして皇帝と皇后の信頼を得ることに成功したラスプーチンは、ロシア帝国の首都で他の貴族たちにも取り入るようになり、とくに宮中の貴婦人や貴族の娘から熱烈な信仰を集めるようになったのです。
なぜそのような結果になったのかははっきりとわかりませんが、後に「怪僧」と呼ばれるようになった理由の一つとして、不特定多数の女性と関係を持ったことが挙げられています。
それも多人数による淫行など、彼の生活を内偵した秘密警察の捜査員が呆れ果てて、上司への報告書に「醜態の限りをきわめた、淫乱な生活」と記載するほどのもので、およそ聖職者とは思えないものでした。
ついには皇后アレクサンドラ皇后との間の関係も疑われるほどで、第一次世界大戦中、ラスプーチンの助言により、前線での指揮をするためにニコライ二世はロシアを離れたのですが、その間の政治はアレクサンドラ皇后とその助言者のラスプーチンによって行われることになります。
実際はアレクサンドラ皇后は政務で忙しく、ラスプーチンと頻繁に会うことはできませんでしたが、手紙や電話、週に一度の謁見を通して、ラスプーチンの意見をよく聞いており、実際は不倫関係ではなかったものの、影響力は絶大なものだったようです。
アレクサンドラ皇后とラスプーチンによる政治は、気に入らないものを次々と罷免するといった失政で、そして彼女が敵国ドイツの皇帝一族の出身者ということもあり、貴族から民衆まで人気がありませんでした。
二人の関係に対するうわさも、この不人気が原因で起こったのです。
ついにアレクサンドラ皇后とラスプーチンが進める政策方針に反対する派閥は二人の影響力を低下させるため、まずラスプーチンを排除する方法を模索し始めます。
最初は皇帝や皇后に進言して、宮廷から追い出すことをたくらみますが、結局それは成功せず、ついには暗殺という方法が用いられることになるのでした。
ラスプーチンを「怪僧」と呼ぶ一番の理由は、この暗殺が実行された時の様子からです。
というのも、ラスプーチンは青酸カリ入りの食事を平らげてもケロリとしており、泥酔させられた後に背後から心臓と肺を銃撃で貫通させられたにもかかわらず、即死しませんでした。
更に背中から銃弾が浴びせられたにもかかわらず、絶命しなかったそうで、最後に額を打ち抜かれてようやく死んだ、と伝えられています。
しかし実際は、暗殺犯がロシア有数の大貴族だったため、警察は満足な捜査を行うことが出来ず、暗殺現場に立ち入ることすら出来ないといったのが現状でした。
さらに、ソビエト連邦成立後に捜査資料の大半が破棄もしくは消失したためラスプーチン暗殺の詳細は不明な点が多く、暗殺犯の回想録などでうかがい知るしか方法がなかったことが、ラスプーチンを化け物のような人物像に仕立て上げたといっていいでしょう。
本当は戦争反対派
皇帝と皇后に取り入り、国を亡ぼすほど、どんなにひどいことをしたのか、と思うかもしれませんが、実はラスプーチンは戦争には反対の反戦派でした。
第一次世界大戦が起こり、ロシアがイギリスやフランスによって対ドイツに宣戦布告をするように圧力をかけられ、国内も開戦にむけ、機運が高まっているころ、ラスプーチンは、
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戦争をすればロマノフ家とロシアの君主制は崩壊してしまう
として参戦に反対し、皇帝や皇后にその意見を述べていたのです。
が、最終的にはロシアは対ドイツに宣戦を布告。
第一次世界大戦に参加します。
こうしてロシアは第一次世界大戦に参戦しますが、短期間で終わると思っていた戦争は予想を覆して長期化してしまいます。
それに合わせてロシア内で経済が悪化。国民の生活が苦しくなっていき、宮廷内では戦争に対して賛成派と反対派に分かれての闘争が繰り広げられるようになります。
もちろんラスプーチンは戦争反対派でしたが、そのため賛成派から攻撃され、しかも政務を行っているアレクサンドラ皇后に影響力を持つ存在であったこと、ラスプーチン個人としては大きな勢力を持っていないことが理由となって、暗殺されることになるのでした。
政争に巻き込まれて悪名を得た
ラスプーチンによってロマノフ王朝が傾き、ついには滅んだ、というのは、ロシア帝政に反対する人々によるプロパガンダという面が大きいのが真実のようです。
ラスプーチンが「怪僧」として、ある意味エスケープゴートにされた理由は、
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・貴族とそれ以外の身分で大きな差があったロシアにおいて、
・聖職者とはいえ、農村出身という身分ののラスプーチンが、
・皇帝と皇后に取り入って宮廷内で大きな顔をし始めたこと。
が、原因でしょう。
そして第一次世界大戦に参戦するかどうかで反戦派に属したため、参戦派から暗殺の対象となったわけです。
そしてラスプーチンを邪魔に思っていた派閥の一つとして、皇帝や帝政に対して反対している人々からも、都合の良い悪の象徴として、死んだ後も利用されたように感じました。
まとめ
「怪僧」とあだ名されたラスプーチン。
ロシア、ロマノフ王朝を滅ぼした人物と言われ、死後も現代において多くの作品で悪役として使われている、ある意味人気のあるキャラクターです。
が、実際にその人物像や歴史背景を調べてみると、それほどひどい圧政をした人物ではない、というのが正直な感想でした。
確かに絶倫の好色家であったようですし、暗殺された際、普通ならそれでこと切れてしまうような傷を負ってもなかなか絶命しなかったというエピソードから、「怪僧」と言われても仕方がないかも、と思うところもありました。
が、例えば中国史で登場する、皇帝の権力を利用して国を傾けた、もしくは国を滅ぼした、というような悪人に比べれば、国民を飢えさせたというレベルほどの悪どいことはしていません。
また、物欲には無頓着だったようで、手に入れた金品はすぐに人に配ってしまう一面もあったようです。
革命が起きてロマノフ王朝が終わったのは、ラスプーチン一人の責任というよりは、時代の流れという部分のほうが大きいですし、ニコライ二世という皇帝の性格も、この激動の時代にソフトランディングを可能にするほどの能力もあったとは思えません。
本当に、彼の政敵やその後の革命後の政府によって意図的に悪名を高められてしまった人物のように感じました。
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