25年の月日をへて、映画「ライオンキング」が実写化で蘇ります。
実際は、一匹の動物も撮影に使用しておらず、1シーン以外はすべてCGで作り上げた、ある意味アニメーションとも言えるリメイク作品です。
実際、映画を見てみると驚くべきリアルさで、実際の動物を使って撮影をしていないことが信じられないくらいでしたね。
動物だけではなく、アフリカでの撮影すら行っていませんので、背景もすべてCG。
ですが、その素晴らしく美しい映像とは裏腹に、映画自体の評判はあまり芳しいものではありません。
今回はその紹介と、失敗作と酷評されている理由について考察していきたいと思います。
実写版ライオンキングの評判は?
実写版ライオンキングの評判ですが、実はそれほど悪くありません。
北米では7/19に公開され、8/4の時点で全世界の興行収入金額は12億ドルを超えています。
12億ドルは1ドル105円で日本円換算すると、1260億円!
この数字はまだ、日本が含まれていませんので、一体どれくらいに伸びるのやら、という感じです。
映画評論サイトの評価を見てみても、
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IMBD:10点満点中 7.2点
ロトントマト:視聴者評価 88% 全体 53%
となっています。
ここで興味深いのはロトントマトの評価でしょう。
映画を実際に見た人の評価は88%と高評価を獲得しているのに対し、全体では53%とかなり低い評価。
この理由を考えると、ディズニーが推し進めているクラシックヒットアニメシリーズの実写化に対して、かなりの人々、ほぼ半分近くの人々が反対し、映画すら見ない、とボイコットしていることが読み取れます。
その証拠として実写版「アラジン」の評価を見てみますと、
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視聴者評価 94% 全体 56%
という数字になっています。
映画を見た人はほとんど、大満足で映画館を後にしたことが伺いしれますが、それでも全体では56%という評価しか獲得していません。
おそらくこれまでのクラシックヒットアニメの実写化で、実写に対して否定的な見方を持つ人がかなり多く存在することがわかります。
驚くのは、映画ファンの半分から4割の人から嫌われているにも関わらず、「ライオンキング」は記録的な興行成績を記録し続けていること。
そこは「やはりディズニー」と言わざるを得ないと思います。
実写版ライオンキングは失敗作?酷評される理由を考察
実写版ライオンキングが失敗作だと感じている人が、かなり多いことがわかりました。
見ていない人を含めると半分弱の人が評価しておらず、実際に映画を見た人でも1割の人が評価していないことがわかります。
たった1割というかもしれませんが、これだけ興行的に成功しているということは分母の数も巨大ということです。
その10%の人々が「がっかりした」という評価を下したわけですから、「ほんのわずかな人たちが、」と言っていられないような気もします。
ではなぜ、ライオンキングが失敗作だと思われているのでしょうか?
その理由は3つあげられると思います。
オリジナルと同じつくり
実写版ライオンキングを見て思ったのは、あまりにオリジナルと同じ、ということでした。
ストーリーが同じというのはリメイクですので、仕方がありません。
ですが、コマ割りまでほとんど同じ、というのはどうなんでしょうか?
映画の最初のシーン、オリジナルアニメでも名場面の一つとして記憶に残っているシンバのお披露目の儀式。
実写版では、実際にはアフリカに存在しないハキリアリをそのまま映画に登場させるという選択をしてまで、オリジナルアニメと同じコマ割りで描きました。
(オリジナルアニメで見られる間違いと実写版でどうそれらを修正したかについてのまとめ記事はこちらをご覧ください。)
これがもし、オープニングだけなら良かったのかもしれませんが、その後、映画が進むに連れ、これも一緒、あれも一緒、となっていってしまいます。
手で描いていた2DからCGを使った3Dにしただけ。
それはオリジナルアニメの絵コンテをそのまま使ったのではないか、と思ってしまうほどです。
これではなんのためにリメイクを作ったのか、と感じてしまう人が出てきても仕方ありません。
映画に限らず、芸術の世界にはリメイクやカバーという方法で多くの作品が作られます。
有名な歌が他の歌手にカバーされて歌われるのはしょっちゅう見ますし、映画でもクラシックヒットのリメイク作品は多く見られます。
古いもので言えば、ミュージカル映画の最高傑作の一つ、ウエスト・サイド物語はシェークスピアのロミオとジュリエットのリメイクであるととは有名です。
が、実はシェークスピアのロミオとジュリエットも1世紀ごろローマ帝国で活躍した詩人、オウィディウスの「ピュラモスとティペス」をモチーフにして書かれているとされています。
この様に、リメイクは昔からよく使われていて、芸術の世界では技法にまで高められています。
が、コピーとは決定的に違うのは、その時代、その時代に合うようにアレンジがなされているから。
たとえば「ロミオとジュリエット」も1世紀のローマ帝国内で書かれた内容をそのままにはしていません。
嫌い合い、争い合う2つの家に属する若い男女が恋に落ちたら死ぬことでしか一緒になれない、という主題はそのままに、シェイクスピアの生きた時代に合わせた設定に修正されて物語となりました。
同じくウエスト・サイド物語もシェイクスピアの時代から現代のニューヨークに舞台を移し、啀み合う2家は縄張り争いをするギャングに変更されています。
リメイクの成功の要素の一つとして、このアレンジ、つまり修正が必要なわけです。
そういう意味で言えば、実写版アラジンのジャスミンのキャラ設定に関する修正は、とても良かったと僕は感じました。
ところが「ライオンキング」
この修正が効きにくい世界観を魅力にしている作品です。
ですので1994年の制作でも2019年の制作でも、時代にあった修正というものは必要がない、となってしまいました。
となると、「同じようなストーリーでリメイクを」は、まったく本当に同じストーリーとなってしまう結果となったのです。
そして視聴した人たちの何割かは、リメイクを作る意味があったのか?と感じる結果になったのでしょう。
リアリティを追求しすぎ
ストーリー上で大きな変化をつけることができない以上、何かしら別の売りを作り上げなくてはいけません。
で、ないならば、わざわざ見に来ようという思いを、観客に起こさせない事になってしまいます。
そこで制作スタッフが落ちつたのが「リアリティ」
CG技術を駆使して実写化するライオンキングにはピッタリの売りになりました。
が、そこに大きな落とし穴があったのです。
映画という映像を使って表現をするもの、とくにアニメーションという架空の世界を描き出す場合、視覚から観客が感じ取る情報というのは、とても重要になってきます。
目で見て感じ取る情報は、耳で聞いた言語情報よりも強力で、例えば皮肉などは言葉だけよりも皮肉を言った人の表情があると、より効果的に意味が通じますよね。
人気の高いアナウンサーのインタビュー記事で、ニュースキャスターの際に気をつけていた体の動きがあったというものを読んだ記憶があります。
カメラがアナウンサー一人によって写しているときは動きは少なめでもいいが、スタジオ全体を撮る場合などは、画面に写っている一人ひとりの大きさが小さくなるので、大きな動きをして視聴者の目を引くようにした、と。
また、戦隊モノなどではヒーローが変身した後、顔の表情を視聴者に見せられなくなった後には特に、動きをオーバーにしてアクションシーンを演出しています。
それほど、視覚から入ってくる情報というものは、キャラクターの心理や思いを読み取るのにとても重要な役割を果たしています。
チャーリー・チャップリンの初期の映画、無音映画でのチャップリンの動きは、極端なくらい大きくわざとらしい動きをしていますが、セリフを使えない状況で、人々にキャラクターの心情を伝えるための、役者としてのテクニックなのです。
さらに、ピクサーをアニメーションスタジオとして世界トップクラスにまでしたジョン・ラセターは、インタビューの中で修行中にアニメとは何か、をこの様に教わったと語っていました。
良いアニメーションは音を消し、映像を見ているだけでもキャラクターの心情が見ている人に伝わらないといけない、と。
この考えが一番強く作品に現れているのが「カールじいさんの空飛ぶ家」
見たことのある人は冒頭の15分を思い出してください。
カールとエリーが結婚してから、まったくセリフがないシーンが続きました。
が、そのあいだ、カールとエリーがどんな気持ちでいたのか。
そのことが自然と理解できる視聴者は二人の気持ちに共感し、ストーリーにのめり込んでいかざるを得なくなってしまいます。
オリジナルアニメのライオンキングも例外ではありません。
どのシーンを無音で見ても、キャラクターの表情からどのような心情でいるのかが、手にとるようにわかると思います。
では、実写版のライオンキングはどうでしょうか?
スカーがシンバとムファサを罠に落とすために、シンバを渓谷に連れ出したとき、二人でしていた会話のシーンを無音で見て、彼らの心情がどうであるか、伝わりますか?
ハクナ・マタタのシーンで、3人が音楽に乗って行進しているシーン。
シンバがどんどん大きくなっていきますが、どの大きさのシンバも、楽しく過ごしていることが読み取れます。
同じシーンを実写版で見た際、あの3人がどんな思いで歩いているのか、感じることができたでしょうか?
実写版の美しさ、リアリティは見事なものです。
それを作り上げたスタッフの努力は、とてつもないものだったでしょう。
ですが、残念ながら、その努力による見事な結果が、アニメーションとして最も重要なものを完全に消し去ってしまいました。
それは映画を見た誰もが真っ先に気がつくほど明確なもので、その喪失感をとても大きく感じた人たちが多くいたことでしょう。
ディズニーはプラネットアースという野生動物のドキュメンタリー映画をいくつも制作・公開しています。
とあるライオンキングファンは、実写版のことを
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プラネットアースと何が違うのか!
と憤慨していました。
僕もその意見に大いに賛成です。
実写化を推し進めすぎ
「ライオンキング」が興行的に大成功を収めています。
この前の実写化映画は「アラジン」で、こちらも大ヒットを記録しました。
企業として、利益を追求しなくてはならないディズニーのマーケティング戦略は大当たりした恰好です。
ですが、ディズニーファンの中には、実写版に対して、
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「もう十分」
「またか…」
という思いを抱く人達が少なくありません。
実写版を作り上げていく上で、全てが大ヒットし、否定的な意見が出ないのであれば、実写版シリーズを作り続けるのは正解だと思います。
が、一つでも失敗作、もしくは満足させられなかった作品が出てしまえば、おそらくそのファンは今後、実写版を見よう、という気にはならないでしょう。
実写版が成功している理由はノスタルジーです。
あの大好きだった作品が実写版になって帰ってくる、という思いです。
だからこそ、みたい、とおもうのですが、実写版によって自分が持っていた美しい過去が一度でも壊されてしまったら、二度と実写版を見ようという勇気は出なくなるでしょう。
どの作品で失敗があった、という意味で言っているのではなく、それぞれのファンが、どこかの作品で、失敗だったという感想を抱いてしまう可能性が、シリーズが続くに従って増える可能性が上がっていくことを言いたいのです。
一度でも否定的な感情を、実写化に持ってしまえば、その後の作品を見に行こうという気にはならなくなります。
それがどんな作品であっても。
人々が期待していレベルの実写化作品を世に出せなかった時点で、実写版を見るのはよそう、自分が好きなアニメーションバージョンをもう一度見よう、というほうにシフトしてしまう可能性が高いと思うのです。
そして、ディズニーは実写化を更に進めていくことを発表しています。
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ムーラン、リトルマーメイド、ノートルダムの鐘。
これらの作品を、ライオンキングで粉々になるくらい失望したファンが、実写版を見に行こうとは思わないでしょう。
逆に、今度はどれだけ、子供の頃の思い出を壊すような作品になったのだろう、と恐れてしまうと思うのです。
そして、ライオンキングですら、すでに多く発表されてきた実写化作品の負のイメージの餌食となり、ライオンキングでとどめを刺されることになったファンによる否定的な意見によって、すでに実写化に反対しているファンは、見ていなくて「ほら、見たことか。自分たちの実写化に対する思いは正しかった。」と声を上げるという被害にあっていると思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
おそらくこれらの理由が、「ライオンキング」が酷評されている理由だと思います。
僕自身も7/19に映画館で見ましたが、2度めを見る必要はないな、と今でも感じています。
よっぽどオリジナルアニメのほうが、見てみたいですし、子供にも見せたいと思います。
まぁ、個人のテイストによって好き嫌いがあり、全員が全員、「ライオンキング」がひどい映画だ、と思っているわけではありません。
ただ、ディズニーという多くのファンのいる作品であり、2Dアニメーション映画として今も破られることのない記録的な成功を収めている作品でもあるので、好きな人達の声も、嫌いな人たちの声も、ボリュームが大きくなってしまうのは仕方がないのかもしれません。
それがディズニー作品の宿命であり、ディズニーだから注目度が増す、という長所とのセットとして、受け入れなければならない欠点なのでしょうね。
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コメント
私はリアルさを追求した素晴らしい映画だと感じました。
表情豊かなものを見たいのであればアニメ版を鑑賞すればいいだけです。
リアルにすることで我々が見ている世界の、現実の生き物たちが本当に感情を持っているような感覚になれると思うんですね。
それと、トマトの評価はあてになりません。あのサイトは、ほかのレビューサイトと逆の評価になっていることが多々あります。
ほとんどのレビューサイトでは、みな口をそろえて「リアルですごかった」と同様の反応を示しています。
つまり、中途半端にリアルにしてしまっていたら、おそらくさらに評価が低かったでしょう。
はくなさん、コメント、ありがとうございます!
はくなさんは実写版ライオンキングをとても楽しめたようで、とても良かったと思います。
映画の評価というものは、個人ひとりひとりで大きく異なるものだと思っています。
ですので、世間の評価がどうであろうと、自分が楽しめたのであれば、それは「いい映画」だと思うのです。
僕個人でもラジー賞を受賞した映画でも気に入っているものもありますし、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を受賞した作品でも、僕個人には大したことのない映画もあります。
実写版ライオンキングについては、僕個人はどちらかというと楽しめなかった部類に入る作品です。
そしてなぜ楽しめなかったかを考えると、世間で言われている失敗作の原因だとされる点で多くの納得をしたので、それを記事にさせていただきました。
一番嬉しいのは、はくなさんがご自身の意見を僕のブログにコメントしていただけたことで、これも映画を楽しむのにとても重要な要素だと思っています。
それによって気が付かされる、僕にとっての新しい発見もありますので。
本当にありがとうございました!