映画「はじまりへの旅」は映画だけあって父親ベンの取っている教育方針があまりに突飛
なものになっていると思いますが、僕も2児の父親として、子供を育てるということについて
考えさせられる映画だと思いました。
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キャストの紹介
ベン: ビゴ・モーテンセン
森の奥で暮らす家族の父親。6人の子供にサバイバル技術から哲学、多言語まで
家庭学習で教えている
ジャック: フランク・ランジェラ
ベンの妻、レズリーの父親。ベンの子供達への教育方針に反対し、子供達を引き取ろうとする。
ボウ: ジョージ・マッケイ
長男。アメリカのほとんどの名門大学に入学できるほどの知識があるが、今の生活に
疑問を持っている。
キーラー: サマンサ・アイラー
長女
ヴェスパー: アナリース・バッソ
次女。
今のアメリカの社会で子供達がベンから学ぶ知識はためになるのか?
彼らが生活を送っているのはアメリカ西北部のワシントン州。山の中で究極の自給自足
生活をしています。
野菜などの自家栽培は当たり前で、タンパク質は野生の動物を狩って入手。衣服もその
毛皮から作り出すこともあったりです。
電気も水道もない山奥でトレーニングにサバイバル技術、ナイフを使用した格闘術も
訓練し、夜になれば、書籍からそれこそ高度な哲学、生態学などを学んでいます。
子供の前で嘘はつかない、という方針から8歳の子供に対しても強姦や性生活について
包み隠さずに説明する。食事で、フランスでは幼少期からワインを飲んでいる、という
理由で未成年の子供にも少量のワインを飲ませる、とかなり独特な教育方針で子供達に
接しています。
よほどのことがない限り、父親が子供達に頭ごなしに考えを否定したりせず、家族皆で
ディベートをするオープンな関係であるように描いています。
ですが、この知識って本当に必要なのか、と思ってしまうのです。
確かに知っていたほうがいいでしょうが、本当に必要なのかと。
多言語も難なく操る子供達で長男のボウなどは、どの言葉か説明されませんでしたが、
6ヶ国言語を話す事になっています。
しかし言葉は使用する機会があってはじめて役に立つというか、言葉として覚えている
価値があるはずで、そうでない限り、まず、覚えていられない、というのが現実ではない
でしょうか。
護身術の知識はある程度持っていたほうがいいとは思いますが、ナイフを使っての相手を
確実に死に至らしめるための技術を訓練する必要まであるのか、と。
ロッククライミング技術も普通に生活していたらまず、必要ありません。いざという時の
為に知っていれば役に立つでしょうが、その「いざという時」は本当に一生の中で現れる
のでしょうか?
それだけの知識や技術を習得する以上、もちろん犠牲にしている知識もあるはずです。
彼らの場合、家族以外の対人コミュニケーション能力がその最たるもので、特に長男の
ボウは年頃だけに、同年代の女の子が気になりますが、どうやって会話をしていいのか
戸惑ってしまうシーンが何度も出てきます。
一生、子供達が山奥で他人と関わらず、生活を続けていくのであれば、ベンが教えている
知識はとても役に立つでしょうし、逆に知らなければ生活が成り立っていかないと思います。
が、やがて他人と接する生活をしなくてはならないのであれば、そのための用意をさせて
あげるのが、親としての勤めではないでしょうか。
描き方がベンの教育方針の正当性主張に偏っているような気が。
映画内でベンが家族と山奥で暮らすようになった理由は、妻のレズリーの病気療養の為、
となっています。
そんなレズリーも映画が始まった時点では家族と一緒におらず、町の病院で入院している
事になっていますが、始まってすぐに彼女が自殺をしたことを知らされるのでした。
こうして母親の葬儀に出席するため、母親の出身地のニューメキシコへ車で移動を開始し、
そこでほとんどの子供達が現実社会の生活を体験することになるのです。
こうしてベンの教育方針に沿って育てられた子供達が現実社会とのギャップを感じて
戸惑うわけですが、僕が感じたおかしさというのは、ベンの教育方針のを
無理に正当だと主張しているような描き方でした。
僕自身、ベンの教育方針に賛同できるところもあれば、首を傾げるところもあります。
しかしそれをボク個人の感想という形で意見することはできますが、その成否を決めつけて
翻意させたりすることは、行き過ぎだと思います。
であれば、現実社会に生きている人達の価値観を否定したり、無視したりして自身の価値
観にそった行動ばかりを取っていくことは相手に対する敬意をきちんと取っていない行動だ
と思います。
映画では、ベンが妹家族の家に泊めてもらうシーンで妹の子供たちの前にして行う会話が
明らかに一般の家庭基準から言って子供の前で話す内容を超えていることで描き出されて
います。
べンの子供達は幼い頃からその準備ができるように教育されているので問題ないので
しょうが、妹の子供達は明らかに面食らっていました。
だからベンのように子供達を教育すべきだ、というよりは、場面場面に合わせた行動を
すべきだと思うわけです。この場合子供達に、自分たちの考え方が他の子供たちとは違う
という事実もきちんと伝えるべきでしょう。
それによって「常に空気を読め」というわけではなく、その違いの結果もたらされると
思われる結果を考え、それが自分にとって好ましい立場になってしまうのであれば、
ダメージコントロールをする技術をも教えておく必要があると思うのです。
ある意味護身術と一緒で、どう立ち振る舞えば後々の人間関係に問題を残さないか、という
技術です。
親だって何が正しい教育方針かはわからない
ですが、子供の中にはこの教育方針が絶対正しいと感じていないメンバーも出てきます。
それに加え、レズリーの父親ジャックがベンに反対している事もあって親権争いに発展し
そうになります。
さらに、娘のヴェスパーが事故で屋根から落ち、骨折をするのですが、診断の結果で
数ミリの違いで、死か半身不随になっていたかもしれないほどの深刻な怪我であったこと
を知らされます。
レズリーの実家でレズリーが両親に送っていた手紙の内容とレズリーがベンに内緒でボウ
の大学進学を手伝っていたこともわかり、ベンは自分の教育方針が本当に正しかったのか
わからなくなってしまいます。
その結果、親権を放棄し、祖父母に子供全員を任せて一人去る結論を出してしまいます。
この展開はあまりに極端だと感じました。確かに、今までの教育方針が子供のために
なっていないかもしれない、と思えるイベントが続いていますが、そこで子供達のもとから
去っていけば、子供達は見捨てられたという心の傷を負うことになると思いますし、
そちらのほうがより大きなダメージになると思えたからです。
とくに子供達は母親を失ったばかりです。そんな状態で父親まで子供達の元を去っていく
のは絶対に間違いでしょう。映画は後半に差し掛かっていましたが、母親が亡くなったと
知ってからたった日時は1週間経っているかどうかのはずです。
視聴者にとっては納得いくかもしれない時間経過の流れでも、考えれば、とんでもない
時点での思い切った決断で説得力がないと感じました。
結果的には祖父母の家に残してきたと思っていた子供達が車の中に隠れていて、父親と
ともに祖父母の家を離れていたことがわかり、家族一緒に暮らすことを選ぶのでした。
彼らはボウ以外、ワシントン州に戻ります。ボウは大学進学はせず、世界を見に旅に出る
ことを選びます。何故かランダムに選んだ目的地はアフリカのナミビアでした。
「可愛い子には旅をさせろ」という格言もあることですし、このボウの決断は良い方向に
いくと思いました。特に行き先がアフリカで、今まで学んだ知識も応用しやすいでしょうし。
ワシントン州に戻った家族は森の奥を離れ、より人里に近い場所に農場を作って、移り
住み、子供達は学校に通うようになりました。
思うに、最初からこれくらいの自給自足の生活で良かったのではないかと思います。
そういう意味ではハッピーエンドで映画は終了したと思います。
親になるということは子供が生まれたことで自動的になるものではないと、最近
思い知らされています。
子供が育つとともに親として育つというのが実際でしょう。
そんな中で親も間違いを犯して成長していきます。そんな時、きちんと間違いを認める
事のできる親でいたいと思いました。
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