ネタバレ感想 1 イチイの木ってそんなに特別なもの?
コナーに3つの物語を語り、そのお返しとしてコナーに真実を語らせる怪物。
映画の最後では母親の最後をコナーとともに看取りますが、その表情はとても慈愛に
満ちているように感じました。
この怪物ですが、コナーの自宅の裏庭に隣接する墓地の丘の上に生えるイチイの巨木です。
コナーに語る3つの物語の中にもイチイの木が出てきていて、過去にイチイの木が見聞き
したことを物語として語る、といっています。
個人的にイチイの木と言うものを知らなかったので調べてみると、日本でも普通に生えている
木で、岐阜県の県の木として指定されている程でした。育てるのも簡単で盆栽としても
一般的だそうです。
木材として弾力性に優れていることから弓の材料として使用されたそうで、他に有名な
のは岐阜県飛騨地方で生産される木工品の飛騨一位一刀彫で、特徴としてイチイの木目、
赤みがかった心材と白身がかった辺材をそのまま活かします。
ただし、正確には日本のイチイと西洋のイチイは全く一緒の植物ではないそうですが、
木の性質としてはほとんど同じで、やはり古来より弓の材料として使われ、イギリスで
有名はロビンフッドもイチイの木の弓を使用したそうです。
イギリスではイチイの木が墓地や教会に必ずといっていいほど生えています。
その理由はかつてキリスト教がイギリスに入ってくるはるか前より信仰されていたケルト
の人々のドルイド教の教えにありました。
「聖なる木」、「墓地の木」として神々のもとに赴く死の道標とされていたようで、
「死者の急速のシンボル」として悪魔から死者を守るものとしても信じられていたようです。
キリスト教が入ってきた際にドルイド教の聖地をそのままキリスト教の教会にすることで
現地の人達に受け入れやすくしたと同時に同じくドルイド教が聖なるものとして崇めていた
ものをキリスト教もそのままとりこんだことで、イチイの木がキリスト教にとっても特別な
木になったのでした。
ネタバレ感想 2 3つの物語の意味は?
怪物が語る物語は謎めいていて一体どんな意味があって、コナーの置かれた現状にどう、
当てはめて考えれば助けになるか、考えるのですが、わかるような、わからないような
というのが正直な感想です。
一つ目の物語
一つ目の物語は良いと思っていた王子が目的のために殺人を犯しており、悪いと思って
いた王女が悪いことはしていなかったというのはなしだと思います。
王子は王になるために王女を追い落とすため、殺人を犯し、望み通り王になるのですが、
王になった後、善政を敷いて皆に好かれました。
一方で王女はやってもいないことを周りが色眼鏡で見ることで、噂レベルで悪事を働いて
いるとされ、やがては王子の策略にハマって処刑されかけられるのです。
つまり人々は真実を信じるだけでなく、場合によっては信じたい真実を疑うことなく信じる
といいたいのでしょうか?
だとしたら、コナーのの現状、厳しい祖母が現れて一緒に住まなくてはいけない状態で、
すぐに良くなることのない母親の状態がきっと今回の治療で良くなるはずだ、という希望を
真実だとして信じている、と指摘したいのではないでしょうか。
二つ目の物語
怪物は薬剤師は欲深で意地悪な人だ、と評していますが、物語だけからはそうは感じません
でした。(設定では物語は怪物が体験した真実ということになっていますので、本当に
そういう人柄だったかもしれませんが。)
薬剤師が牧師の娘を助けることができないのは、薬剤師の薬が効くために一番必要なことが
「必ず効いてよくなる」と信じるということだからで、信じたいときだけ信じるという
都合の良い牧師の考えでは、心から信じることにはならないし、だから効き目がない、
ということだと感じました。
ただ、その後の展開として、怪物が牧師の家を罰だと言って破壊し、現実世界でコナーが
祖母の部屋を破壊した行為と結びつけることができないのが本音です。
父親が来て楽しい時間を過ごしたものの、一緒に暮らすことはできない。結局折り合いの
悪い祖母の家で暮らさざるを得ない。
そこで祖母の部屋を破壊するというのは、祖母に対する罰でないとおかしいのですが、
どう考えても牧師と祖母は同じような人間ではなく、どちらかと言えば父親のほうが牧師の
取った行動と似たような言動をしているように思えます。
今一つきちんとした筋道だった見方が、まだできません。もっとよく考えて何か思い
ついたら追記いたします。
三つ目の物語
これは物語というほどの長さでもなく、その結果おこしたコナーの行動が、それまで受けて
きたいじめの復讐というのであれば、わかりやすいものの、どうも動機が無視されること
に対する反発のようで、正直にいって、わけがわからないの一言です。
だれからも存在を感じ取られることのなかった男が、存在を感じ取ってもらえるように
なったら、もっと大変だった、ということですので、つまりこういうことでしょうか?
コナーの存在を無視しているクラスメートには、存在を感じてほしいと思うだけだが、
コナーの存在に気づいていじめるハリーはそれ以上に苦痛だ、ということでしょうか?
そうだとしても、それではコナーがハリーを殴りながら口走るセリフとの整合性が合わない
ような気がします。
四つ目の物語
というよりも、コナーの真実なので物語でも何でもなく、正直に話したことなのですが。
「母親が健康で長生きしてほしい」という思いと「これ以上苦しまずに安らかになって
ほしい」という相反した気持ちとなっていますが、僕からすれば、希望の優先順位を
はっきりさせたといったほうが正しいと思います。
一番は「母親が健康で長生きしてほしい」
でも現実問題、健康にはなれないでしょうし、長く生きれば生きるほど苦しむことになる。
で、二番として「安らかになって欲しい」
でもこれだと三番の「母親と一緒にいたい」と相反してしますわけです。
だから認めたくない。
認めたくないけど、本当はわかっているからこそ、悪夢となってコナーを悩ませるので
しょう。
でも、13歳の男の子には重すぎる現実ですよね。
いや、年齢ではないかな。僕ももし息子や娘が不治の病で苦しんでいる姿を見たら、早く
楽にさせてあげたいと思うと同時に何もしてやれない自分の不甲斐なさに苦しめられる
と思うし。
なかなかどうして「わかっちゃいるけど、」という言葉が大なり小なり、いつも付きまとう
ような気がします。
ネタバレ感想 3 わかりにくいところがあると思ったら原作の小説から省かれた幼馴染の存在が
原作の小説にはあって映画の中で省かれた設定がありました。
それはコナーの幼馴染の少女、リリーという存在で、彼女が意図したわけではないものの、
彼女を通じて学校中にコナーの母親がガンを患っていることが知れ渡ってしまいました。
その結果、先生を含めたクラスメートがどうコナーに接していいか、わからなくなって
しまったため、コナーが一人浮いたような存在になってしまったのでした。
また、コナーがハリーにいじめられていますが、リリーによって救われるというシーンも
省かれてしまっています。リリーの存在そのものが省かれている以上、しかたのないこと
ですが、このことを省いてしまったがため、コナーが変わった少年だからクラスメートが
関わりを持たない、と思わせる描写になってしまっていると思います。
正確には周りが不自然なよそよそしさを、ある時期を境にコナーに対して出してしまった
為に、コナーが浮いたような存在になり、一人の世界に入り込まざるを得なくなって、余計に
変わった少年のような行動をするようになったのでしょう。
怪物が現れる頃になると、そうでもないですが、映画の最初にすこし変だな、と感じる
かすかな違和感がありましたが、おそらくそれは、リリーの存在を消してしまった為なのだ
と思います。
あと、本当に些細な事ですが、コナーの祖母がはじめて登場したあと、コナーが自分の部屋の
前で祖母から布団を受け取り、祖母は扉を閉めて部屋の中へ消え、コナーはソファーで
布団にくるまって寝る、というシーンがありましたが、はじめて見た時、話が繋がらず、
何をしているのだろうと、疑問に思いました。
この疑問も編集で消されたシーンがあることが分かって氷解したのですが、祖母が泊まりに
来るときは必ず、夜、コナーの部屋で寝るので、コナーが追い出されて他の場所で寝ないと
いけなくなるためでした。
消されたシーンはその日の朝に母親がコナーに、今日祖母が泊まりに来ることを告げ、
それに対してコナーが必要ないと声を上げるというものでした。
消さないといけないのかな、とおもう僅かな短いものでしたので、いれておいてくれた
ほうが戸惑わなくてすんだのに、と思いました。
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