地獄楽・民谷巌鉄斎の八州無双の意味とは?剣の流儀の考察も

アニメ「地獄楽」に登場する死罪人「民谷巌鉄斎」

とんでもない腕を持つ剣豪として描かれており、「剣龍」「八州無双」と讃えられています。

この敬称としての「剣龍」「八州無双」の意味はどうしてつけられてのでしょうか?

今回はこの疑問に関して解説していきたいと思います。







民谷巌鉄斎の異名「剣龍」「八州無双」の意味とは?

民谷巌鉄斎は、その持ち前の豪快で強い剣術の腕前のために「剣龍」もしくは「八州無双」と呼ばれて、讃えられていました。

果たしてその意味とは、いったいどういう意味だったのでしょう?

「剣龍」の意味は龍のごとき剣術家という意味

「剣龍」という讃え文句ですが、実際には「剣龍」という単語は存在しません。

辞書で引いたとしても載っていない、造語ということになります。

ですので、使われている漢字から、なぜ人はそのような言葉を作り出して、民谷を讃えるようになったのか、と考察してみたいと思います。


民谷の見た目はシンプルに大柄で力強そうな体格をしています。

性格も豪快で、細かなことを気にせず、という感じですので、おそらく剣術もシンプルに相手を打たっ切きっていく、という感じなのでしょう。


このイメージから「龍のごとき剣術使い」というあだ名で呼ばれるようになり、「剣龍」と讃えられるようになったのではないでしょうか。

人々は単純に強いものにあこがれを持つものですし、たとえ嫌っていたとしても、強いことには変わりはないので、その強さを認めないわけにはいきません。

民谷のことを嫌っていた人々が、その強さを苦々しく思いながら「剣龍」と呼んでいた、という場面も考えられるのではないでしょうか。

八州は「関八州」を指している

「八州無双」の「無双」については詳しい説明はいらないと思います。

「双つと無い」、つまり唯一の存在という意味です。


それでは「八州」とはどのような意味があるのでしょうか?

これは日本において「八州」といった場合、「関八州」のことを指しています。

つまり関東のこと。

奈良時代以来、坂東と呼ばれてきた8か国、

    ・相模国
     (神奈川県のうち川崎市・横浜市を除いた地域)
    ・武蔵国
     (旧中葛飾郡を除く埼玉県全域、東京都、神奈川県の川崎市と横浜市)
    ・安房国
     (千葉県館山市・南房総市・安房郡鋸南町の全域と四方木を除く鴨川市の大部分)
    ・上総国
     (安房国に属する以外の千葉県南部から中部にかけて)
    ・下総国
     (千葉県北部と茨城県西部を主たる領域)
    ・常陸国
     (茨城県の南西部を除いた地域)
    ・上野国
     (おおむね現在の群馬県)
    ・下野国
     (おおむね現在の栃木県)

のことを関八州と呼びます。


民谷巌鉄斎は、

    関東一円に敵がいないほどの剣術名人である

、ということで「八州無双」という呼ばれ方で讃えられていた、ということになるのでした。







民谷巌鉄斎の剣の流儀についての考察

ところで民谷巌鉄斎の剣術は、どの流派に属しているのでしょうか?

戦国期から始まり、江戸期を経て幕末にかけ、有名な剣の流儀が建てられました。

有名どころでいえば小野一刀流や北辰一刀流に代表されるような一刀流。

心形刀流や念流など、多種多様な流儀がありました。

民谷巌鉄斎の剣の流派はいったいなんなのでしょうか?

アニメの描写から我流ではないかと推測される

民谷巌鉄斎は自身の剣の流派について明言をしていません。

これは彼の性格からすると、少しおかしいように感じました。


自分の強さに対する顕示欲は人一番の民谷。

そんな彼であれば流派を高らかに宣言して自分にハクを付けようとするほうが自然だと思います。

自分が学んだ流派が万人に知られている大流派であったり、耳に響きのいい名前であればなおさらでしょう。


しかし、実際は民谷は自身の剣の流儀を宣言することはありません。

山田浅ェ門という剣術流派を修行している監視役がいるにもかかわらず、です。

民谷の性格からすれば流儀をひけらかし、対抗意識むき出しにするほうが自然なはずなのに。


ここから考えられるのは、民谷の剣術は我流で、正式な流派の目録や免許皆伝等を受けていないのではないか、という疑問でした。

歴史的に農民・町人の間に多くの新興流派ができていた

そんな我流の剣術が簡単にできるのか?と思うかもしれません。

しかし調べてみると歴史上、農民や町人の間に新興流派が誕生していたことが分かっています。

甲源一刀流や神道無念流、柳剛流などが有名なところでしょう。

新選組で有名な天然理心流もそうと言えますし、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが京都に出て新選組を作る前に、地元の奥多摩で縄張り争いをしていた相手が柳剛流であったことが、司馬遼太郎の小説で描かれていました。


では、なぜ、農民や町人が新興流派を誕生させられたのでしょうか?

その理由は江戸時代の特徴にあったようです。

1.幕藩体制の確立期に、幕領や旗本領の陣屋支配が廃止され、武士の在地性が薄くなったため、農民の治安維持や取り締まりなどが主に村役人を中心とする村落共同体の任務とされたこと。

2.江戸時代中期から農業生産性が上がり、地主などの有力者が農耕以外に時間を使う余裕が生まれたこと。

3.江戸中期以降、農民内の階級分けがはっきりしだした。それにより、一揆がおきた場合、富農である有力者は襲撃対象となる恐れが高まり、その対抗策として自衛手段を講じなければならなくなったこと。

などが、上げられます。


ですので、民谷が何らかのほかの流派の剣術を学んでいたとして、それ以上に彼自身の才能で剣の腕が上がっていったとしたなら、もともと習っていた流派の稽古や型など、全く訓練することはなくなったと思われます。

そして自身が一番使いやすい、剣を操る方法を実戦メインで体得していった可能性が高いのではないでしょうか。

そうして、自分の流派を作り出せれば、それを声高らかに宣言していたでしょうが、そこまで考えがまとまっていなかったのだと思います。

以上が民谷の剣術が我流であると考察する理由でした。

まとめ

民谷巌鉄斎をたたえる「剣龍」「八州無双」の意味と彼の剣の流派について考察してみました。

「剣龍」とは豪快な剣の使い方で戦いを勝ち抜いてきたイメージを言葉にしたもの。

「八州無双」は「関東8州に並び立つ敵はいないほどの強者」という意味でした。


民谷巌鉄斎の剣術流派ですが、彼が高らかに宣言をしていないところを見ると、我流ではないか、と疑いを持ってしまいます。

彼の性格上、もし何らかの流派の免許皆伝者であれば、確実に宣言しているはずだからです。

しかも声高らかに。、


それがないということは、我流で腕を磨いてきたに違いありません。

そして我流の剣術に響きのかっこいい名前を付ければ良かったのでしょうが、なぜかそれをしなかった。

だから自身の流派について宣言していないと考えられるのでした。









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