映画ミラベルと魔法だらけの家のペドロがカシータとして生きている可能性を考察

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映画「ミラベルと魔法だらけの家」ではカシータという不思議な家が登場します。

言葉は発しませんが、窓や屋根、石畳等を動かして意志を伝え、様々な形で家族達の生活をサポートしている魔法の家です。

このカシータですが、作中のアルマの思い出話の中で、自らの命と引き換えにアルマと三つ子、そしていっしょに逃避行をしていた人々を救ったペドロと関係はないのでしょうか?

亡くなったペドロの家族を思う気持ちがカシータとして蘇り、生きている。

そんな可能性を考察していきたいと思います。







映画「ミラベルと魔法だらけの家」のカシータはペドロの生まれ変わり?

カシータが出来上がったのはペドロが自らの命を犠牲にした直後。

ろうそくの魔法によって追手の兵士達が吹き飛ばされ、他の地域との交流を遮断する為の山々が隆起しました。

そしてペドロを失ったアルマたちのために、カシータが出来上がります。


この一連の流れを見てみると亡くなったペドロの思いがカシータに引き継がれている可能性は十分にあると思われます。

つまりカシータはペドロの生まれ変わり、といってもいいのではないでしょうか。

ペドロがカシータとして生きていると考えられる理由

ペドロがカシータとして生きていると考えられる理由。

それはこれから上げる3つことを考えると、より説得力が増すと思います。

その3つとは、

    ・映画「ミラベルと魔法だらけの家」で描かれる蝶の存在
    ・ミラベルとアルマが仲直りする際の流れる曲「2匹のオルギータス」
    ・魔法が消え、カシータが崩れる前に見せたカシータの行動

です。

それではひとつずつ、詳しく見ていきましょう。

映画「ミラベルと魔法だらけの家」では蝶が重要

映画「ミラベルと魔法だらけの家」では、実は蝶が重要なキーワードとして描かれています。

まず、アルマとペドロが初めて出会った夜の描写。

二人がお互いの存在に気が付くのは、たまたま飛んでいた黄色の蝶に気が付いたペドロが、視線を合わせたことで起こりました。

つまり、黄色の超が二人にとってのキューピッドといってもいいと思います。


更にミラベルの着ている服に蝶の刺繍がされていますし、アルマも腰に蝶のブローチを常に付けているのでした。

そしてミラベルとアルマが仲直りをしてハグしている時、黄色の蝶の大群が二人を祝福するかのように飛んできます。


また、映画とは異なりますが、ミラベルをモデルにした人形のおもちゃで、彼女と黄色の蝶がセットになっている物も見つかるほど。

これは明らかに黄色の蝶がミラベルにとって特別な存在であることを示しているのだと思いました。


そしてアカデミー賞の歌曲賞、ゴールデングローブ賞の主題歌賞にノミネートしたほどのヒット曲となった「2匹のオルギータス」

「オルギータス」とはスペイン語でイモムシのことを指しますが、この曲の歌詞にこそ、ペドロがカシータとして生きているのでは、と考えさせられるメッセージが込められていたのでした。

「2匹のオルギータス」のスペイン語歌詞から

「2匹のオルギータス」はアルマとペドロをイモムシに例え、ゆっくりといっしょに幸せになっていこう、という思いを歌い上げた曲となっています。

そんな曲の中でサビとなるスペイン語の詩が、とても意味深なものとなっていました。

日本語訳すると、

    「成長をするために離れ離れになる」

というものです。

これは、まさにペドロがアルマと別れて自身を犠牲にしてしまうシーンを指していると思えるのです。


その後、このような歌詞があります。

    「サナギになってそれぞれの世界で待っている」

これはアルマがペドロと死に別れ、次に再会をするまでサナギのまま待っている、という意味にとらえました。

アルマはペドロが死に、カシータが誕生してそこで三つ子とともに住むことになった翌朝、黒のショールを纏い、現実に立ち向かい始めます。

そして三つ子が成長し、その子供、アルマにとっては孫が生まれて育った後も、黒のショールを着続けているのです。

この間、アルマは家族を守るために全く変わることなく、家族を第一に考えて行動をしてきました。

まさにサナギのように、丸っきり外見を変えることなく、ずっと待っていたのです。


一方ペドロはというと、死んでしまったことで「サナギになった」と考えるのは少し納得がいかないと思ってしまいました。

死んでしまったままであれば、変化を待って「サナギから蝶になる」というような比喩には当てはまらないと感じたからです。

それよりも死んでしまったことで、魔法によってカシータという「サナギになった」のであれば、よりしっくりいくのではないでしょうか。


また、曲はその後、「変化することを恐れている」という歌詞が出てきます。

これは、アルマが家族を大切にしたい、守りたい、という思いが強すぎて「理想の姿以外は認めない」となってしまった部分と重なるように思えます。

一方カシータは、ミラベルに魔法を授けなかったことで、変化を起こし、アルマにサナギから出る時期が来たことを暗に示したのではないか、と感じました。

カシータが崩れる前の行動

ミラベルが魔法をさずからなかったのは、おそらくアルマの地位をミラベルが継ぐ為であったと思っています。

それは、アルマがサナギから蝶に変化する時期が近づいてきていることと同じでした。

しかし変化を恐れたアルマの思いが災いして魔法が消えてしまうという事態になってしまいます。

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ろうそくの魔法が消えてしまうとカシータも力を失いってしまいます。

そんな崩壊の危険の中、カシータはミラベルが魔法のろうそくを確保できるようにできる限りの手助けをしたのでした。

最後に、ミラベルを落石から守るために、可能な限りの物を集めてガードしています。


しかし、ここで面白い描写だと思えるのは、ろうそくを避難させようとしていたのはミラベルだけではない、ということです。

イザベラやカミロもろうそくを取ろうとしますが、カシータによって邪魔をされてしまっているのでした。

そして最後には、ミラベルを除くマドリガル家の人々はカシータによって家の外に出されてしまいます。


カシータがペドロだとして、家族であるマドリガル家の人々の安全を考慮し、全員を外に出したのでしょう。

そしてミラベルだけは、新しい長としての責務をまっとうさせようと、危険からできるだけミラベルのみを守りつつ、ろうそくを確保するように手助けしたのでした。


ちなみに、この崩壊がペドロ=カシータのサナギから蝶への変化の過程、と考えることはできないでしょうか。

完全にがれきと化したカシータでしたが、その後、ミラベルが魔法を復活させたことで新しく蘇りました。

これをサナギであったカシータが蝶になった、と見ることができると思います。

考察のまとめ

映画「ミラベルと魔法だらけの家」のカシータはペドロの思いが強く生きる家だと思われます。

映画のキーワードである蝶。

「2匹のオルギータス」の歌詞にあるように、アルマとペドロという二つのサナギが最終的に蝶になるという過程が見事に描かれていました。

そして二人が蝶になるために、ミラベルが大きな役割をになっており、彼女がアルマの地位を継ぐことで、アルマとペドロが蝶になったと言えると思います。

映画「ミラベルと魔法だらけの家」を動画配信サービスで視聴する方法

映画「ミラベルと魔法だらけの家」はディズニーが行っている動画配信サービス「Disney+ (ディズニープラス)」でご覧いただけます。

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