思い出のマーニー絵美里を考察!和彦との関係や変わった理由は?

ジブリ

「思い出のマーニー」でマーニーの娘として登場する絵美里。

マーニーにとってはたった一人の娘でありながら、不幸が重なったことで親子としての時間を過ごすことができず、最終的にはマーニーの命を奪ってしまうことになる原因という存在になってしまいました。

ただ、絵美里の側からの視点では、マーニーはどういう存在だったのでしょうか?

また映画内では語られない父和彦との関係についても考察してみたいと思います。







「思い出のマーニー」に登場した絵美里

それでは「思い出のマーニー」に登場した絵美里について、まずは映画内での描かれ方をまとめてみます。

その次に原作の小説での描かれ方を紹介した後、考察をしていきたいと思います。

映画で語られる「絵美里」像

絵美里はマーニーと和彦との間に生まれた娘です。

小学生に上がる頃、体を壊したマーニーと引き離されて、全寮制の学校に入れられることになりました。

その後、13歳でマーニーのもとに帰ってきますが、わがままで独立心の強い女の子になっており、マーニーと打ち解けることはなかったとなっています。


ということは、絵美里は和彦をなくした際には4歳から5歳ころという年齢だったことになりますね。

小学生に上がるくらいの年齢であれば、マーニーの健康状態の悪化にも、気づいたかもしれませんが、しっかりと理解・納得はできなかったでしょう。

ですので、離れ離れにならなくてはならない状況に、とてもショックを受けたのは理解できます。


マーニーと再度暮らし始めた絵美里でしたが、二人は分かり合えることはなかったようです。

絵美里はその後、家出をし、若くして妊娠の末、結婚をしてしまいました。

おそらく、マーニーと絵美里の二人の関係から、絵美里がマーニーに結婚や妊娠のことを告げたとは思えません。


そして、絵美里と旦那は娘を残して交通事故で死んでしまいます。

連絡を受けたマーニーは孫を引き取る決心をし、一緒に暮らし始めたのでした。

が、絵美里を失ったショックが大きかったため、重い病気にかかってしまい、1年後に死亡してしまったのです。

原作の小説での描かれ方

「思い出のマーニー」はイギリスの児童文学小説が元ネタになっている作品です。

原作ではイギリスが舞台になっていましたが、ジブリが映画にするにあたって北海道が舞台に変更されました。

そのため、登場人物の大半も日本人に変更されたのですが、マーニーだけは金髪の白人少女という設定は変更されなかったという流れになっていたのです。


舞台が日本に代わったことでいろんな設定も調整されていますが、メインストーリーについてはほとんど変更はありませんでした。

マーニーが杏奈の実の祖母で、杏奈の母親はマーニーの娘という設定もそのままです。

ただ、小説では杏奈はイギリス人少女で名前はアンナ(Anna)、マーニーの娘でアンナの母はエズミ(Esme)という名前になっています。

ジブリ映画では、エリカはマーニーが病気になったために育てられなくなり、全寮制の学校に送られたことになっていますが、原作ではエズミは第2次世界大戦が始まったために、アメリカに疎開という理由で送られたことになっているのでした。


このような理由だとして、幼い年齢のうちに親の元から引き離されたことでマーニーを恨むことになり、若くして家を出ていく部分はジブリ映画と一緒でした。

家出をした後、マーニーに知らせもせずに若くして結婚しました

が、そのあとの設定が少し異なっており、相手は真っ黒な髪に黒い目をしたハンサムだが責任感のない男性という紹介があります。

娘のアンナが生まれた直後に離婚し、しばらくして再婚しますが、その新婚旅行で交通事故死するという流れになっていました。

絵美里が変わってしまった理由を考察

小学1年生から中学に上がるまでの約6年間、唯一の肉親である母親から引き離されて暮らさなければならなかった絵美里が幼いころと変わってしまったのは仕方がないことだと思います。

一緒に住んでいたとしても5、6歳のころの性格と13歳の性格が一緒であるということはありません。

幼いころは一人でできないため、なんでも親に頼てきますが、大きくなれば自分でできることが増え、また親との時間が恥ずかしい、と感じる子供もいますので、性格が変わったことを一緒に過ごしていなかったことだけに理由を求めるのはどうか、と思います。


ただ、マーニーにとってみれば、5,6歳のころの記憶しかないので、自己主張をきちんとする13歳がわがままに映ったのかもしれません。

また、幼いうちから親より引き離され、一人で生きていかなければならない環境に置かれたことで、より独立心が強くなったことも考えられます。


マーニーにとっての不幸は絵美里がマーニーを母親として認めてくれないところ。

それ以上に敵視しているので、何を言ってもマーニーが言いたいことを曲解し、忠告として聞いてもらえないのです。

これはなかなか厳しいものがありますね、親として。


絵美里はマーニーに捨てられたと思っているため、自分のことを大事にすることができないでいるようです。

ですので、若い男に引っかかって妊娠までしてしまったのでしょう。

ある意味、絵美里のような境遇に陥った人の典型的な人生だと感じました。


詳しく語られなかったので想像するしかありませんが、いくら全寮制の学校とはいえ、夏休みや冬休みなど、長期休暇の際に里帰りするチャンスはあったと思います。

それがなかったということはマーニーの症状は、かなり重症だったと思わざるを得ません。

誕生日やクリスマスなど、マーニーは手紙を送ることもできなかったのでしょうか?

それらができないほど、悪化していたのであれば仕方ありませんが…。


学校が休みの時も手元に置いておけないくらいの病気で、手紙なども出せない、というのであれば、病気だから仕方がないにしても、絵美里の性格が変わってしまってマーニーを敵視するのも仕方がないと思います。

そして入れられた全寮制の学校での生活環境であったり、友達との関係であったりが悪ければ、絵美里にとってたった一人、不満をぶつけることのできるマーニーに矛先が向くのは仕方のないことなんでしょうね。

父親和彦と絵美里の関係は良かったのかを考察

マーニーの友人である久子さんの話ではマーニーは幼馴染の和彦と結婚し、娘が生まれて数年の間が、一番幸せだった時期だ、と言っていました。

つまり、マーニーは家族3人で幸せな生活を送っていたことになります。

当然、娘の絵美里と父親の和彦も良い関係を築いていたことでしょう。


その後、和彦が病気になって、やがて死んでしまうことでマーニーの人生は暗転してしまうことになります。

和彦の病気が何であって、闘病期間がどのくらいであったかなどの詳細は語られませんでしたが、いくら幼くても和彦の変わりようは、絵美里にもわかったのではないでしょうか?

そしてそのことで母親のマーニーも心を痛めていることは感じられたと思います。

その後、和彦が亡くなり、そのことでマーニーが体を壊し、ついには絵美里の面倒を見られなくなってしまったわけです。

が、このことを5、6歳のときには無理でも物心ついた年齢に成長して絵美里に理解してほしいと感じてしまいます。

ですがこれは、マーニーのの立場に立った、片方の勝手な願望なのでしょうか?


話が少しずれましたので和彦と絵美里の関係の話に戻します。

和彦は幼いころからマーニーのサポートをしてきました。

そしてそれは大人になっても続き、ついには二人は結婚します。

そんな和彦だからマーニーとの間に生まれた子供の絵美里にも愛情を注いだことでしょう。

おそらく絵美里も和彦によくなついていたと考えられます。


しかし悲しいかな、まだ絵美里が幼いうちに和彦は亡くなってしまいました。

もしかすると何が起こったのか理解できない年齢でしかなかった可能性もあります。

そしてその数年後、今度はマーニーとも別れて暮らさなければならなくなってしまいました。

杏奈が母親や祖母が杏奈を残して死んでしまったことを仕方のないことと理解しつつ、恨むことをやめられない、と映画の冒頭で言ったほうに、絵美里も和彦やマーニーについて、同じような思いであった可能性は高いと思います。

まとめ

今回は「思い出のマーニー」で登場した絵美里について考察を深めてみました。

情報がわずかであるため、深堀しきれないところもありましたが、絵美里にとって自分に降りかかる不幸の原因を、たった一人の肉親であるマーニーにぶつけたくなる気持ちはわからなくもありません。

ある意味、これが絵美里ができるマーニーへの甘え方なのかもしれませんが、甘えられるマーニーにしては、精神的ダメージを受けることは避けられないですね。

もし絵美里が長生きできていたら、その人生の中でマーニーの苦しみを感じることができる日が来ていたかもしれなかったのに、と思うと、若くして交通事故で亡くなったのは残念でなりません。









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