映画「MINAMATAミナマタ」は1970年代に起こった熊本県の水俣で起こった工場排水による水銀中毒公害事件を扱った映画です。
水俣病は日本の高度成長期に起きた四大公害の一つとして学校でも習うほど有名な公害事件ですが、実はその解決にはアメリカ人写真家の撮影した写真が大きくかかわっていた、ということがわかる作品となっています。
今回はこの映画「MINAMATAミナマタ」の基本情報や予告動画やキャスト情報、そして映画のあらすじを分かりやすく紹介していきます。
映画「MINAMATAミナマタ」の基本情報
それでは映画「MINAMATAミナマタ」の詳細あらすじを紹介する前に、映画の基本情報と予告動画、そして登場人物の紹介をしておきます。
映画「MINAMATAミナマタ」の基本情報と予告動画
ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマ。
1971年、ニューヨーク。かつてアメリカを代表する写真家と称えられたユージン・スミスは、現在は酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。
そこで彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側という信じられない光景だった。
衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンだったが、やがて自らも危険にさらされてしまう。
追い詰められた彼は水俣病と共に生きる人々に、あることを提案。
ユージンが撮影した写真は、彼自身の人生と世界を変えることになる。
「ラブ・アクチュアリー」のビル・ナイが共演し、日本からは真田広之、國村隼、美波らが参加。坂本龍一が音楽を手がけた。引用:映画ドットコム
映画「MINAMATAミナマタ」の搭乗人物紹介
続いて登場人物紹介です。
ユージン・スミス
世界的有名な写真家。
アイリーンのからの依頼で水俣で起こっている公害被害の写真を撮影することになる。
演じるのはジョニー・ディップ。
アイリーン
アメリカに住む日本人翻訳者。
仕事でユジーンと出会い、彼に水俣で起こっている公害被害の写真を撮影するように頼み込む。
演じるのは美波。
ヤマザキ・ミツオ
ミナマタで化学会社チッソの工場による公害被害に対する反対運動をしている地元住民のリーダー。
演じるのは真田広之。
ノジマ・ジュンイチ
水俣で公害被害を出している化学会社チッソの社長。
演じるのは國村準。
映画「MINAMATAミナマタ」の見どころ紹介
映画「MINAMATAミナマタ」の見どころは、なんといっても水俣病に犯された犠牲者の姿を映像を通して見られることにあると思います。
先にも書きましたが、水俣病はとても有名ですが、有名であるだけに詳しい内容はあまり知られていないのではないでしょうか。
学校でも習うほどですが、実際に僕自身が習った内容は公害によって多くの犠牲者が水銀中毒に犯された、というものでした。
そして裁判の結果、工場側に責任があることがはっきりとし、高度成長期の発展の陰で利益最重視で環境のことを考えずにいた日本があったことも習いました。
しかしその内容の詳細は、学校では教えてくれなかったですし、自分でも調べることもありませんでしたから、正直この映画を見て、驚いた部分が有ったのが事実です。
映画を見ることでより詳しいことを知りたいと思う気持ちになれたこと、そして実際に調べてみてただ単なる公害というだけでなく、別の問題もあったということが分かったことはとても貴重だと思いました。
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映画「MINAMATAミナマタ」ネタバレあらすじを分かりやすく解説
それでは映画「MINAMATAミナマタ」のネタバレ有のあらすじを分かりやすくお届けします。
起・ユージンとアイリーンの出会い
1971年、すでに写真家としての高い評価を受けていたユージン・スミス。
第二次世界大戦にも従軍し、戦場の写真を撮影して発表していました。
戦後は時の大事件をメインにした写真よりも、日常にひそむ人間性の追求や人間の生活の表情などを被写体として撮影。
そういった写真を、雑誌「ライフ」上に「フォト・エッセイ」という形で掲載していました。
が、年を取るにつれ、写真を撮る情熱が失われつつあり、ライフ編集長のロバート・ヘイズにたいして引退を口にするようになっていました。
そんな折、富士フィルムのCMの仕事を受けたことで、彼の家に撮影班がやってきます。
そしてそこには通訳者としてアイリーンと名乗る女性が同行していました。
30歳近く年の離れたアイリーンはユージンのことは有名な写真家、くらいにしか知らず、作品も鑑賞したことがありません。
CMのセリフで彼にカラー写真について語らせるのですが、彼自身、白黒でしか写真を撮影したことがなく、このことはユージン・スミスのファンの間では周知となっていることすら知らない、というすれ違いを見せるのでした。
CM撮影が終了したのち、ジャズバーへ行くことになります。
そこでユージンはアイリーンに撮影に対する情熱を語り、真剣な表情を見せるのでした。
アイリーンはユージンを部屋まで送ります。
そして分かれの際に日本の熊本県水俣で起こっている、化学工場からの公害による地域住民の健康被害を撮影して世界中に発表してほしい、という願いを聞くことになるのでした。
その時は興味を示さなかったユージンですが、そんなユジーンに水俣に関する資料の入った封筒を手渡します。
ユージンは中身を確認せず、机の上に放り投げてしまいます。
が、その夜ベッドに入った後、戦争の記憶のため、寝付けずにいたユージンはアイリーンから渡された資料を、暇つぶし程度に考えて目を通し始めるのでした。
一度資料を読み始めると、ユージンは興味を惹かれてしまい、読むことを止めることができなくなります。
結局朝が明けるまで資料を隅々まで読んだユージンは再びライフ編集部をおとずれ、日本に撮影旅行をさせてほしいと頼み込むのでした。
最近のユージンの仕事ぶりに疑問を抱いていたロバートでしたが、固く約束を守らせることを条件に、ユージンの撮影旅行を許すのでした。
承・水俣へ
アイリーンとともに水俣にやってきたユージン。
そこで重度の胎児性水俣病患者の長女アキコを持つマツムラ家に厄介になることにします。
家族は食事だけでも5時間かかるアキコの世話にとても疲弊しており、どうしたらいいのか、誰に助けを求めたらいいのか、分からなくなっていました。
そんな中、世界に彼らの苦しみを発信してくれるかもしれないユージンとアイリーンの登場に喜ぶものの、一家の長であるタツオ自身、チッソの工場で運転手として働いている立場であることに困惑していたのです。
またユージンがアキコを被写体に写真を撮影したいと申し出ても、世間体を気にして、
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「それだけは勘弁してほしい」
と断られてしまうのでした。
翌朝、近所を歩き回り、撮影をするユージンでしたが、やはり多くの人は顔バレするような写真の被写体になることは嫌がるという現実に直面します。
周りの協力が得られないことでユージンはやる気をそがれ、以前から多くなっていた飲酒をさらに繰り返して酔っぱらい、ついには自分のカメラを水俣病患者の少年で撮影に興味を持ったシゲルにあげてしまうのでした。
しかしユージンの登場に期待を持つ人物もいないわけではありません。
自身でもビデオで患者を含めた水俣の漁村の様子を撮影していたキヨシがユージンの撮影のために写真現像用の暗室を作成します。
また、ユージンとアイリーン、そしてキヨシは水俣病患者が大勢入院しているチッソ工場の附属病院内部に潜入して多くの患者の写真を収め、話を聞くことに成功しました。
そして病院内部で水俣病の原因が水銀中毒であるということが判明している報告書のコピーも入手します。
一方で、チッソ側もユージンという世界的に名の通った写真家が水俣に来たことを察知します。
社長であるノジマ・ジュンイチはユージンを工場内に招き入れ、チッソはわずかな人数の地元漁師に痛みを与えているかもしれないが、それ以上の日本全国の人々に大きな恩恵を与えているという主張をユジーンに説明するのでした。
が、ユージンはその主張に賛成することはありません。
そこで大金を渡し、この件から手を引くように裏取引をしようともします。
が、ユージンはその申し出を断り、工場と敵対することを宣言するのでした。
チッソの反対派切り崩し作戦で地元の人々を分断させようとしていました。
長年にわたるチッソ側との闘争で今でも精力的に反対運動を繰り広げているリーダー、ヤマザキ・ミツオもいましたが、中にはチッソ側の示した和解金を手にして終わりにしたい、と考える人も存在していたのです。
そしてチッソ側の入れ知恵かどうかはわかりませんが、すでに亡くなった人達の委任状を偽装して、工場側との和解をしてもいいと考える一派の勢力を大きく見せようとしていたのでした。
さらにヤマザキ家に夜、突然警官が現れ、家宅捜査と称して家の中を荒らす嫌がらせ行為をされたこともありました。
こういった嫌がらせの現場にユージンも居合わせたことで、反対派の人たちと一緒にチッソのしている悪事を世の中に知らしめたい、という気持ちを強くしていきます。
マツムラ家でアキコの面倒をユージン一人で見る機会もあったことで患者とも心を通わせる瞬間を体験することができました。
こうしてユージンは地元の人々との絆を深めていき、精力的に写真を撮影して現像することに没頭していきます。
その間、食事もとらず、酒だけを飲んでいたため、常に酔っぱらっているような状態でしたが、それでも作業の力量は衰えませんでした。
そんなユージンを見ていたアイリーンは日が経つにつれ、ユージンへの思いを強くしていきます。
しかしそんなとき、ある晩のこと、暗室が何者かに放火される事件が起きてしまうのでした。
転・地元の人々との絆、そして闘争
暗室が火事になっていることに気が付いたユージンは急いで駆け付けます。
すでに火の手は大きくなっており、中に入ってフィルムのネガだけでも救おうとしますが、すでに手遅れになってしまっていました。
地元の人々も駆けつけ、消火作業をしてくれますが、写真やフィルムはあきらめるしかない状況になってしまったのです。
あまりのショックに酔っぱらったままニューヨークに電話をかけ、ロバートに泣き言をいうユージンでしたが、翌日にはヤマザキ以下反対派の人々が集まる集会に参加し、もう一度、改めて正式に彼らの家族で水俣病にかかっている患者を撮影をさせてほしいと訴えます。
それまで世間体を気にして、自身の家族の患者が人前にさらされることは頑として反対していた人々が、ユージンになら写真を撮ってほしい、と協力を申し出てくれるのでした。
この日よりユージンはさらに衝撃的な写真を撮影していくことになります。
そして3月7日の株主総会の日を迎えるのでした。
この日は、工場の前に反対派が大勢詰めかけて抗議行動を行っており、工場側も工員たちがフェンス越しに大勢集まっていました。
互いのののしり合いがエスカレートしていき、ついには発煙筒が投げ込まれます。
そして工場の外に出てきた工員達と反対派の人たちの間で乱闘が起きてしまうのでした。
その乱闘のどさくさに紛れて、ユージンも被害を受けてしまいます。
複数の工員に捕まり激しい暴行を加えられ、地面に倒れこんでしまうのでした。
その後、乱闘は収まりますがユージンはどのくらいその場に放置されていたのか、分かりません。
救急車によってチッソの付属病院に運ばれ、手当てがされたことで一命はとりとめるのでした。
病室で休んでいたユージンのもとに、一人の男性が近づきます。
暴行を受けた後のユージンは見知らぬ男性に対して恐怖を感じますが、その男性はユージンに起こったことを謝罪し、持っていた大きめの封筒を手渡して足早に去っていくのでした。
行方不明となっていたユージンの居場所をようやく知って、アイリーンが病室に駆け込んできます。
ユージンが無事なことを確認すると、安堵するアイリーンでしたが、二人は封筒の中身が気になり、確かめてみることにしました。
するとそこには、暗室に保管してあった写真のネガが入っていたのです。
どうやら、放火をした犯人の中に、秘密裏にネガが破壊されないように確保しておいてくれた人がいたのでした。
ユージンはこれらのネガからいくつもの写真を現像し、「ライフ」誌編集部に送ることができたのでした。
また、マツムラ家ではアキコの両親がアキコの撮影にようやく賛成してくれていました。
怪我の治りきらないユージンでしたが、この時ようやく、胎児性水俣病のアキコを母親が抱いて入浴する、世界的にも有名な「入浴するアキコ(本名は智子)と母」を撮影することになったのです。
後日ニューヨークのロバートのもとに、ユージンからの多くの写真と記事原稿が送られてきました。
その写真をみたロバートは、あまりの衝撃的な写真の数々に、しばし息をのんで驚愕しながら見つめる以外できなかったのです。
結・写真によって勝ち取った勝訴
こうして「ライフ」誌に水俣病のと水俣の公害問題が掲載され、世界中に発信されました。
世界的な注目を浴び、世論は一気にチッソ側に不利なものとなります。
このような状況では、チッソ側は反対派の人たちの要望を飲んでの和解をする以外にありませんでした。
とはいえ、会社として払いきれる限度金額というものもあり、それを超えての賠償は不可能という態度だけは崩しません。
水俣病犠牲者にとって相手が間違いを認めても、それで戦いが終わったわけではないという現実が突き付けられたのでした。
住民側が起こした裁判での判決が下ります。
結果は勝訴。
これにはユージンが撮影し、「ライフ」誌によって世界に発信されたことも大きく影響していたのです。
映画はその後の展開を字幕で説明し、終わります。
1973年春に、チッソは全責任を認め、水俣病患者に対し賠償と治療費の全額負担に合意しました。
これは日本の裁判史上、これまでにない最高額の賠償金額となったのでした。
この判決を受け、被害者は救済されたかに見えましたが、本質的にはチッソも国も良心的にも経済的にも完全なる保障を行うことにはつながりませんでした。
2013年、当時首相であった安倍晋三氏は、まだ多くの苦しんでいる水俣病患者が生存しているにもかかわらず、「日本は水銀による被害を克服した」という発言をして問題となりました。
ユージンの写真は1972年12月29日号のライフ誌で発表されました。
「入浴する智子と母」はフォトジャーナリズムの歴史の中で、最も有名な写真の一枚に数えられるほどの評価を受けています。
ユージンとアイリーンは1971年8月28日に日本で結婚しています。
11978年10月15日にユージンは亡くなりました。
その原因の一つは、チッソ工場で受けた暴行の傷だったのです。
水俣で撮影した写真は、彼が生前に撮影した最後のものになったのでした。
アイリーンはその後も水俣問題に深くかかわり、今でも公害が関与している環境問題に取り組んでいます。
最後に簡単な感想
先にも記しましたが、水俣病は学校の教科書にも載っているほどの有名な公害事件で、僕自身も小学生のころから知っていました。
が、それは簡単な概要、それこそ教科書に載っていた数行で説明されたものだけで、映画を見るまでユージン・スミスという写真家が水俣病問題を世界的に知らしめたことなど、全く知りませんでした。
そういう意味で水俣病に関して自分なりに詳しく知りたいと思ったし、実際調べてみたので、そういったきっかけになる映画としての価値は高かったと思います。
しかし調べれば調べるほど、映画で語られていた事実は事実ではないことも分かり、映画自体が安っぽいものに感じられました。
起こった出来事は真実でも、実際に起こった日時が違っていたり、入れ替わっていたり、場所が違ったり。
実際に起こった出来事を映画のストーリーに合わせるように都合よく切り貼りした感は否めません。
また、ストーリー自体もよくある感じの話と思わざるを得ませんでした。
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・弱い立場の被害者
・世間体を気にする
・仲間割れもある
・主人公の部外者が助けに現れるも受け入れられない
・徐々に交流を深めていく
・主人公の力で世間からの注目が高くなる
・力を合わせて被害者たちが逆転する
実際に起きた話であり、エンターテイメントの世界の作られた物語ではないので、安っぽいヒーローもの、水戸黄門が登場する時代劇、みたいな内容になってしまうのは仕方がないのかもしれません。
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