映画ゴーストインザシェルのネタバレ感想とあらすじ!原作アニメとの比較も!

      2017/04/11

Pocket

映画「ゴーストインザシェル」。言わずと知れた士郎正宗氏のSF漫画「攻殻機動隊」がついに
ハリウッドで実写映画されたわけですが、公開前から主役にアジア人女優を起用しないこと
などで物議を醸していました。

いざ、公開されて見てきましたが、悪い映画ではありません。

が、「攻殻機動隊」にする必要があったのかな、というのが、素直な感想です。





スポンサードリンク

目次

予告動画はこちら

キャストの紹介

少佐: スカーレット・ヨハンソン
脳だけを除いて全身が機械化された公安9課所属の捜査官。
バトー: ピルウ・アスベック
少佐と同じく公安9課に所属する捜査官。少佐の相棒。
荒巻: ビートたけし
公安9課の責任者。
オウレイ博士:ジュリエット・ビノシュ
瀕死の少佐を全身を義体化することで助けたハンカ・ロボティック社所属の科学者。
クゼ: マイケル・カルメン・ピット
ハンカロボティック社の研究員を狙って襲っているテロリスト。

ネタバレあらすじ

テロリストに襲撃された難民の中で唯一助かった女性。しかし体へのダメージは大きく、
脳を除いて全身の義体化をしなくてはならなかった。

そうして助かった女性は1年後、公安9課で少佐として対テロ捜査官として事件を追う
ことになる。

少佐の義体化を担当したハイカ・ロボテック社のエンジニアが次々と襲われ、殺される
事件が発生。少佐を始めとした9課全員がこの事件を追うことになる。

その背後に謎のテロリスト、クゼの存在を突き止め、追い詰める少佐。

しかしそのクゼから失われた記憶を呼び戻すきっかけを与えられ、オウレイ博士に
自分の過去を問い詰める。その結果、ハンカ・ロボティック社は義体化実験のために
過去98名の犠牲者を出しており、クゼもその一人であることを知らされる。

ハンカ社の社長カッターは少佐を捕まえ、すべての記憶の消去をお憂い博士に命じますが、
オウレイ博士は少佐に記憶を全て戻し、自分が犠牲になることで少佐を逃がす。

カッターは少佐だけでなく9課全てを抹殺すべく動くが、全て返り討ちにあう。
一方少佐はずっと悩まされてきた断片的な記憶映像が、はっきりしてくることでハンカ社に
拉致された最後の場所に行き着く。

そこにいたクゼと再会、自分の名前が素子であり、秀雄という本名のクゼとは恋人で
あった事をおもいだすが、そこにカッター社長の操るクモ型装甲車両に襲われる。

すんでのところで撃退するも、ハンカ社の狙撃部隊によりクゼは電脳を破壊され、
少佐も狙われるが、バトーや9課の仲間の救助が間に合い、狙撃部隊を撃墜。
カッター社長は総理に命じられた荒巻により射殺される。

事件が終わった後も少佐として9課で犯罪を追う素子は夜の高層ビル街に消えていく。

ネタバレ感想!押井アニメとの比較。むしろアニメ版に縛られた感じがする

公開前から色々と物議をかもしていた映画ですが、見た後に感じた率直な感想は何処まで
「攻殻機動隊」として作るべきだったのか、という疑問
でした。

やはり「ゴーストインザシェル」として有名なのは押井守監督のアニメ版だと思います。

今回の「ゴーストインザシェル」はそのアニメとは違うオリジナルストーリーとなって
いますが、かなりアニメ版を意識して作られていると感じました。

冒頭のビルの上から光学迷彩で飛び降りるシーンもそうですし、ゴミ収集車による襲撃、
その後の浅く水の張ったエリアでの格闘シーンなど、さらに最後の戦闘で登場するクモ
型装甲車や、ヘリからの頭部射撃シーンとまるっきりアニメ版をそっくりそのまま取り入れ
映像化しています。

それでいて、ストーリーというかメインの隠された謎は同じではないため、それらのシーンが
入る必然があまりないように感じました。

よくよく考えると、最初のシーンで少佐がビルの上にスタンバっている理由は何だったのか
わかりませんでした。

映画ではアフリカのとある国の首脳とハンカ・ロボティック社の技術者が会食をしながら、
ハンカ社の技術や製品を売り込んでいるという場所です。

少佐がそのビルの上にスタンバっていたということですので、その会食が襲撃される情報で
も入手していたのでしょうか?だったら会食自体をさせないように忠告するとか、先に
警備をもっと送っておくとか、他の対処法もあったと思います。

そうでなかった場合、たまたまということはないでしょうし、一体どんな理由であそこに
いたのかが、わかりません。

9課のメンバー全員をカメラの前に出すのはいいですが、話が進むに連れ、バトーとトグサの
2人くらいしか出てこなくなりました。アニメもそんな感じでしたが、だったら逆に他の
メンバーは顔出しする必要がなかったのではないかと思います。

押井アニメの「ゴーストインザシェル」もオリジナルとは異なるパラレルワールドの
作品となっていますし、いっその事、全く新しく設定もまるっきり変えてやってしまっても
良かったのではと思いました。

無理に東京だか香港だかわけの分からないアジアの都市にせず、いっその事アメリカの
一都市を舞台にしても良かったのではないかと思うくらいです。

少佐も草薙素子という名前も最後の方にならない限り出てきませんでしたし、草薙素子が
でないと「ゴーストインザシェル」というわけではなくて、あの世界観こそが「ゴースト
インザシェル」だと思うので、まるっきり設定を変えるというか、キャラの名前だけ同じで
北米の一都市を舞台にしても問題なかったと思うわけです。

それであれば、ビートたけし扮する荒巻に銃撃戦をさせたくなったとしても変には思わない
でしょうし、いっその事、荒巻という名前を辞めて部長とだけ呼ばれるキャラにすることも
オッケーだったでしょう。

とある映画批評にはアニメ版に敬意を払って制作されている、とありましたが、僕が感じた
のは敬意を払うというよりは、アニメであったシーンだから実写でもしないといけない、
という縛りになってしまったようで、ちょっと残念でした。

最後に、少佐こと草薙素子役がアジア人をあてがわず、白人女優を起用した点について
ですが、僕にはそれほど違和感は感じませんでした。

逆にストーリー的に映画内の草薙素子は拉致誘拐されて義体化実験をされたことに
なっていますので、もともとの顔のままでは本人の記憶を消した意味もなくなってしまい
ます。
完全に別人にする必然性があるわけですから、逆にアジア人顔から白人顔にしたほうが
辻褄も会いますし、説得力もでます。

果たしてそこまで狙っていたかは、わかりませんが。

ゴーストインザシェルとして何処までやるべきだったのか

アニメ版ではハッキング用に開発したプログラムが自我を持ち、人形使いと称される
ハッカーになることで、機械と生命の境界線は?というような哲学がありました。

ある意味、日本アニメによくありがちな答えが簡単に出ないような難しい哲学的問題で
その難解さも「ゴーストインザシェル」の持ち味の一つでしたが、ハリウッド版の今回の
映画は失った自分探しというものになってしまっていました。

それはそれで、良い題材です。とくに生身の人間だったはずがほとんどロボットと化した
体で蘇ったわけですから、より切羽詰まった感が出ていたと思います。

ただ、自分探しであれば、わざわざ「攻殻機動隊」をベースにする必要があったのかな、
思えてしまうレベルの哲学的問題で、たとえば「ジェイソン・ボーン・シリーズ」でも
同じトピックを題材にしてあれだけの作品をすでに展開しているわけです。

「攻殻機動隊」としても、押井アニメの「ゴーストインザシェル」としても、すでの多くの
コアなファンが存在していますので、そういった人達がこのハリウッド版の「ゴースト
インザシェル」を見た場合、物足りない、と思ってしまうのでは、と感じるのです。

アニメ版の有名なシーンや登場キャラを実写として出したとしても、その根っ子のところ
で薄い印象を出してしまっているがために、ただのコピー、という感想しか、僕はもてま
せんでした。

一本の映画として見た場合

「ゴーストインザシェル」を見たことなかったり、話に聞いた程度しか知らなかったので
あれば、十分楽しめる映画でしょう。

スカーレット・ヨハンソンのアクションも良かったですし、生眼のバトーも新鮮でした。

あれが近未来の東京とは思いたくありませんが、ごちゃごちゃとして北米にはない、エキ
ゾチックなアジアの大都会という雰囲気は出ていました。

ストーリー的にはB級アクションによくある謎で王道をいっていますし、安心して見ていられ
ます。

エンドスクロールに芸者アドバイザーとして舞妓さんのお名前が出ていましたが、芸者
ロボットが行う接待の動きを本物の舞妓さんにきちんと指導してもらっていることにも
感動しました。

「ゴーストインザシェル」として見なかったのであれば、映像的にも美しい、作りの良い
アクション映画であったと思います。

まとめ

押井アニメの「ゴーストインザシェル」を知る者として、正直ちょっと残念な出来栄えに
なってしまっていますが、良い出来の映画だとは思います。
お金を払って見に行って、お金損した、という気にはなりませんでしたし。

ただ、この映画を見た後、押井アニメの「ゴーストインザシェル」をまた見てみたい、と
思いましたが、押井アニメを見た後、この映画を見たいと思うことはないんだろうな
そんな映画だったと思います。





スポンサードリンク

 - 映画