映画「ガール オン ザ トレイン」はかなり楽しめたミステリー&サスペンス映画でした。
現在の時間進行に加え、時間をさかのぼって過去の出来事を少しずつ明かしてくれることでばらばらのパズルのピースが徐々にまとまりだし、最後には全体を見渡せる一つのピースになる。
しかも主要な登場人物が6人。
個々の関係性は少し入り組んでいる所があるものの、少ない人数であったためすぐに整理が付き、誰が誰で他とどのような関係であるかが簡単に理解できたのは、映画を楽しむうえでかなり助かりました。
また、そのうちの一人が殺され、容疑者は5人となったことで、犯人が誰なのかを考えながら見ることも余裕でできたのです。
見終わっていろいろと深く考え始めると、多少疑問に思うことも出てきますが、総じて十分にミステリーを楽しむことのできた映画でした。
映画「ガール オン ザ トレイン」の感想
映画「ガール オン ザ トレイン」の感想を紹介していきますが、ミステリー映画ということでネタバレをしてしまうと、まだ見ていない人には映画を見る楽しみが半減してしまうと思います。
ですので、感想ではなるべくネタバレをしないようにしていくことにします。
アルコール依存症の視点の映像化は見事
ミステリー作品として重要になってくるのが視聴者や読者に事件の情報を伝えるキャラクターです。
映画「ガール オン ザ トレイン」でいえば視聴者はレイチェルが見たり得たりした情報をメインに謎に遭遇し、その謎を解いていくわけです。
もちろん、レイチェルが知りえない情報、例えばメガンの過去であったり、メガンとスコットの本当の関係であったりも視聴者にはわかるようになってはいますが。
そしてレイチェルがアルコール依存症に苦しんでいるという設定は、レイチェルを通して情報を得ている視聴者に、与えられている情報が真実なのか、酔っぱらった際に見た幻覚なのか、不確かにさせていることでより謎が深くなっているのでした。
メガンの不倫現場を目撃したことで電車を飛び出し、ふらふらと元夫と暮らしていた家に向かうレイチェル。
途中のトンネルでアナに会ってぶちのめされたと記憶していたのですが、後からよくよく思い出すと出会ったのはアナではなく、レイチェルをぶちのめしたのも別の人物であったことが分かります。
更に極めつけは血まみれで目を覚まし、なぜ自分が血まみれなのかの記憶が定かではないこと。
もしかすると酔っぱらって殺人を犯してしまったのでは、と自分自身を疑うのです。
これには僕も含めた視聴者も騙されたと思います。
そしてその感情を肯定するかのような酔っぱらったレイチェルの見ている風景として、すべてがぼんやりと映し出され、しかもふらふらと揺れて視線が定まりません。
カメラワークをわざとそのようにした監督のアイデアだそうですが、とても臨場感あふれていました。
すんなりとレイチェルの疑似体験をしている気分になり、無意識のうちに彼女のことを疑っていたのです。
こうしたはっきりしない状況を説得力を持って用意できているところに、ミステリーとしての成功があったのでしょう。
3人の女性の扱われ方に不公平を感じた
主要登場人物は6名。
男性3人と女性3人です。
そのうち、主人公のレイチェルはキャラクターの掘り下げが重要で、過去にあったことから今のような状況になっていることを時間をかけて見せていました。
同じくレイチェルが完璧な妻だと思い込んでいたメガンも過去に大きなトラウマを持ち、それが今でも問題行動の原因となっていて、夫スコットとの関係にも暗い影を落としていたことが分かっています。
それに比べるとアナの人物像は深さが感じられませんでした。
レイチェルとトムが新居を購入した際に担当していた不動産エージェントでしたが、トムと不倫をした結果、略奪婚をしてしまいます。
レイチェルが悩み、アルコール依存症の原因にもなった不妊にも、トムと結ばれたアナはあっという間に子供をもうけていました。
その後は、アルコール依存症となったレイチェルのストーカー行為に恐怖を感じてはいますが、なぜトムと不倫をして略奪婚をしたのか、といった理由は取り立ててなかったようです。
ただ気に入った男が既婚の客だった、というような軽い理由なのでしょう。
彼女の過去に起こった出来事がトムへの不倫に走らせた、といったような描写はなく、他の二人に比べると深みのないというか、浅いキャラクターだな、という感想しか持てませんでした。
この映画はベストセラー小説を映画化したものなのですが、思わず、小説でも三人の女性の扱われ方にこのような差があるのか、気になってしまいました。
なぜレイチェルが「ガール」なのかの理由を考察
さて、映画の感想というよりは、疑問に思ったことについての考察となります。
それも、映画の内容でもなく、タイトル。
「ガール オン ザ トレイン」というタイトルですが、どうも「ガール」に引っかかってしまったのです。
というのも、どう考えてもレイチェルは「ガール=少女」という年齢ではありません。
どちらかといえば「ウーマン=女性」といったほうがしっくりとくるでしょう。
映画のタイトルはオリジナルの「The Girl on the train」を日本語でカタカナ表記したもの。
そのオリジナル映画も小説のタイトルをそのまま使用しています。
では、なぜタイトルに「ガール」が使われていたのでしょうか?
その理由を考察していきたいと思います。
女性を表現する代表的な英単語3つとその意味
まず英語で女性を表す単語として以下の3つの言葉が思い浮かびます。
-
・ガール(Girl)
・レディ (Lady)
・ウーマン (Woman)
それぞれ日本語訳にすれば、「少女、女の子」「娘」「女性」といったところでしょうか。
そこで、それぞれの3つの言葉が持つニュアンスについて調べてみると、より詳しい意味は以下のようになりました。
「ガール」の詳しい意味
「ガール」というと日本語では「少女、女の子」という意味合いになります。
実際、年齢的にかなり若い年齢の女の子のことを指して使われることが一般的でしょう。
小学生くらいまでの年齢、いわゆるティーンエイジャー前の女性を指すと考えて問題ないと思います。
場合によっては大学生くらいまでも「ガール」の範疇に入ると考えている人もいます。
その他には年齢にかかわらず、「娘」と表現したいときにもよく使われます。
ここでいう「娘」とは誰かの子供、という意味の「娘」で、それがたとえ年齢が行っていて、子持ちの母親という年齢であっても、
-
○○は××の娘だ。
(○○ is ××’s girl.)
といった風に使われます。
また、「年齢的に低い=自分よりも低い身分」という意味合いで、いわゆる差別的に使われることもあります。
総じて「ガール」は年齢の若い、幼い女性を指す場合に使われます。
「レディー」の詳しい意味
「レディ」というと日本語では「娘、若い女性」という意味合いになります。
年齢的にはティーンエイジャー(13歳以上)から二十歳前半、30歳未満まで、という考えが一般的でしょうか。
歴史的には王族や貴族、騎士の妻や娘に対しての敬称として使われていた言葉です。
ですので、若い女性に対し、もう子供ではない、という敬意を表すという意味合いを含め、使われているといっていいでしょう。
一方で「ガール」と同じく、「若い=自分より下」という侮蔑の意味も込めて差別的に使われることもあります。
フェミニストの中には王族や貴族の親族として「レディ」と呼ばれていたことから、政略結婚の道具や子孫を残すこと以外に価値のない、個人としては重要でない女性であることの象徴という考え方もあるくらいです。
「ウーマン」の詳しい意味
「ウーマン」というと日本語では「女性」という意味合いにです。
年齢的に大人の女性全般に使われ、性別を区別するために使われる言葉でもあります。
女性といえば「ウーマン」という捉えられ方をしている最も一般的な言葉でしょう。
「ガール」がタイトルに使用された意図
「ガール」「レディ」「ウーマン」の違いを見てきましたが、ではなぜ、タイトルは「ウーマン オン ザ トレイン」ではなく「ガール オン ザ トレイン」なのでしょうか?
明らかにレイチェルの年齢層は「ガール」ではなく、「ウーマン」のカテゴリーに入ります。
もちろん原作の小説の著者も映画の監督も、この違いを知らないでタイトルを決定したわけではありません。
そこには、何らかの狙いがあったはずです。
そしてその狙いの答えは、映画のエンディグで明かされていたと感じました。
映画のエンディグでは、すべてが終わり、レイチェル自身もこれまでの出来事にけじめをつけてやり直す決意をしたことが明らかになりました。
そしてその第一歩としてこれまで列車に乗った際には、常に同じ右の窓側に座って、過去を見つけていたのを、反対の左の窓側に座って、未来を見つめるようにした、と描写されて終わっています。
つまり、レイチェルはここでこれまでの過ちから過去にとらわれていることの無意味さを学び、変えられない過去よりも決断していける未来に目を向けるように成長したことが分かります。
この、「学び」や「成長」は人間いくつになってもできるものですが、やはり何といっても若い時分、特に学生をイメージさせるキーワードではないでしょうか。
つまり「ガール オン ザ トレイン」というタイトルは、主人公の女性は作品を通して学び成長したストーリーであることを、暗示させていたのです。
映画「ガール オン ザ トレイン」のネタバレを含む感想
ここからの映画の感想はネタバレを含めて書いていきますので、知りたくない方は飛ばしてくださいね。
疑問に思ったこと、自分の中で答えが出ていないことなどをつづっていきます。
メガンは夫スコットを嫌っている?妊娠はしたくないだけ?
映画の中でメガンという女性を理解しようとしたものの、今一つ掴みきれないというのが正直な感想でした。
というのも、スコットは子供を欲しがって妊活を強要しているが、メガンはそのプレッシャーを嫌がっています。
が、彼女自身、行為自体は好きだといい、心理カウンセラーにまで色仕掛けを仕掛けている始末。
その他に、結局は殺人に結びついたトムとの関係も持っていました。
メガンが赤ん坊を欲しがらない理由は理解できます。
十代という幼い年齢で出産し、事故で死なせてしまったことがトラウマになっていましたが、そうなってしまっても仕方のない出来事でしょう。
だからこそ、スコットのプレッシャーにも嫌悪感を抱くわけですが、しかし行為自体は好き。
ある意味、めんどくさい性格だと思いました。
いや、性格というより精神的に病気なのではないか、というレベルかもしれません。
そんなメガンが結果的にはトムの子を妊娠します。
精神科医でカウンセラーのカマル・アブディック医師との間に関係を持ったのかどうかは定かではありませんが、トムとの不倫もしている状況でトムの子だと分かるのは、すごいと思いました。
なにが、メガンに確信を与えたのでしょうか?
それはあまり大きな問題ではありません。
それよりも妊娠を知ったメガンはもちろん悩みます。
アブディックに相談した時は、産みたいのかどうか、決めかねていました。
スコットには妊娠の事実は話しませんでした。
そしてトムに妊娠したことを告げます。
ここで疑問なのは、トムに話をした時点ではメガンは子供を産むことを決めていたことでした。
どうして子供を産んで育てる決意をしたのか?
しかもトムに父親としてかかわる選択肢を与えています。
状況的に言えば、スコットの子供であるとして産み育てたほうが一番スムーズにいくのに。
後でバレれば、とんでもないことになりますが。
このメガンの心理状態が理解不可能でした。
どうして子供を産む気になったのか?
その子供の父親として不倫相手のトムに育児にかかわる選択肢を与える気になったのか?
結果として、このことがメガンが殺されてしまう動機になっているので、このメガンの心変わりの部分は、かなり重要だと思うのです。
が、映画では語られず終い…。
なぜなのでしょうか?
レイチェルは犯人に利用されていた?たまたまの偶然?
トムは多くの女性と不倫をしていたわけですが、それを隠すためにレイチェルが重度のアルコール依存症でいてくれたほうが、都合がいいのはわかります。
自分勝手でとんでもない所業ですが、レイチェルがアルコール依存症であるという事実は、アナと不倫をしていたことも仕方のないことととらえられる部分が出てくるからです。
ただ、トムはレイチェルがアルコール依存症で情緒不安定、おかしな行動をしてしまう可能性のある状態を自身の不倫を隠すために利用しようとしていたのでしょうか?
仕事もアルコール依存症が理由でかなり前に首になってしまっていたレイチェルが、毎日電車に乗ることができるのも、携帯電話を持っていて使用可能であったことも、お酒を買うお金があったことも含め、トムから賠償金が支払われていたから、のようです。
トムとしてはいつも酒浸りで、身体にまで危害が及ぶ可能性があるにもかかわらず、レイチェルを完全に切り離すことはなかったのは、まだ愛しているから、憐れんでいるからと見られていました。
が、実際にはあのようなレイチェルが近くにいることで、自身の不倫を隠すために利用できると考えたから、完全に切り離さなかったのではないか、と思えたのです。
トムがメガンを手にかけたことで不倫だけでなく、殺人の疑惑をもレイチェルが被ってくれるようになりました。
トムはそこまで見越してはいなかったと思いますが、殺人を犯してしまった後、自分の周りの状況を見渡した時に、都合のいい身代わりがいることにすぐ気が付いたと思います。
ただ、一緒に映画を見ていた妻はこの考えには賛成してくれませんでした。
トムはそこまで先を見越し、計画を練ってレイチェルを利用してはいなかった。
ただの女好きで手あたり次第に手を出していただけだ、と感じたそうです。
ミステリー作品ですので、犯人がある程度の犯行隠蔽や身代わりを立てようとする行為をしてくれたほうが、おもしろくなると思います。
が、どうしてもストーリー展開の目線がレイチェルやメガンから見た、女性目線のものに特化しているせいで、トムがどこまで悪だくみをしていたのかが、はっきりしていませんでした。
あえて、深堀りするほどのことはない部分かもしれませんが、よりトムを悪人に見せるためにはこの部分にこだわってもよかったのではないか、と思った次第です。
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