映画「ダニエル」は解離性同一障害、いわゆる多重人格者になってしまった青年のお話です。
が、映画では解離性同一障害という病人であるという描かれ方よりも、空想上の友人が実は悪魔で体を乗っ取ろうとしている、というようなテイストのエンディングに持っていかれました。
このストーリーとその演出に、見る人の好みが分かれるのではないかと思いましたが、映画という映像で表現する作品にとっては、このような演出が素晴らしい映像美を生み出すことになったのでは、と感じたのでした。
映画「ダニエル」のネタバレ!ダニエルは悪魔かルークの空想の産物か?
繊細で内気な青年のルーク。
家族にも問題があり、とくに母親はルークが幼いころから精神的に不安定でした。
それが原因でルークの両親はケンカが絶えず、ついには離婚してしまいます。
その過酷な環境から自分自身を守るために幼いルークは、空想上の友人であるダニエルを作り上げたのでした。
明らかに多重人格者となってしまう環境にルークもいたわけですが、映画では、ルークがルークに話しかけるというような場面はありません。
必ずルークと、他人には見えないダニエルが画面上にいて、どのような場面や状況で、2人がどのように行動したか、を見せていました。
だからこそ、視聴者にとってはダニエルが存在することのほうが普通に見えてしまい、ダニエルがいない場面でルークと第三者がどのようなやり取りをしているか、という絵は、エンディングに近づけば近づくほど、想像できなくなってしまっています。
この演出方法は、明らかに狙って取られていると思われ、だからこそルークがダニエルが悪魔であると理解し、対処しようとした行動も、説得力を持つのだと思いました。
が、一方で、精神が徐々に病んでいく青年の物語といった前半のテイストから後半が大きく路線変更をし、悪魔に心の隙間をつかれて利用された青年の話、になってしまっています。
その路線変更を良し、と思わない視聴者も存在するのではないか、というストーリーの繋げ方だなぁ、と感じました。
ダニエルが悪魔であるのような映画演出
ダニエルが悪魔であることを知らず知らずのうちに納得させられていくトリックがいくつかストーリーの中にちりばめられていました。
まずは、ダニエルの初登場のシーン。
両親の件かに嫌気がさし、家から逃げ出して街に出たルーク。
無差別銃撃殺人が行われた現場のカフェの前をたまたま通りかかり、血まみれとなった犯人(とはいえ、幼いルークにはそれはわからなかったでしょうが)を目撃してしまいます。
ショックを受けているルークの隣にいきなりダニエルが現れ、それ以来、ルークはダニエルと友人となり、2人で過ごす時間を増やしていきました。
心理学的にみれば、両親の件かというストレスに血まみれの死体を見たという別の大きなストレスが加わったため、精神を守るために別の人格が形成された瞬間というわけです。
が、ダニエルが悪魔とした場合には、それまでのダニエルという悪魔の犠牲者であった襲撃犯が死んで、次の獲物を探していたダニエルが、ルークを見つけて取りついた、とみられるわけです。
キャシーという恋人ができたにもかかわらず、同じ大学の学生であるソフィーともいい仲になることができたルーク。
言い寄るソフィーに対し、キャシーへの思いから踏ん切りがつかないルークでしたが、ダニエルが体を乗っ取ることでソフィーと関係を持ち、その行為をルークが見ていて何とか止めようとするシーンがありました。
多重人格者の症状として、ある人格が表に出ている際に、別の人格が今起こっている行為や表の人格が考えていることを理解しているかどうか、について二通りのパターンがあるそうです。
つまり、ルークとダニエルの関係で説明した場合、ダニエルが身体行動決定権があった際、ルークはダニエルがやらかした行動をすべて記憶しているかどうか、ということ。
実例から言えば、どちらのパターンもあるそうです。
一つは、ダニエルという人格が体を使っている間はルークの意識は全くなく、その間何をしたかの記憶もない、というパターン。
もう一つはダニエルという人格がした言動を、ルークがしっかりと理解し、記憶しているパターン。
後者の場合、内に押し込められた人格、この場合ルークの人格が身体の行動決定権を取り戻そうとして成功する場合もあり、成功しない場合もあるそうで、映画では成功しないケースでストーリーは進んでいました。
だからこそ、ダニエルという悪魔がルークの心の隙間に入り込み、ルークを助けるふりをして影響力を増やしていき、やがてダニエルが行動決定権を手にした際には、自分自身の欲望を満たすことしかしていないことで、ダニエルが悪魔である、という説得力をより強く印象付けていたと思います。
視聴者はルークの空想の産物を映画として視聴?
が、ネタバレとしてルークが解離性同一障害の患者であって、すべてがルークの頭の中で真実として見えていることが映画の映像になっているだけ、というとらえ方もできます。
そしてその真相を、そのまま映画の映像とした場合、特にエンディングのダニエルと決闘シーンはルークが一人で暴れまわり、屋上から飛び降りただけの絵となるでしょう。
それではあまりに映画としていただけません。
特にスリラーテイストでずっとやってきているので、最後にルークの独り相撲を映し出せば、喜劇になってしまいます。
屋上の決闘で西洋風の長権を振り回していましたが、実際にはそこに落ちていた箒をつかんで振り回しているだけ。
それではあまりに滑稽な絵にしかなりませんので、ダニエルが悪魔でルークの体を乗っ取ろうとしているというストーリーを映画の後半に展開し、最後の決闘の説得力を持たせたのだと思いました。
その決闘の前、ルークがドールハウスに閉じ込められたシーンは何を表していたのでしょうか?
それはおそらく、ダニエルが悪魔であると信じ込んだルークがめぐらせた空想の世界だと感じます。
ダニエルの存在に悩んだルークは統合失調症に関する書籍を読んでいるシーンがありました。
ですので、解離性同一障害についてのリサーチもしていたと思います。
そしてその中で別人格が表に出ている間、その人格がした言動を理解して記憶しているケースもあれば、全くしていないケースもあることを知っていたことでしょう。
そしてだんだんと力を増してくるダニエルに、ルークの意識と体がしている行動を遮断する力も持ち始めた、と考えたのではないでしょうか?
そのため、ルークをドールハウスに閉じ込めたダニエルが、その間に起こっている言動を理解させるはずがない、と自分自身で納得し、ダニエルがキャシーのもとを訪れたことさえ、気が付かなかったのだと思います。
ルークはダニエルの呪縛から逃れられたか?
最終的にルークは自身を殺すことでダニエルの呪縛から逃れました。
これが本当に、ルークがダニエルからの呪縛から逃れる最善の方法だったのかた、というと、難しいところです。
ルークの状況を改めてみてみると、大学からは追い出されています。
さらに解離性同一障害という病気が原因とはいえ、ブラウン医師を手にかけてしまっています。
これだけで、彼の将来はかなり暗いものにならざるを得ないでしょう。
たとえ、ダニエルを打倒し、解離性同一障害を改善させたとしても裁判後、精神病院送りにはなりますし、そこで治療で完治したとなっても、明るい未来が待っているというイメージはわきません。
キャシーと一緒になってめでたしめでたし、というエンディングも、現実問題むつかしいと言わざるをえないでしょうし、これだけの悪条件がそろっている以上、自殺という方法は自らの意思でダニエルの呪縛から逃れられる上、あの段階でルークが取ることのできる最上の方法ではなかったか、と思います。
映画「ダニエル」の感想!こうして悪魔という概念がつくられたのでは?
映画「ダニエル」を見終わって改めて考えさせられたのは「悪魔」という概念でした。
ルークは繊細で内気、友達もいない陰キャでした。
それは恥ずかしさや失敗を恐れるネガティブなところからきています。
そして自分が抱えるリミットを常に意識し、それに縛られない生活を送って明るく楽しい学生ライフをエンジョイしたい、という願望がありました。
そんなルークに自分とは正反対な人格のダニエルが現れます。
常にカリスマ性があり、自信家で見た目もイケているダニエル。
それはまさにルークとは正反対の若者で、言ってしまえばルークがあこがれている若者像が体現したキャラクターだといえるでしょう。
そんなダニエルは、ルークが自分自身には到底できないと思い込んでいたことするようにアドバイスし、その結果ルークは今まで望んでも行動していなかったがゆえに得られなかった結果を手にするようになります。
そして、状況はどんどんエスカレートし、複数の女性から好意を持たれるという、今まで経験したことのないシチュエーションに陥ったとき、女性たちに誠実でありたいと思うルークの性格が制限をかけます。
しかしそんなルークの心の中にも自分さえよければいいという利己的な考えがないわけでなく、ダニエルというもう一つの人格が、その欲望に忠実に行動するのでした。
その場面をルークの意識として認識していてもダニエルの行動を止めることができないまま、さらにダニエルの行動は常軌を逸していきます。
ルークの人格が常識的であるがゆえに、ルークとは違った人格のダニエルが平気で倫理観や道徳を無視した行動に出れたのではないでしょうか。
そしてそういった精神を病んでしまって多重人格を持ってしまった人々のうち、ダニエルのような行動を起こすことができる人格を持ってしまう。
そういった患者のことを精神障害という言葉がなかった時代には、「悪魔にとりつかれた」と考えるしかなっかったのではないか、と思ったのです。
しかもルークのように、ダニエルの人格が表に出て行動をしている間の記憶をきちんと覚えている患者にとっては、正気に戻った後、悪魔にとりつかれ、悪魔に操られていた、と自ら証言したことでしょう。
こうやって、悪魔という概念が作り上げられていったのではないか、と思いをめぐらすきっかけとなった映画でした。
まとめ
映画「ダニエル」は解離性同一障害を患った若者が見えている視点で映画のストーリーが映像として視聴者に提供されていることで、精神病の話というより、悪魔という超自然現象的な表現になった映画だと思いました。
そのため、前半を見ていて期待していたストーリーから、後半、少し毛色が違うものになっていった、という印象を持った映画でもあります。
スリラーからホラーに変わったような、そんな感じを持ちました。
そんな中で、一つ面白いと思ったのは、ダニエルに封じ込まれたルークが、元の世界に戻った際に取った行動です。
ルークは閉じ込められたドールハウスの中から「深淵」と呼ばれる場所にたどり着きます。
いわゆる聖書などで世界が生まれた場所とされる、すべてのものがまじりあった場所として表現され、ダニエルもここで生まれたのでしょう。
現実世界は、この深淵から混沌としたものを排除し、秩序を持ったものだけを抽出して作り上げられ、ダニエルのような悪しき混沌は、何とかここから抜け出して現実世界に出ていこうとしている、と。
ルークが元の世界に戻る際に、この深淵を通って戻るわけですが、それがこんな風に取れるのでは、と感じたのでした。
それは、ルークはそれまで、ダニエルの存在を消してしまおう、と努力しており、ダニエルという存在を否定し続けていました。
それが、ダニエルが生まれた深淵に触れることで、ダニエルの存在を認め、自分もダニエルも実は同じものから生まれた同種のもの、と認識したのではないかと。
そうすることで、ダニエルが体を操っている状態でも、ダニエルとルークが一緒に存在することができたのであり、最後にルークが自分を殺してダニエルも抹殺することを選んだという結末につながるのでは、と思ったのです。
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