アニメ「逃げ上手の若君」で主人公の北条時行は、摂津親鑑の娘、友子から積極的にアプローチされていました。
8歳の時行に対し、おそらく同じくらいの年だと思われます。
年上だとしても数歳程度で一回り上、ということはないでしょう。
鎌倉幕府滅亡の際に友子は死んでしまいますが、もし鎌倉幕府が無事存続していたのであれば、二人は結婚していたのでしょうか?
今回は、そんな「もしも」の世界について、考察してみたいと思います。
アニメ「逃げ上手の若君」の摂津親鑑と友子は実在した?
アニメ「逃げ上手の若君」は北条時行が主人公です。
そして摂津親鑑という武士は、北条氏得宗家に使えていた、実在の人物でした。
ちなみに北条氏得宗家というのは、2代目執権を努めた北条義時を祖とする北条家のことを指し、その家系から多くの執権を誕生させました。
合議制で政治家行われていた鎌倉幕府政治の中で、議長ともいうべき地位に代々付いてきていた家柄であり、いくつか存在していた北条家の中で「得宗家」と呼ばれてきていたのです。
摂津親鑑は実在した人物では有りましたが、果たして友子はどうでしょう?
歴史書の中には、親鑑の息子、もしくは弟とされる高親という人物が存在していたことが分かっています。
父親同様、得宗家の中で力を発揮した侍であったことが記されていたのでした。
が、親鑑に女子があった、という正式な記録は残っておりません。
ましてや時行の将来の妻候補という記載も存在しないのでした。
そのため、友子はアニメ「逃げ上手の若君」の作者による創作のキャラクターであったと思われます。
友子が無事だったら時行と結婚できた?
ここから「もしも」こうなっていたら、という世界を想像し、その結果どうなるか、についての考察をしていきたいと思います。
つまり、鎌倉幕府が滅びず、時行が父高時の跡を継ぎ、幕府の総帥になったとしたら、友子は時行の妻になっていたかどうか、という疑問について、の考察です。
果たして友子が夢見た、玉の輿で、余生安泰な生活を遅れたのでしょうか?
時行の正室にはなれない
結論から言うと、友子は時行の性質に離れなかった、と考えます。
というのも、得宗家の跡取り男子には、決まった名家からの嫁取りが慣習としてあったからです。
執権職に就く得宗家の主は、有力御家人の安達家より正室を迎える習わしがあったのでした。
時行の父高時はもちろんのこと、祖父の貞時、高祖父の時宗、さらにその一代上の時氏までもが、正室に安達家から娘を嫁がせていたのです。
また、高時は執権とはいえ、名ばかりのお飾りでした。
実際の政治は高時の家来であった長崎円喜、外祖父である安達時顕等に牛耳られていたので、彼らが自身の政治的優位性を保持するため、必ず時行と安達家の娘を結婚させていたはずです。
この事実があるため、友子は正室になれない、と考えたのでした。
側室であれば可能性も
では、側室としてはいかがでしょう?
側室としてであれば、可能性はゼロでは有りません。
ただ、側室に迎えるタイミングが問題となってくるでしょう。
正室との力関係にも考慮し、同じ時期、もしくは正室を迎えて数年後、という数字覚悟しないといけないかもしれません。
下手に早くに妻として迎えられ、懐妊して出産となると、いろいろな政治的問題が表面化してくる可能性が大だと思います。
友子の言動を見ていると、時行と結婚したい理由は地位とお金目当て、であることが一目瞭然。
そういう意味では側室でも満足はすると思います。
まとめ
アニメ「逃げ上手の若君」で摂津親鑑とその娘友子が実在する人物であるのかを調べてみました。
摂津親鑑は確かに実在した侍です。
一方で友子という女性の記述は歴史書にはなく、作り出されたキャラクターだと思われるのでした。
そしてもし、毛枕幕府が滅亡していなかったとしても、友子が望んでいるように時行と結婚はできなかったでしょう。
極めて政治的に結び付きが強い、女性があてがわれての婚姻になるのでしょう。
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